神の人よ...義と信心と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい。
信仰を立派に戦い抜いて、永遠の生命を獲得しなさい。
私たちの主イェス・キリストの出現まで、その戒めを
汚すことなく、それを非難のないように守りなさい。
時が来れば祝福に満ちた、ただ一人の力あるかた、
諸々の王の王、主の主がキリストを出現させてくださるであろう。
神はただひとり不死を保ち、近づきがたい光の中に住み、
人間の中で誰も見た者がなく、見ることもできないかたである。
誉れと永遠の支配とが、神にあるように。 アーメンテモテ前書6章11節~16節
2010年3月アーカイブ
★ 列王紀下2章23節~24節を特別な注意を払って読む人は少ないと思います。
実は、私もそういう類タグイ の一人ですので、どうぞご安心ください。同じ章の12節では豫言者エリヤがつむじ風に乗って天に昇っていった劇的なことを語っています。 それを目撃したのがエリヤの愛弟子エリシャでした。
(尚、エリヤ=「エホヴァは神」の意で、エリシャ=「エホヴァは救い」の意)
★ 愛師エリヤ昇天の劇的奇蹟を目撃し、その興奮がさめやらぬうちに、エリシャが旅を続けたことを同じ章は語っています。 流産を招くほど水質の悪い村では、人々の願いを聞いて神に祈り、安心できる良い水に変えたという話も記録されています。
悪水が出る水源を良質の水源に変えたエリシャがベテルに向かって旅を続けます。
その途中でいたずら盛りの多くの子供たちと出会います。 つまり悪ガキどもです。
悪餓鬼どもはエリシャの禿げ頭を目撃し、エリシャに向けて大声で罵詈雑言を投げかけました。 相当に酷い悪たれ口を叩いたのでしょう。 豫言者エリシャの怒りを招くことになりました。 怒ったというよりもたしなめたという程度でしょうか?
エリシャがほんとうに怒ったとするならば、少し大人げないようにも思います。しかし、私がこの箇所を執筆したわけではありませんので何とも言えません。
怒ったエリシャが、「主の名をもって彼らを呪った」ところ、2頭の雌熊が出現して、子供らの「うち」の42名を裂き殺したと記録されています。 「うち」ですからもっとたくさんの悪ガキどもがエリシャに向かって悪たれをついたことになります。
★ 熊に襲われて死んだ42名の子供以外に、助かった子供たちが何人いたのか、聖書は何も語っていません。 どうして助かったのか‥それも語っていません。
悪ガキという点では、私もきっとそういう一人であったのだろうと考えます。子供というものは、だいたい同じようなことを考え、同じようなことをするものだと思います。 それが子供というものでしょう。
レビ記19章32節に書いてありますように、老人を敬うということは、いつの時代においても、どこの国においても、同じように尊ばれてきた良い風習です。
しかし、実際にはそのようなことが守られているとは限りません。わが国には「敬老の日」という祝日がありますが、後期高齢者、末期高齢者、弱者にとって住みにくい国です。 為政者にそのような発想が欠落しているからです。
電車やバスの中で年長者に席を譲るという発想が欠落している若者が主流を占めています。 判断力が低下した老人を騙す「オレオレ詐欺」があとを絶ちません。
道を歩いている婦女子や老婆を襲うひったくり事件もあちこちでしばしば起こっています。 私たちが住む八ヶ嶽南麓の寒村僻地で高齢者が生きることは困難です。
韓国でも、少し前までは、年長者の前で酒を嗜み煙草を吸うということを、若者は控えていたように思いますが、現在の韓国社会では、そのような敬老精神が衰えつつあるように思います。
★ 髪の毛が薄くなった神の人エリシャを嘲笑して熊に襲われた子供たち42名のほかに、何人の子供がその場にいたのか、なぜ彼らが赦されて助かったのか‥聖書は何も語っていません。
詩篇25編7節には、若いときに、若さのゆえに、いくつかの大きな罪を犯して悔いたダビデ王の告白のことばが記されています。
『私の若い時の罪と咎を、あなたの恵みと慈しみのゆえに、主よ、どうか思い出さないでくださいませ‥』とあります。
雌熊2頭に襲われて裂き殺された42名の悪ガキども以外に、何人の子供たちが生きのびたのか、ほんとうのことはわかりませんが、神さまのダビデ王に対するご計画があったのと同じように、私たちに神さまの恩寵があったように、神さまの豊かな恩寵が注がれていたものと考えます。 そうでなければ私たちは今ここにいないのです。
★ ユダ書という短い書簡が新約聖書の終わりの黙示録のすぐ前にあります。
ほとんどの人にとって珍しい箇所だと思います。 少なくとも3節~13節をいくどか熟読してみてください。 12節~13節はマタイ傳7章15節~23節を彷彿させます。
『彼らは、あなたがたの愛餐に加わるが、それを汚し、無遠慮に宴会に同席して自分の腹を肥やしている。 彼らは、いわば、風に吹き回される水なき雲、実らない枯れ果てて、抜き捨てられた秋の木、自分の恥を泡にして出す海の荒波、さまよう星である。 彼らには真っ暗な闇が永久に用意されている』 ユダ書12節~13節
私たちが住んでいる今の時代にも、私たちの教派にも、私たちの小さなエクレシアにも当てはまる警告のように私には思えます。
熊に噛み殺された42名の子供のほかにいた、助かった子供と同じように、神さまの一方的な恩寵によって救われ、今を生かされている者たちにとって、私たちが何らかの理由で生かされていることを改めて思い出し、罪咎を主の食卓で悔い改め、余生を神さまのご用のために、み栄えのために捧げ抜きたいものだと、そう祈るのです。
<比較することの愚について>
★ 今回も蛇足になることを承知の上で、最終的には十字架に辿り着きたいと願っています。 もともと、『比べるよりも感謝せよ』と題して書き始めたものでしたが、導入部分として、最初に獨逸シェパード犬とセント・バナード犬のことから書き始めたいと思うようになりました。
いつも以上に相当な饒舌文となりますので、最初にお断りをしておきます。
敗戦直後に明治学院高校を出て東京獣医畜産大学に入学しました。敗戦直後、人間の食べるものすら不足していた時代です。 現在のように愛玩動物を飼育するという発想も余裕も当時の日本にはまだありませんでした。
それでも動物が好きだという理由や、ほかの本当の理由もあって、獣医学校を選んだのです。 どのようにして入手できたのかもはや記憶がありませんが、高級西洋犬ポメラニアン種の雄犬を入手し、「太郎」と名づけて飼い始めました。
留学から帰って来て結婚、葉山の真名瀬シンナセ海岸の漁師の家を借りて住みました。そして日本犬系の雑種の捨て犬の仔犬を飼いました。 パピーという名でした。
帰国した翌年の1962年7月、思わぬ交通事故に巻き込まれて左腎臓を失い、八幡山の自宅に戻ることになりました。 パンを得るために神田美土代町にあった東京YMCA英語学校に英語と聖書の教師として、また、学監として勤務するようになりました。
英語学校教師のライデン夫人から躾シツケ されていない、暴れん坊のシェパード犬を貰いました。 本当は暴れん坊だということで、押しつけられたのかも知れません。ここから私とドイツ・シェパード犬数頭とのつき合いが始まりました。
東京YMCAに10年ほど勤務している間に、韓国での奉仕活動が始まりました。
その間にある事情が生じましたので、私どもは母の同意を得た上で、世田谷区八幡山の母の土地家屋を売却して1985年に現在の八ヶ嶽南麓に永住することになりました。
新しい永住の地を八ヶ嶽南麓原生林の中に得たということで、東京、千葉、そして横浜からたくさんのかたがたが訪ねて来られました。 26年間で宿泊された客人数は3千人を越すと思います。 その中には幼稚園児や学童を連れた家族もありました。
あるとき、あるご家族が、二、三名の子供さんを連れて泊まりに見えたことがありました。 そのときお父さんが息子を叱る場面を、私たち夫婦は偶然目撃しました。
『ほらっ、野村先生の所のシェパードを見てみろ! お前より賢いんだぞ!』でした。 学校の重圧から解放されてようやくやって来た原生林の中で、シェパード犬と比較されながら叱られている坊やの姿をたまたま目撃したのです。
自分を犬と比較されたのでは、幼い子供であっても、感受性の強い子にとっては、それは、他人さまの家で、父親から屈辱的体験を強いられたことになります。
そののち私たちはシェパード犬の飼育をやめました。
休息する場所に相応しい、よだれを垂らして、まぬけ顔をした、性格の穏やかな犬種で、標高の高い原生林生活に適した、セント・バナード犬を飼うことにしました。
いろいろな事情を抱えたセント・バナード犬10頭以上を引き取って飼育しました。シェパード犬を保護しても、私たち夫婦が飼うということをしなくなりました。
<比較する>ということは、子供を教育することでは、絶対によくありません。ましてかわいい幼児や学童を、犬と比較するなどということは、よくありません。
それでは本論に入ります。 最初に書き始めてあった文章に戻ります。
★ 胎教という言葉があります。 赤ちゃんが母胎に宿っている十月十日(トツキトウカ)のあいだ、とりわけその後半部において、胎児は母体の外のいろいろな環境を鋭敏に聞いていると言われています。
そのため、胎児の情緒的発展のために、なるべく静かで安定した環境を胎児のために備える必要がある‥、そのために両親はなるべく穏やかできれいな音楽や、美しい言葉にも心を配る必要がある‥、両親が胎児の出産を心から待望しているということを胎児に語りかける必要がある‥、などとも説かれています。
しかし、残念ながら、私には胎児期の記憶がないので何とも言えません。
推測と想像を働かせてみますと、私の胎児期は、決してよい環境が備えられていたとは、とうてい思えません。
★ 次に、幼児期のことですが、幼児期の環境が幼児の人格的、身体的成長に大きな影響を与えることに関しては、これを否定する人はまずないだろうと思います。
この点に関しましても、私の場合、社会正義感の発達という分野を除いて、微笑むことができるような状態の中に私がいた‥とは、とうてい考えておりません。
とりわけ、私が5歳のとき、父が喉頭結核で凱旋帰天してしまったのちの環境は、多くの面で決して善いものではありませんでした。 多くのトラウマが残りました。
★ 父逝去のあと、順子さんと結婚できるように神さまが導いて下さったまでの長いあいだ、私自身の歩みを振り返って見ますと、たえず私は<他者と比較させられる>という環境に置かれていたと思います。
「家なき子」としてみれば、致し方のないことであったのでしょうが、残念なことでありました。 『誰々ちゃんと比べて、あんたはだめだよ!』でした。
そして、<比較する・比較させられる>ということは、人格形成に決して善い影響を与えるものではありません。 過ぎたことをとやかく言うつもりはありませんが、<比較する・比較させられる>状態の中で感受性の強い幼少青年期を過ごす、過ごさざるを得ないということは、決してよいことではないのです。 このことがもたらすトラウマは、絶対的な恩寵によってのみ回復できるものだと私は信じています。
★ 比較するという点で、海外留学のことについて脱線しておきましょう。
二、三百人の青年を、私が関係してきたアメリカのクリスチャン・カレッジなどに留学生として紹介をしました。 (もちろん、そのことで何らかの収益を得たということではなく、その点では持ち出しのほうがはるかに多かったと思います。 念為)
それらの青年たちの多くに忠告しておいたことのひとつに、「二つの悪いC」と、「二つの善いAがある」ということでした。 両親に対しても同じ提言をしました。
二つの悪いCとは、「do not compare 比較するな‥」と、「do not complaint不平・不満を言うなかれ‥」ということです。
それに対して、二つの善いAとは、「accept 受け容れよ‥」と、「appreciate感謝せよ‥」の二つです。 これら二つのAとCの違いは、留学生活を肯定的で楽しいものにするか、それとも否定的、非生産的、悲劇的なものにしてしまうのか‥そのいずれかです。
海外留学をするということは、自分の意思で、自分が慣れ親しんできた国を一時的に離れ、未知の国に自分自身を置いて、その国の言語や文化や価値感覚などを体験・吸収するということです。 その国の風俗習慣に接して学ぶということです。
この基本的な理解を欠いたまま、あたかも自分の国の高級ホテルでお殿様のような特別扱いを受けるために貴重な時間とエネルギ-と経済的犠牲を払って留学するわけではありません。
このことを理解せず・理解できず、いつも自分の国の食文化や生活習慣を留学先でも要求する若い日本人学生が多いことを、1961年代から私は観察して来ました。
いつも自分が住んでいた日本での環境や慣習と留学先の環境や慣習を「比較」し、「不平・不満」を言い続ける、精神的に成長していない・成長できない若者達が存在していることを知っています。 二つのCが若者の心を支配し続けているのです。
二つのA、すなわち、その地の人々がその地の環境で健全に生きているのですから留学先の環境をそれなりに理解し、評価し、感謝し、受け容れ、その国の文化や価値基準の中で、そこで学ぶことを始めない限り、多くを学べるはずの状態に自分自身を置きながら、結局はほとんど何も学べず、留学する意味を喪失しているようです。
二つのCを避け、二つのAを選択できるのか、そうでないのかは重大です。
学生のそののちの全生涯を左右し、その学生が家庭人となり、職場人となったとき、自分自身の家族や孫子の代まで善い影響を与えるか、悪い人格的影響を与えるか‥、そのような影響を与え続けて行くのです。 社会人として、周囲の者たちや後輩に、善い影響を与える人となるのか、なれるのか、人々から煙たがられる存在となって、他者からの信頼と尊敬を得ることができない不幸な人物になるかを決めるのです。
★ さて聖書では、<比較する・比較させられる>ということを、どのように捉えているのでしょうか?
旧約聖書と新約聖書のなかには、<比較する>ということに関する表現はそんなに多くありません。 愚かな人間が、己と神とを比較しようとする姿勢を咎める表現はいくつかあります。 人間同士を比較する・される、人間同士が比較しあう・されるということは少ないようです。
箴言3章15節と8章11節では、智恵の優越さが宝石と比較されています。
目に見えない価値を軽んじ、目に見える豪華豪勢な物質的権力に惹かれる人間の愚を指摘しています。
イザヤ書40章18節と46章5節、エゼキエル書31章8節、哀歌2章13節は、神や神の手の業を人や人の業と比較し、比較することの愚かさについて語っています。
マタイ傳7章24節~27節では、盤石の上に家を建てる賢者と砂上楼閣に酔う愚者についてイェスが語っておられます。 確かな信仰の確立を促しておられるのです。
ロマ書8章18節で使徒パウロは、クリスチャンがこの世に在って出会うさまざまな求道人生・巡礼人生上の苦悩を、やがて神ご自身が私たちを招き入れて下さる栄光のすばらしさと比較して、私たちがこの世に在って忠実なしもべとして堪え忍ぶことを勧めています。
マタイ傳11章16節~17節でイェスは、神の国に関心を示さない多くの人々の存在を子供たちの遊びと比較して語っておられます。 ルカ傳7章31節も同様です。
マルコ傳4章30節でイェスは神の国をからし種に譬えて語っておられます。
そのほかにもマタイ傳22章1節~14節やルカ傳22章1節~14節で、神の国を真剣に求めている人が少ないことを、マタイ傳7章21節~23節との関係で警告なさっています。 これらは、比較というよりも、譬えに近いものだと思います。
同じような発想から聖書箇所を捜してみますと、マタイ傳13章で、「種蒔き人」が蒔いた種が、蒔かれた地によって結ぶ実に違いが出てくることを語っています。
あるいは同じマタイ傳20章で、葡萄畑の主人の労働者に対する賃金の支払い方や、同じマタイ傳25章で旅に出る主人が召し使いたちに財貨の一部を託して出発し、帰宅後に利益の多寡を計るという比較物語が登場します。 いずれも比較というよりは、神の業、終末に備えることへの譬えによる警告と捉えたほうがよさそうです。
ただしコリント後書10章12節は、クリスチャン同士で比較しあったり競いあったりする自己顕示欲の強い人々について使徒パウロが言及しています。
いつの時代にも限度を越えてまで自己推薦をする人たちが存在しているようです。聖書は、人間各個人ウォッチングという視点からも、興味が尽きないものです。
★ 最後になりますが、聖書が投影する人間ウォッチングという点でヨハネ傳21章は、私のような末期高齢者にとって興味深くしかも重要な示唆に富んだ、主イェスとイェスの直情的な愛弟子ペテロとの会話が記録されています。また、弟子ペテロとイェス最愛の弟子ヨハネとの比較も記されています。
私の知っている限りで‥とお断りしておきますが、半世紀以上前の留学先の神学校の一部では、精神医学をカリキュラムにつけ加えておかなければ、卒業した若手牧師たちが赴任先の教会でよく仕えることができなくなる時代が到来する‥と語られ始めていました。 そして、そのことが現実となっていますが、多くの神学校は現在でもその警告を理解できないでいます。 精神の不安定な教会員が急増しています。
★ そのこととの関連で私が50歳を過ぎたころから、少しずつ老人学 gerontologyという勉強を始める必要があると考え始めました。 ある老いたユダヤ系アメリカ人が気づかせてくださったのです。 伝道学院でも話したことがあります。 しかし、学ぶ側も教える側もいまだ末期高齢者の年齢に達していないので無理のようです。
世界中で教会は高齢者化しています。 教会は社会的変動と必要性を鋭敏に捉えることも応えることもできないで、宣教だっ!と教会堂の中で自分たち自身に向かって叫んでいるように私には見えます。 社会の求めに適応することができないのです。
主イェス・キリストの教会とは何か? どう教会はこの世に仕えるのか? 厳しく問われていると思うのですが‥ 清渓川チョンゲチョン スラムで気づかされたことでした。
ヨハネ傳21章18節~19節でイェスは焦るペテロにやがて末期加齢者となる基督者が、どのように老いた者がイェスを愛してゆけばよいのか、どのようにして神の栄光を顕しながら召されて行くのか‥、行けばよいのか‥という切実な問いかけに対し、復活された神の独り子としてのイェスが、わかりやすく説明されています。
『とにかく私に従って来なさい!』とだけペテロに語られたのです。
私を含めて、老い行く老兵には、<とにかくイェスに従って行くだけ>なのです。あとのことは、結局のところ、主イェスに委ねる他に道はないのです。
★ 復活なさったイェスとペテロとの会話で、もうひとつ重要な話題があります。
それは、<比較することの愚>ということです。
ペテロは極めて感情の起伏が激しかった弟子であったのではないか‥と、そのように私はペテロを捉えています。 イェスをこよなく愛するペテロにとって、常に気になるライヴァルがおとなしい、落ち着いた、肯定的なヨハネの存在でした。
ペテロは、絶えず自分自身を、イェスが愛されていたもうひとりの弟子ヨハネとの関係で比較していたようです。 復活されたイェスが昇天される栄光の姿を目撃する瞬間まで、どうやらペテロは落ち着かず、精神的に不安定な状態に在ったのではないかと、そのように私は推測しているのです。 五旬節の日に天からの聖霊降臨を体験し目撃するまでは、不安定で落ち着きがなかったのではないかと想像しています。
ヨハネ傳の最終部分、すなわち21章20節~22節は、ペテロのヨハネに対する複雑で不安定な感情、激しい競争心を極めて端的に表現しています。 彼の劣等感のようなものを感じさせます。
<自分を他者と絶えず比較する>という弊害がよく描写されていると思います。
それに対してイェスはペテロに、『他人ヒトは他人ヒト、主ヌシは主ヌシ』‥と明快に答えておられます。 『他人はお前にとって何の関係があるのか?』ということです。
イェス・キリストの弟子たる者は、弟子たらんと願う者は、自分を他者と比較する必要などまったく不要なことであり、不信仰なことであると知るべきなのです。
聖書の中で、<比較することの愚>ということがらにおいて、イェスのペテロへの戒めほど具体的で適切なものはないと思います。 『人は人、己は己』なのです。
なぜなら、以下で述べますが、神はあなたという個人を、ありのままで受け入れてくださっており、こよなき者として愛してくださっているからです。 十字架の贖罪の業を感謝し、誇りを抱いて自分自身を受け容れ、主の前に忠実な僕シモベとすることを恩寵の内に覚え、感謝する必要があります。 如何でしょうか?
★ 以上の限られた数の聖書箇所から考えてみますと、聖書には、一人・一つを他の同じような物や人と<比較して優劣を決める>という発想が少ないということです。
もちろん小さなことでの比較に関する言及は多くありますが、聖書全体を貫いて、神が私たちを<比較なさって優劣をお決めになる>ということがないのです。
このことは、とても重要なことだと私は感謝しています。
人も物ごとも神の前では<比べる必要がない>という意味に理解しているからです。
『あなたは私の目に尊く、重んぜられる者であり、私はあなたを愛する...』とは、イザヤ43章4節でそのように語る創造主なる神を紹介しています。
『神はその独り子を賜るほどにこの世を愛し給へり。 すべて彼を信ずる者の亡びずして永遠トコシヘの生命イノチ を得んためなり‥』とヨハネ傳3章16節は語ります。
★ 神は、私たちひとりひとりを、ありのままで受け容れてくださっているのです。
神の愛には<比較する>という発想はないのです。 しかし私たちには、神を選んで感謝するのか、この世を選ぶのか‥そのような比較の自由が与えられています。
みなさんはどちらをお選びになりますか? 比較するよりも、感謝して受け入れることこそが、永遠につながる最前・最高の道だと私は確信しています。 如何です?
★ 今回も蛇足になることを承知の上で、最終的には十字架に辿り着きたいと願っています。 もともと、『比べるよりも感謝せよ』と題して書き始めたものでしたが、導入部分として、最初に獨逸シェパード犬とセント・バナード犬のことから書き始めたいと思うようになりました。
いつも以上に相当な饒舌文となりますので、最初にお断りをしておきます。
敗戦直後に明治学院高校を出て東京獣医畜産大学に入学しました。敗戦直後、人間の食べるものすら不足していた時代です。 現在のように愛玩動物を飼育するという発想も余裕も当時の日本にはまだありませんでした。
それでも動物が好きだという理由や、ほかの本当の理由もあって、獣医学校を選んだのです。 どのようにして入手できたのかもはや記憶がありませんが、高級西洋犬ポメラニアン種の雄犬を入手し、「太郎」と名づけて飼い始めました。
留学から帰って来て結婚、葉山の真名瀬シンナセ海岸の漁師の家を借りて住みました。そして日本犬系の雑種の捨て犬の仔犬を飼いました。 パピーという名でした。
帰国した翌年の1962年7月、思わぬ交通事故に巻き込まれて左腎臓を失い、八幡山の自宅に戻ることになりました。 パンを得るために神田美土代町にあった東京YMCA英語学校に英語と聖書の教師として、また、学監として勤務するようになりました。
英語学校教師のライデン夫人から躾シツケ されていない、暴れん坊のシェパード犬を貰いました。 本当は暴れん坊だということで、押しつけられたのかも知れません。ここから私とドイツ・シェパード犬数頭とのつき合いが始まりました。
東京YMCAに10年ほど勤務している間に、韓国での奉仕活動が始まりました。
その間にある事情が生じましたので、私どもは母の同意を得た上で、世田谷区八幡山の母の土地家屋を売却して1985年に現在の八ヶ嶽南麓に永住することになりました。
新しい永住の地を八ヶ嶽南麓原生林の中に得たということで、東京、千葉、そして横浜からたくさんのかたがたが訪ねて来られました。 26年間で宿泊された客人数は3千人を越すと思います。 その中には幼稚園児や学童を連れた家族もありました。
あるとき、あるご家族が、二、三名の子供さんを連れて泊まりに見えたことがありました。 そのときお父さんが息子を叱る場面を、私たち夫婦は偶然目撃しました。
『ほらっ、野村先生の所のシェパードを見てみろ! お前より賢いんだぞ!』でした。 学校の重圧から解放されてようやくやって来た原生林の中で、シェパード犬と比較されながら叱られている坊やの姿をたまたま目撃したのです。
自分を犬と比較されたのでは、幼い子供であっても、感受性の強い子にとっては、それは、他人さまの家で、父親から屈辱的体験を強いられたことになります。
そののち私たちはシェパード犬の飼育をやめました。
休息する場所に相応しい、よだれを垂らして、まぬけ顔をした、性格の穏やかな犬種で、標高の高い原生林生活に適した、セント・バナード犬を飼うことにしました。
いろいろな事情を抱えたセント・バナード犬10頭以上を引き取って飼育しました。シェパード犬を保護しても、私たち夫婦が飼うということをしなくなりました。
<比較する>ということは、子供を教育することでは、絶対によくありません。ましてかわいい幼児や学童を、犬と比較するなどということは、よくありません。
それでは本論に入ります。 最初に書き始めてあった文章に戻ります。
★ 胎教という言葉があります。 赤ちゃんが母胎に宿っている十月十日(トツキトウカ)のあいだ、とりわけその後半部において、胎児は母体の外のいろいろな環境を鋭敏に聞いていると言われています。
そのため、胎児の情緒的発展のために、なるべく静かで安定した環境を胎児のために備える必要がある‥、そのために両親はなるべく穏やかできれいな音楽や、美しい言葉にも心を配る必要がある‥、両親が胎児の出産を心から待望しているということを胎児に語りかける必要がある‥、などとも説かれています。
しかし、残念ながら、私には胎児期の記憶がないので何とも言えません。
推測と想像を働かせてみますと、私の胎児期は、決してよい環境が備えられていたとは、とうてい思えません。
★ 次に、幼児期のことですが、幼児期の環境が幼児の人格的、身体的成長に大きな影響を与えることに関しては、これを否定する人はまずないだろうと思います。
この点に関しましても、私の場合、社会正義感の発達という分野を除いて、微笑むことができるような状態の中に私がいた‥とは、とうてい考えておりません。
とりわけ、私が5歳のとき、父が喉頭結核で凱旋帰天してしまったのちの環境は、多くの面で決して善いものではありませんでした。 多くのトラウマが残りました。
★ 父逝去のあと、順子さんと結婚できるように神さまが導いて下さったまでの長いあいだ、私自身の歩みを振り返って見ますと、たえず私は<他者と比較させられる>という環境に置かれていたと思います。
「家なき子」としてみれば、致し方のないことであったのでしょうが、残念なことでありました。 『誰々ちゃんと比べて、あんたはだめだよ!』でした。
そして、<比較する・比較させられる>ということは、人格形成に決して善い影響を与えるものではありません。 過ぎたことをとやかく言うつもりはありませんが、<比較する・比較させられる>状態の中で感受性の強い幼少青年期を過ごす、過ごさざるを得ないということは、決してよいことではないのです。 このことがもたらすトラウマは、絶対的な恩寵によってのみ回復できるものだと私は信じています。
★ 比較するという点で、海外留学のことについて脱線しておきましょう。
二、三百人の青年を、私が関係してきたアメリカのクリスチャン・カレッジなどに留学生として紹介をしました。 (もちろん、そのことで何らかの収益を得たということではなく、その点では持ち出しのほうがはるかに多かったと思います。 念為)
それらの青年たちの多くに忠告しておいたことのひとつに、「二つの悪いC」と、「二つの善いAがある」ということでした。 両親に対しても同じ提言をしました。
二つの悪いCとは、「do not compare 比較するな‥」と、「do not complaint不平・不満を言うなかれ‥」ということです。
それに対して、二つの善いAとは、「accept 受け容れよ‥」と、「appreciate感謝せよ‥」の二つです。 これら二つのAとCの違いは、留学生活を肯定的で楽しいものにするか、それとも否定的、非生産的、悲劇的なものにしてしまうのか‥そのいずれかです。
海外留学をするということは、自分の意思で、自分が慣れ親しんできた国を一時的に離れ、未知の国に自分自身を置いて、その国の言語や文化や価値感覚などを体験・吸収するということです。 その国の風俗習慣に接して学ぶということです。
この基本的な理解を欠いたまま、あたかも自分の国の高級ホテルでお殿様のような特別扱いを受けるために貴重な時間とエネルギ-と経済的犠牲を払って留学するわけではありません。
このことを理解せず・理解できず、いつも自分の国の食文化や生活習慣を留学先でも要求する若い日本人学生が多いことを、1961年代から私は観察して来ました。
いつも自分が住んでいた日本での環境や慣習と留学先の環境や慣習を「比較」し、「不平・不満」を言い続ける、精神的に成長していない・成長できない若者達が存在していることを知っています。 二つのCが若者の心を支配し続けているのです。
二つのA、すなわち、その地の人々がその地の環境で健全に生きているのですから留学先の環境をそれなりに理解し、評価し、感謝し、受け容れ、その国の文化や価値基準の中で、そこで学ぶことを始めない限り、多くを学べるはずの状態に自分自身を置きながら、結局はほとんど何も学べず、留学する意味を喪失しているようです。
二つのCを避け、二つのAを選択できるのか、そうでないのかは重大です。
学生のそののちの全生涯を左右し、その学生が家庭人となり、職場人となったとき、自分自身の家族や孫子の代まで善い影響を与えるか、悪い人格的影響を与えるか‥、そのような影響を与え続けて行くのです。 社会人として、周囲の者たちや後輩に、善い影響を与える人となるのか、なれるのか、人々から煙たがられる存在となって、他者からの信頼と尊敬を得ることができない不幸な人物になるかを決めるのです。
★ さて聖書では、<比較する・比較させられる>ということを、どのように捉えているのでしょうか?
旧約聖書と新約聖書のなかには、<比較する>ということに関する表現はそんなに多くありません。 愚かな人間が、己と神とを比較しようとする姿勢を咎める表現はいくつかあります。 人間同士を比較する・される、人間同士が比較しあう・されるということは少ないようです。
箴言3章15節と8章11節では、智恵の優越さが宝石と比較されています。
目に見えない価値を軽んじ、目に見える豪華豪勢な物質的権力に惹かれる人間の愚を指摘しています。
イザヤ書40章18節と46章5節、エゼキエル書31章8節、哀歌2章13節は、神や神の手の業を人や人の業と比較し、比較することの愚かさについて語っています。
マタイ傳7章24節~27節では、盤石の上に家を建てる賢者と砂上楼閣に酔う愚者についてイェスが語っておられます。 確かな信仰の確立を促しておられるのです。
ロマ書8章18節で使徒パウロは、クリスチャンがこの世に在って出会うさまざまな求道人生・巡礼人生上の苦悩を、やがて神ご自身が私たちを招き入れて下さる栄光のすばらしさと比較して、私たちがこの世に在って忠実なしもべとして堪え忍ぶことを勧めています。
マタイ傳11章16節~17節でイェスは、神の国に関心を示さない多くの人々の存在を子供たちの遊びと比較して語っておられます。 ルカ傳7章31節も同様です。
マルコ傳4章30節でイェスは神の国をからし種に譬えて語っておられます。
そのほかにもマタイ傳22章1節~14節やルカ傳22章1節~14節で、神の国を真剣に求めている人が少ないことを、マタイ傳7章21節~23節との関係で警告なさっています。 これらは、比較というよりも、譬えに近いものだと思います。
同じような発想から聖書箇所を捜してみますと、マタイ傳13章で、「種蒔き人」が蒔いた種が、蒔かれた地によって結ぶ実に違いが出てくることを語っています。
あるいは同じマタイ傳20章で、葡萄畑の主人の労働者に対する賃金の支払い方や、同じマタイ傳25章で旅に出る主人が召し使いたちに財貨の一部を託して出発し、帰宅後に利益の多寡を計るという比較物語が登場します。 いずれも比較というよりは、神の業、終末に備えることへの譬えによる警告と捉えたほうがよさそうです。
ただしコリント後書10章12節は、クリスチャン同士で比較しあったり競いあったりする自己顕示欲の強い人々について使徒パウロが言及しています。
いつの時代にも限度を越えてまで自己推薦をする人たちが存在しているようです。聖書は、人間各個人ウォッチングという視点からも、興味が尽きないものです。
★ 最後になりますが、聖書が投影する人間ウォッチングという点でヨハネ傳21章は、私のような末期高齢者にとって興味深くしかも重要な示唆に富んだ、主イェスとイェスの直情的な愛弟子ペテロとの会話が記録されています。また、弟子ペテロとイェス最愛の弟子ヨハネとの比較も記されています。
私の知っている限りで‥とお断りしておきますが、半世紀以上前の留学先の神学校の一部では、精神医学をカリキュラムにつけ加えておかなければ、卒業した若手牧師たちが赴任先の教会でよく仕えることができなくなる時代が到来する‥と語られ始めていました。 そして、そのことが現実となっていますが、多くの神学校は現在でもその警告を理解できないでいます。 精神の不安定な教会員が急増しています。
★ そのこととの関連で私が50歳を過ぎたころから、少しずつ老人学 gerontologyという勉強を始める必要があると考え始めました。 ある老いたユダヤ系アメリカ人が気づかせてくださったのです。 伝道学院でも話したことがあります。 しかし、学ぶ側も教える側もいまだ末期高齢者の年齢に達していないので無理のようです。
世界中で教会は高齢者化しています。 教会は社会的変動と必要性を鋭敏に捉えることも応えることもできないで、宣教だっ!と教会堂の中で自分たち自身に向かって叫んでいるように私には見えます。 社会の求めに適応することができないのです。
主イェス・キリストの教会とは何か? どう教会はこの世に仕えるのか? 厳しく問われていると思うのですが‥ 清渓川チョンゲチョン スラムで気づかされたことでした。
ヨハネ傳21章18節~19節でイェスは焦るペテロにやがて末期加齢者となる基督者が、どのように老いた者がイェスを愛してゆけばよいのか、どのようにして神の栄光を顕しながら召されて行くのか‥、行けばよいのか‥という切実な問いかけに対し、復活された神の独り子としてのイェスが、わかりやすく説明されています。
『とにかく私に従って来なさい!』とだけペテロに語られたのです。
私を含めて、老い行く老兵には、<とにかくイェスに従って行くだけ>なのです。あとのことは、結局のところ、主イェスに委ねる他に道はないのです。
★ 復活なさったイェスとペテロとの会話で、もうひとつ重要な話題があります。
それは、<比較することの愚>ということです。
ペテロは極めて感情の起伏が激しかった弟子であったのではないか‥と、そのように私はペテロを捉えています。 イェスをこよなく愛するペテロにとって、常に気になるライヴァルがおとなしい、落ち着いた、肯定的なヨハネの存在でした。
ペテロは、絶えず自分自身を、イェスが愛されていたもうひとりの弟子ヨハネとの関係で比較していたようです。 復活されたイェスが昇天される栄光の姿を目撃する瞬間まで、どうやらペテロは落ち着かず、精神的に不安定な状態に在ったのではないかと、そのように私は推測しているのです。 五旬節の日に天からの聖霊降臨を体験し目撃するまでは、不安定で落ち着きがなかったのではないかと想像しています。
ヨハネ傳の最終部分、すなわち21章20節~22節は、ペテロのヨハネに対する複雑で不安定な感情、激しい競争心を極めて端的に表現しています。 彼の劣等感のようなものを感じさせます。
<自分を他者と絶えず比較する>という弊害がよく描写されていると思います。
それに対してイェスはペテロに、『他人ヒトは他人ヒト、主ヌシは主ヌシ』‥と明快に答えておられます。 『他人はお前にとって何の関係があるのか?』ということです。
イェス・キリストの弟子たる者は、弟子たらんと願う者は、自分を他者と比較する必要などまったく不要なことであり、不信仰なことであると知るべきなのです。
聖書の中で、<比較することの愚>ということがらにおいて、イェスのペテロへの戒めほど具体的で適切なものはないと思います。 『人は人、己は己』なのです。
なぜなら、以下で述べますが、神はあなたという個人を、ありのままで受け入れてくださっており、こよなき者として愛してくださっているからです。 十字架の贖罪の業を感謝し、誇りを抱いて自分自身を受け容れ、主の前に忠実な僕シモベとすることを恩寵の内に覚え、感謝する必要があります。 如何でしょうか?
★ 以上の限られた数の聖書箇所から考えてみますと、聖書には、一人・一つを他の同じような物や人と<比較して優劣を決める>という発想が少ないということです。
もちろん小さなことでの比較に関する言及は多くありますが、聖書全体を貫いて、神が私たちを<比較なさって優劣をお決めになる>ということがないのです。
このことは、とても重要なことだと私は感謝しています。
人も物ごとも神の前では<比べる必要がない>という意味に理解しているからです。
『あなたは私の目に尊く、重んぜられる者であり、私はあなたを愛する...』とは、イザヤ43章4節でそのように語る創造主なる神を紹介しています。
『神はその独り子を賜るほどにこの世を愛し給へり。 すべて彼を信ずる者の亡びずして永遠トコシヘの生命イノチ を得んためなり‥』とヨハネ傳3章16節は語ります。
★ 神は、私たちひとりひとりを、ありのままで受け容れてくださっているのです。
神の愛には<比較する>という発想はないのです。 しかし私たちには、神を選んで感謝するのか、この世を選ぶのか‥そのような比較の自由が与えられています。
みなさんはどちらをお選びになりますか? 比較するよりも、感謝して受け入れることこそが、永遠につながる最前・最高の道だと私は確信しています。 如何です?
★ きょうの午後の衛星放送で、アメリカの公共放送局PBS がエチオピアで取材したという、深刻な水不足問題を放映していました。
劣悪な環境の中で、特に婦女子や幼児たちが困っている惨状を、痛みを覚えながら視聴しました。 飲むにたる水を少量得るために、幼い子供や婦女子が、片道数キロもの距離を歩かなければならないことや、水の権利を持っている集団が、水を求めてやって来た女の子を性的犠牲者にすることもある‥などを知りました。
井戸を掘るにも経済的資金がない場合や、ようやく手に入れた汚水を消毒することができない現状などをも報じていました。 水不足問題は、アフリカ各地で起こっている深刻な日常問題だということも報道していました。 常にふんだんに水の恩恵に与っている私たち日本人には、仲々に理解できない問題だと教えられました。
★ さて水のことですが、創世記22章には、神がアブラハムに向かって、アブラハムの最愛の息子イサクを燔祭(=神に供えられた生贄の動物を祭壇で丸焼きにして神に捧げる宗教行事のこと、ホロコーストの意)として捧げようとしたことが記録されています。 今日は、そのイサクのことを、水や井戸との関係で考えてみましょう。
創世記26章は、そのイサクが、深刻な飢饉が、父アブラハムやイサクが住む場所とその周辺地域一帯を襲ったので、美しい妻リベカと共に、ペリシテ人アビメレク王が支配するゲラルに避難した‥ということを紹介して、新しい物語を展開しています。
聖書考古学や地中海人類文化学にまったく疎い私には、飢饉が気象状態で起こったものだと推測しますが、そのこととの関連で、水不足ということも社会的には大きな混乱を招いていたものと想像します。 住み慣れた場所を捨てて、異邦人の地に移住せざるを得なかったというのですから、深刻な社会問題であったものと思います。
飢饉が激しくないゲラルに避難したものの、イサクにとっての次の問題は、美しい妻リベカをアビメレク王が略奪する目的で自分を殺すかも知れない‥という恐怖心がイサクに生じ、そのためにリベカを妹であると偽って王に申告したため、却って彼の立場を窮地に追い込んでしまったという逸話を挿入しています。
そのあたりは、イサクの性格の一端をよく表しているように思えます。
12節以下は、居留地でイサクが農業を営んだことを告げています。
農業に必要なもののひとつに水をどう確保するかという問題があります。
イサクはこの問題解決のため井戸を掘り、そこから豊富に水を得て、農耕・牧畜業の成功者となりました。 合理的な人物であったことを物語っていると思います。
脱線ですが、小学校の体育の時間にダンスがあったと思います。 そのひとつに、「マイム・マイム」という軽快な曲がありました。 井戸水が湧いて出てきたことを祝い喜ぶことを歌った歌だと理解しています。 水が生命にかかわる重要要素だからです。 パレスチナ地域での水をめぐる問題の深刻さを暗示していると思います。
しかしイサクの成功は、もともと土地の所有者であったペリシテ人農民たちの妬みと反感を招くことになりました。
ペリシテの農民たちは、イサクと父アブラハムが苦労して掘った井戸を襲撃し、力ずくで土砂で井戸を埋め、立ち退きを要求するという実力行使に出たと、15節は語っています。 イサクはこれに対して争わず、耕地を放棄し、移動します。
そののちイサクは、17節~25節で、いろいろな種類の無理難題をいろいろな人たちから押しつけらます。 そのたびにイサクは五つの新しい井戸を掘っています。
生命線である井戸を掘る労苦は、水の豊かな国に住む者たちには理解するのが困難ですが厳しいものであったのでしょう。 そして偉いのは争わなかったイサクです。
★ 私たちの人生には、多くの無理難題が一方的に襲って来るもののようです。
争うのもよし、争わぬもよし、それぞれのことは、その当事者によりましょう。しかしイサク自身は争わなかったようです。 23節は神との会話を暗示しています。
イサクは、父アブラハムや、子ヤコブと比較してみますと、(比較するということ自体が絶対によくないことだと承知の上ですが‥)、そんなに目立った人物だと旧約聖書は特記していないようです。 ごく平凡な人物のような印象を与えます。
しかし私は、温厚なイサクの在り方、争わない姿勢に、譲ることに優れた姿勢に、心から感動を覚えます。 それは、私自身がこれまで生かされて来た自分自身の人生との関係において、羨ましく映って見えるからです。 彼が「譲る人」だからです。
そして、何よりも、「神を堅く信じて生き抜いた」という姿勢においてです。
オヤジさんのアブラハムに騙されて?、燔祭の生贄にされそうになったという危ない場面にも遭遇しています。 井戸を何度も掘り続けるという姿勢も感動的です。
ペリシテ人たちの嫉妬と反感を招くほどまでに成功しながら、農耕地を井戸と共に争わずに譲ってしまうという温和さにおいても、愛妻リベカと息子ヤコブの破廉恥で狡猾で非道な手段に騙されて、エソウに譲るべきであった家督の権を、ヤコブに譲り渡させられるなどと、現在の私たち自身の周囲にも起こっている悲しい多くの現実の問題に巻き込まれながらも、神への堅い信仰を貫いた点で、私は感動するのです。
★ 明るい肯定的なイサクの性格は、彼自身の名がそのことを表しているのではないのかと思うことがあります。 名があるというのでその名に従って性格が育つものかどうかは、それは保証しませんが、イサクという名は、どうやら「ほほえむ」ということと関係があるようです。
イサクという名は、『神さま、どうぞ私にほほえんでください』とか、『神さま、どうぞ私をあたたかく見守ってください』という意味だと説明する辞典もあります。
また、アモス書7章9節と16節は、イサクがイスラエルだとしています。
確か明治・大正期の優れた基督者の中に「~伊作」という名を付けた学者がおられたことがあったと記憶しています。 譲る人、井戸掘り屋のイサクさん萬歳です!
『主の僕シモベ は争アラソ ふべからず。 凡ての人に優しくよく教え忍シノぶことをなし、逆サカラ ふ者をば柔和をもて戒むべし』
-テモテ前書3章3節及びテモテ後書2章24節~25節
『人を謗ソシらず、争はず、寛容にし、常に柔和をすべての人に顕アラハ すべきことを思い出させよ』
-テトス書3章2節
<詩人アレキサンダー・ポープを想う>
★ ロマ書11章33節~36節は、人知や人力ではとうてい計り知ることができない神の権能・智能に就いて語っています。 ここを、いろいろな翻訳文で読んでみました。
イェスが乙女マリヤから生れ給い、ナザレで育ち給い、そしてこの地上での公生涯にお入りになるに到り、いわゆる「バプテスマのヨハネ」が、イェスの歩まれる道の露払い役を引き受けました。
豫言者ヨハネは、主イェスの道を備える過程において、領主ヘロデが自分の兄弟の妻ヘロデヤを自分の妻にしようと試みていたことを責めたので、領主ヘロデの怒りを招き、獄舎に捕らわれる身となっていました。 そして打ち首になったのです。そのことは、マタイ傳14章1節~12節に記載されています。
監獄に閉じ込められ、やがて処刑されることを予期していたヨハネは、自分の命を掛けて、来るべきメシヤのために精一杯に働いた自分自身の人生を、独り静かに回想したものと思います。
そして、確信を抱きながらも、一抹の不安感に襲われていたのかも知れません。
マタイ傳11章2節~3節は、そのようなヨハネの疑念を示しているように思えます。
『私は、私自身のすべてを捧げて、あなたのために働きました。 そして私は私が間違っていたとは思っていません。 しかし、もしかして‥という気持ちが何となく湧いて来てしまったのです。 そこで、正直にあなたにお尋ねしますが、私があなたのためにひたすらに働いたことは、間違っていなかったですよね?』‥でした。
★ 孟子は『四十歳にもなれば、いろいろな外物に対して心を動揺させることがなくなるものだ...』と語ったそうですし、孔子も『四十歳になって、自分の生き方に確信が持てるようになり、人生上のさまざまな問題に惑うことがなくなった...』と語ったそうです。 『四十にして心を動かさず』とか『四十にして惑わず』というのです。
「バプテスマのヨハネ」がどういうわけで弟子をイェスに送り、質問させたのかを私は知るよしがありません。 常に言うこと為すことにおいてほとんどの場合未熟な私個人の経験から、ヨハネが惑ったのではないのか?‥と、憶測するだけです。
人生の終焉に到って、寿則多辱を痛感していますので、そのように思うだけです。
変わらないことは、私自身の存在そのものが、「どうしょーもない駄目男である」ということと、「それにもかかわらず、神の一方的な恩寵によって赦され、生かされて来た者である」ということです。 これだけが確かなことです。 あとは駄目男。
★ そんなとき、イギリスの詩人で、ローマ教会員のアレキサンダー・ポープという人の存在を思い出す機会を得ました。 1668年~1744年を生きた人です。
12歳のとき脊髄結核を患い、体の成長が止まり、生涯矮小短躯虚弱で過ごしました。
身長は4フィート、7インチであったそうです。 140 cm ほどになりましょう。
父親は麻布などを扱う布地屋・呉服商であったそうです。
更に不幸なことに当時のイギリスでは、1688年の革命以降、ローマ教会員であるという理由で、教育の機会に恵まれませんでした。 しかし司祭の助けを得たり、また彼自身のたゆまぬ独学の結果、ラテン語、フランス語、ギリシャ語、イタリア語などを学び、古今の哲学、詩、文学などを広く深く渉猟しつつ、鋭い感受性を用いて人間社会を把え、わかり易い表現で、皮肉たっぷりの筆の人として古典主義詩人となったと言われています。 Alexander Pope です。
留学中に学んだこの詩人のことを、その後、ほとんど何も注意を払って来なかったことを恥ずかしく思います。 ポープが語った格言といいましょうか、詩文の中にはいくつかの重要な文章が含まれています。 習ったテキストを読み直していますと、アンダー・ラインを引いた詩がたくさんあります。 詩を翻訳するのは愚ですが...
1. 誠実な人というのは、神の最高の高貴な作品である。
2. 過ちを犯すのは人間だが、赦すのは神である。
3. 少しだけ学んだということは、実に危険なことである。
4. 何ごとでも新しいものに飛びつく最初の人になる人がいるかと思えば、
古いことにしがみついて、それを捨て去る最後の人になる者もいるようだ。
5. 天使が足を踏み込むことを躊躇するような所に愚者は突進するものである。
6. 人の心の中に希望は永遠に沸き上がるが、人自身からではない。
しかし、人はいつも祝される者である。
7. まともな教育や十分な訓練を受けていない原住民の心というものは、
雲や風の中に神をみたり聞いたりするものである。
8. ある人は、最初は機知に富み、次に詩人となり、さらに評論家となるのだが、
最後には、結局のところ、ただの愚者となってしまうのが落ちだ。
9. 表現というものは、その人の心の思いの外的な服装というものである。
10. 美が得るものを良い知覚が保存できなければ、我らの栄光も苦痛もむなしい。
以上のようなポープの発言は、彼がこの世を去るまで彼を悩ませ続けた心身両面の激しい苦痛の中から彼が絞り出すように編み出した思想だと思います。
バイオラ大学の英文学の授業で学んだポープの詩の中には、すばらしい発言がまだたくさんあります。 留学5年目の私の実力では古典英文学はむつかしく、よく理解できないでいました。 また、人間的にも甚だ未熟であったため、ポープを全く理解できなかったのです。 もったいないことをしました。 結局、いつも駄目男です‥
ポープの人間に関するいろいろな黙想と論説、人は何者なのか?‥、人は己自身を知り得るのか?‥ポープが書き残した詩や祈祷文を読んでみますと多くを教えられます。 絶え間なく彼を襲っていた肉体的苦痛と、矮小短躯の彼を見下げている周囲の目...そこから、ヨブのように、ポープは神に対する確固たる信仰を抱いたのでした。
神の前に立ち、神を誉め讚えるポープの純粋な心‥、人が己自身を知ろうと試みる愚かさ‥、ポープにはロマ書11章33節~38節や、テモテ前書1章6節~7節の聖句、とりわけ6章11節後半部~16節と黙示録19章6節~8節などが焼きついていたものと思われます。 あるいは出エジプト記33章の神に対するモーセの会話を覚えていたのかも知れません。 ヨハネ傳1章18節、ロマ書5章2節や8章、コロサイ書1章15節などもポープの頭の中には暗唱聖句として常に備えられていたのかも知れません。
★ 肉体的老衰劣化を覚えながら、「寿則多辱」な自分自身の人生を振り返って見ますと、また、ほとんど何も学んで来なかった私自身の愚を振り返るときに、そして、それにもかかわらず、なおかつ一方的な神さまの恩寵によって生かされている事実に気づくとき、ポープの在り方と信仰に触れるとき、テモテ前書6章11節後半~16節の聖句を読み、大きな衝撃と励ましを受けたのです。
以上、まことにお恥ずかしい「寿則多辱爺、韓国語でハラボジ」の信仰告白です。
なお、掲載しました聖書箇所、どうぞゆっくりと熟読なさることをお願い致します。
★ 獨逸から新世界に移民し、聖書を深く学び、説教者となられた恩師にR.H.ボールRobert Henry Boll(1875-1956)と仰しゃる温厚で優れた霊的指導者がおられました。
今回は、そのボール先生のことではないと思いますが、ボール先生との関係で耳にした小話がありますので、そのことから入ります。
★ ある説教者が(ボール先生ではないと思うのですが)ある教会の特別集会の講師として招かれたことがありました。 教会堂に入ってすぐの所の壁面に古ぼけた小箱が掛けられているのを見たその説教者は、その箱が世界宣教か福祉施設への献金用の箱だと思い、当時としては大きな金額であった、$5をそうっと捧げておきました。
集会が終わったとき、その教会の牧師が小箱を壁からはずして、中から$5紙幣を取り出し、招かれた説教者に近づき、みんなの前で説教者に手渡しました。
『うちの教会では、お招きした説教者に謝礼金として支払うために、この箱が用意してあるんです。 今日の集会のために、うちの教会員たちが今日の特別集会のために捧げた$5ドル紙幣をどうぞ受け取って下さい』...でした。
自宅に戻った説教者は、集会のことを、食事をしながら、妻に報告していました。
両親の会話を聞いていた幼い男の子が、そのとき次のように父親に言ったそうです。
『パパ、もっとたくさんのお金を箱に入れておけば、もっと頂けたのに!』...
息子のその発言を聞いた説教者夫婦は、『何も言えなかった』のだそうです。
(ボールご夫妻には嬰児のまま天に召されたお嬢ちゃんを含めて、お嬢さんが他に二人ありました。 発言したのは男の子ですから、この逸話はボール家のものでないということになります。 なぜかボール家とこの逸話が私の耳に届いたのです)
★ 「たくさん捧げれば、たくさん頂ける...」と子供が呟いたこととの関連ですが、聖書は、読めば読むほど、もっとさらにたくさんの祝福を頂ける書物なのです。
ボール先生は黙示録をよく読まれ、よく祈られた先生であったと記憶しています。
そういう意味で、私たちの多くは、黙示録に接することが少ないようです。どのように黙示録を読めばよいのか... 各自が考えてみるのがよいと思います。
ある人は、黙示録は、理解するのが困難な書だから読まない‥と告白されます。
私たち一般人が読んでもわからない書物を神さまがお与えになるはずがない‥と言う人もいます。 聖書が開かれた書であるので、いろいろな意見が出てくるようです。
むつかしいので読めない、読まない‥というのではなく、初めからそのように決めこんでしまって読まないからむつかしいのではないのか‥という人もいます。
いずれであれ、とにかく読むことから始まります。
読むという意味は1回や2回さっと目を通すというような読み方ではなく、何十回、何百回と、むさぼるように読むということですし、創世記の初めから黙示録の終わりまでを、神さまの人間に対する救いの計画という主題のもとで読むという意味です。
「もう少したくさん捧げておけば、もう少したくさん頂けたのに!」とつぶやいた男の子のように、もう少したくさん聖書を読んでみる必要があるのです。 如何?
★ 昨日はだいたいにおいて天気がよく、除雪作業など捗りました。
しかし夕方近くになって霞空となり、西の方の太陽も霞んで見え難くなりました。
その時、コリント前書13章9節~12節の豫言を思いました。
『現在は(青銅や雲母で作られた)鏡に映し出された自分の顔を朧げに見ているが、
(やがて神の前に立つ)その時には、すべてのことがはっきりとわかるであろう』
★ 1954年のある日ケンタッキーの聖書大学の職員室の前を偶然に通り掛かった時、数名の教師たちが輪になって床の上に跪いて祈っている姿を目撃しました。
全在校生数が20名ほどの小さな学校でした。 教師や職員たちへ給料遅配が続き、深刻な状態のなかにありながら、私たち学生には一言もそのことを語らず、私たちに聖書を教えてくださっていた先生がたでした。 衝撃と感動を私は覚えたのです。
『主イェスがそうであったように、痛くなるまで与え続けよ!』と教えて下さったマレンズ教授の姿勢そのものが、私の人生を「仕える者」へと決定づけたのです。
あの時の先生がたにもうすぐ御国で再会できます。 楽しみに私は待っています。
すべての人を照らすまことの光りがあって、世に来た。
彼は世にいた。 世は彼によってできたのであるが、
世は彼を知らずにいた。 彼は自分のところに来たのに、
自分の民は彼を受け入れなかった。
そして言葉は肉体となり、私たちの内に宿った。
私たちはその栄光を見た。 それは父の独り子としての
栄光であった。ヨハネ傳1章9節~14節
(キリストと称するイェスをどうするのか?)
★ 神さまの「お召しのとき」が迫っているという、一種の楽しい期待と、その時がいつ来ようとも、常に良く準備が整っているようにしておきたいという一種の緊張感が日々次第に強くなって来ているように感じています。
★ そのことを意識し、1968年~1980年初期までの間に秘かに撮影をしてあった韓国各地、とりわけソウル市内の清渓川貧民窟内部を撮影したおいたフィルムとカラー・スライドなど数千駒、日本の朝鮮植民地統治下に発売された朝鮮関連写真集、さらに日本で発売された朝鮮戦争時の記録写真集、朝鮮半島の詳細な畳サイズの大型地図を何点か、そしてさらに、嘗て流通していた韓国通貨など多くの物品を、去る2006年2月、母の友人を介して、ソウル歴史博物館に贈呈することができました。
★ 次に、昨秋には、留学第3番目の母校ペパダイン大学に、教会史関連英文諸資料半トン弱を贈呈しました。 その中には相当な価値のある古文書もありました。
同校には、あともう一回、梱包して送り出す資料が残っています。
★ 先々週からは、個人的資料の整理と大量の書類の廃棄処分を開始しました。
1954~1957年の間に留学したケンタッキー聖書大学とロサンゼルスのバイオラ大学での手書きのクラス・ノートや、試験の解答用紙などを、資源分別ゴミとして処分し始めました。 これまたずいぶんな量になりました。
★ それらのノートを廃棄する前に、いちおうノートに目を通しました。
ケンタッキーのノートの中に、マタイ傳27章22節に記されているローマ帝国占領軍総督ピラトの戸惑いのひとことに関するメモを見いだしました。
『さらば我、キリストと称ふるイェスを、如何になすべきや?』...です。
ノートは、私の信仰人生に決定的な影響を与えてくださったマレンズ Frank. M.Mullins Sr. 先生のクラスで私がメモしておいたものでした。
『イェスは吾が救い主、神の独り子、神により油注がれしキリストなり』...と口先で告白することは、かつての帝国憲法下で、特高と憲兵が目を光らせていた日本や、現在の北朝鮮のように、命をかけなければならないような、そのような決意や困難を伴うようなことでは、現在では、なさそうに思えます。
しかし、信仰告白を誠実に実践しようとすれば、相当な覚悟が必要なことに何らの変わりもありません。 『キリストと称えるイェスをどうするつもりなのか?』
物質万能主義、拝金主義、権力絶対主義、弱肉強食主義の現在の日本に在っては、「イェスのみ」という信仰や聖書信仰一本槍を貫くことは極めて困難なことです。
マタイ傳6章19節~34節でイェスが問いかけておられる深刻な問題があるからです。
★ 『キリストと称されているイェスという男を、この自分は、一体全体どうしようとしているのか?』という、総督ピラトの重要な質問との関係で二人の人物のことをここで考えてみたいと思います。 バラバとデドモという二人の男のことです。
★ 四福音書を研究している聖書学者にとって、いろいろと話題を提供している人物の一人に、イェスの処刑の前に登場して来た、バラバという男がいます。
「アバの子」とか「父の子」という意味だそうです。
マタイ傳27章16節~22節、マルコ傳15章7節、ルカ傳23章19節、ヨハネ傳18章40節にこのバラバが登場して来ます。
「イェスか?‥バラバか?」どちらかが十字架に懸けられるべきなのか...という、せっぱ詰まった決断が総督ピラトに求められたのでした。
結局のところ、イェスが十字架で磔刑にされ、バラバは釈放されたのです。
私たちもバラバと同じように罪ある者とされ、神の裁きにはとうてい耐えられない者であったのですが、神の一方的な恩寵によりその罪を赦された者とされたのです。
この事実を私たちは決して忘れてはならないと思います。
さて、放免されたバラバのその後のことを聖書はいっさい語っていません。
一方的に釈放されたバラバにとっても「イェスという男」のことを生涯忘れることはできなかったものと推測できます。 『俺がイェスをどうしたというのか?』です。
この質問を基に、1950年にスエーデン人だと思いましたが、ある作家が「バラバ」という小説を発表し、敗戦直後に岩波文庫で翻訳文が出たことを記憶しています。さらにこの架空小説は、1962年に到り、確か映画化されたと思っています。
★ バラバとは反対に、イェスを信じ、使徒パウロを支援していた別の人でデマスという人物がいました。 獄屋に捕えられていた政治犯パウロの世話をよくやっていた人で、エーゲ海両岸の諸教会にもその名を知られていた忠実なクリスチャンであったようです。 コロサイ書4章14節とピレモン書24節にそのような証言があります。
脱線しますが、私がソウル清渓川スラムにたびたび出入りしていたころは、朴正煕パッチョンヒ 軍事独裁大統領時代でした。 大統領緊急措置令が発令されて、韓国の民主化運動を強権弾圧政策で押え込もうとしていた緊張時でもありました。
そのようなとき、朴正煕大統領の独裁政策に対して全国民主青年学生総連盟という組織が反政府ビラを撒いて抵抗運動を開始したという名目で酷い弾圧がありました。
多くの逮捕者の中で、でっち上げられた8名が処刑されるという酷い弾圧でした。
この時に、民主化運動を取材した太刀川正樹という日本人が、取材に応じた韓国人学生に$20ほどの謝礼を渡したということを、韓国中央情報部(KCIA)は「反政府運動に工作金を提供した」という名目をつけ、太刀川に軍事法廷で懲役20年の刑を宣告しました。 太刀川の通訳をした、ソウルの大学への留学生早川嘉春も内乱罪と反共法違反で懲役20年の刑を受けました。 そのように厳しい時代でした。
この「民青連事件」で逮捕された者の一人に、その後に韓国国会議員になり、その生涯を貧民のために尽くした諸廷丘 ジェジョングという友人がいました。 今は故人です。
スラムや近辺で一緒に食事をしながら明日の韓国を熱心に語り合いました。
日本から持参した栄太楼の飴や雪印の6Pチーズを好んだ青年でした。 生活費を提供したこともありました。 純粋な社会正義感と貧しい者への深い愛情を抱いた優れた人材でした。 文才にも長けた人物で、当時かわいい赤ちゃんがいました。
これらが中央情報部に知れていたならば、おそらく私の場合、終身刑か死刑宣告を受けていたであろうかと思っています。 太刀川や早川のケースで懲役20年でした。
海外から韓国民主化運動を支援する動きに対しての見せしめ的な警告として、二人より更に厳しい判決が、この私に下されていてもおかしくない時代でした。
★ 脱線をしてしまいました...
要するに、政治犯の世話をするということには、上述の例を御覧になってもおわかり頂けるかと思いますが、多くの危険性を含むということです。 デマスという男は、使徒パウロの面倒をよくみていたのでした。 相当に「ハラのできた人物」であったということになります。 教会と伝道者を支える多くのデマスが必要なのですが...
ところがテモテ後書4章10節を読んでみますと、こともあろうに、信仰の強かったこの忠実なデマスが、信仰を捨て去り、世俗を愛する者と変節し、使徒パウロを捨て去って、テサロニケに行ってしまったというのです。 理由はわかりません。
現在ではテサロニキと呼ばれていますが、ギリシャ北部の大きな港湾都市です。
漁業や海運業に従事する海の荒くれ男たちを相手に娯楽を提供する各種の職業を含めて、本来の船を中心としたいろいろな商売が盛んな港町として現在に到っています。
現在人口は40万人弱です。 デマスには何かよほど大きな誘惑があったのでしょう。
★ デマスがどのような理由で信仰を捨て去ったのか、そののちデマスがどうなったのか‥などは、放免されたバラバと同じように、聖書は何も語っていません。
『この自分は、キリストと称えられているイェスを、どうしようとしているのか』
ということが問われていたはずです。 この質問は極めて重要なものです。
皆さんがたにとっても、皆さんお一人お一人が自問自答して頂かなければならない重大な質問なのです。 皆さんへの聖書の問いかけなのです。 回答が必要です。
★ さらにデマスの「背教」ということとの関係では、別の問題提起があります。
それは、カルビン主義(カルヴァン主義)との関係で出てくるものです。
どうやら日本の教会では余り問題にされないようですが、この曖昧さには、日本人特有の国民性ということも絡んでいるのかも知れません。 カルビン主義が説く教えをひとことでわかり易くいえば、神の絶対主権を強調するという聖書解釈です。
カルビン主義信仰を堅持している教会は、主として長老教会、改革派教会、それにバプテスト教会です。 そこでは聖徒たちの救いの絶対性も含まれています。
the perseverance of the saintsと英語で言いますが、ひとたび救いに与った者はその救いを失うことはあり得ない once saved, always saved ‥という主張です。
その主な根拠はヨハネ傳6章37節にあるとされています。 2番目の留学先の大学で、すなわちバイオラ大学でも、そのように厳しく教えられました。
この解釈に従えば、デマスが背教した、信仰から離脱した‥ということは、これはあり得ないことである‥ということになりましょう。 バイオラの教理学の教授ならおそらく、『そのような者は最初から確かな信仰を持っていなかったからだ』と説明されるのかも知れないと推測します。
★ バイオラ在学中に、教理学のある教授に、『それでは、ヘブル書6章4節~8節をどのようにご説明なさいますか?』と、個人的に教授室を訪ねて伺おうとしたことがありました。 教授は烈火の如くご立腹になりました。 必須科目で落第点を採れば移民局との間で問題が生じます。 しかし、教授の聖書解釈には同意できませんでした。 私がヘブル書6章4節~8節を読む限り、信仰を喪失することがあり得るとしか読めなかったからです。 いやな思い出のひとつでした。
★ いずれにしましても、総督ピラトであれ、革命家で盗賊の首領のバラバであれ、あるいは使徒パウロを熱心に支えていたデマスであれ、あるいはまた、私たちひとりひとりが私たち自身に対して、『我、キリストと称ふるイェスを如何に為べきや?』と問い続ける必要があるのです。
主の日ごとに、主の食卓に招かれて侍るとき、私たちはこの質問に応答する必要があるのです。 ピラトでもなく、バラバでもなく、デマスでもないのです。 私たち自身が問われているのです。 私たち自身が答えることを求められているのです。
主の食卓に侍るとき、ヨハネ傳20章28節でトマスが告白したように、私たち自身も『わが主、わが神』と信仰の告白を確かなものにしたいと願うのです。 如何です?
★ ある日曜学校の先生が生徒たちに「世界の七不思議」について質問をしました。
生徒たちはいろいろな答を持ち寄って話し合いました。
結果的に、1. エジプトのピラミッド、2. 印度の白大理石霊廟タージマハル、3. グランド・キャニオン、4. パナマ運河、5. エンパイア・ビルディング、6.ヴァチカンの聖ペテロ大バシリカ、7.中国の万里の長城が挙げられました。
ところが、ひとりの女の子が、まだ答えていないことに先生が気づきました。
あらっ、どうしたの...?と先生がその子に尋ねました。
『あのね、答が余りにもたくさんあるので、どれを選んだらよいのかわからないんです...』と彼女は答えました。 『そうだったの、でもね、言ってごらんなさい』
少女は戸惑いながら口を開きました...
『見ること‥』、『聞くこと‥』、『触れること‥』、『味わうこと‥』、『感じること‥』、それに『笑うこと‥...』、『それから、愛することができることです』...
★ これらは人の手で作り出したり、お金で買うことができないものです。
これらは神さまから賜物として一方的に与えられているものです。
生徒たちはいろいろな答を持ち寄って話し合いました。
結果的に、1. エジプトのピラミッド、2. 印度の白大理石霊廟タージマハル、3. グランド・キャニオン、4. パナマ運河、5. エンパイア・ビルディング、6.ヴァチカンの聖ペテロ大バシリカ、7.中国の万里の長城が挙げられました。
ところが、ひとりの女の子が、まだ答えていないことに先生が気づきました。
あらっ、どうしたの...?と先生がその子に尋ねました。
『あのね、答が余りにもたくさんあるので、どれを選んだらよいのかわからないんです...』と彼女は答えました。 『そうだったの、でもね、言ってごらんなさい』
少女は戸惑いながら口を開きました...
『見ること‥』、『聞くこと‥』、『触れること‥』、『味わうこと‥』、『感じること‥』、それに『笑うこと‥...』、『それから、愛することができることです』...
★ これらは人の手で作り出したり、お金で買うことができないものです。
これらは神さまから賜物として一方的に与えられているものです。