2010年2月アーカイブ

顆しい天の軍勢と御使たち


★  ルカ傳2章13節~14節には、突然一方的に天からおびただしい天の軍勢が出現したことと、あまたの御使たちと共に、飼葉桶の中に眠る嬰児の誕生を誉め讚えた...と記されています。

  そのこととは対照的に、地の上では、暗黒と孤独と寒さに耐えながら羊の番をしていた羊飼いたちに神の御使が、これも突然一方的に現れて、大きな喜びを伝えた...と書かれています。

  共通していることは、「天から地に」ということと、「突然一方的に」ということと、「大いなる喜びと、栄光と、平安」が与えられたといいうことです。

★  これと同じことを、ヨハネ傳1章1節~18節で、ヨハネはヨハネらしい説明方法で語っています。  神である言葉が私たちの間に宿ったことと、父なる神の独り子の栄光がこの世に現れた...と語っています。  言葉は神であり、私たちの生命であり、私たちの栄光である...と説明しているのです。

  これらに共通していることは、「大いなる喜び、栄光、平安、生命」が、一方的に天から地に住む者たちに恩寵として、神の時が成熟したときに与えられたということです。

★  創世記の初めの3章にわたって、私たちに理解できるような方法として、神の国を構成する基本的な描写がなされています。

  エデンの園というものが、神の御旨と愛と義が支配する状態なり、神の御旨が及ぶ範囲というものを、私たちにわかり易く説明しようとしているのでしょう。

  創造主なる神と創られた人が共に穏やかに共に住んでおり、罪がまったくない状態に居ることを描写しています。  別の言葉を借りれば、天の国、神の国という状態を説明していると思います。

★  エデンの園の中で、たったひとつのことを除いて、何をしても全く自由であったアダムが、神のことばに逆らって善悪を知る樹の実を口にしたことで、神との人格的な信望愛の関係が根本的に崩れ去ったことを、罪というかたちで創世記は語っています。  人は、神なく、信ずるものなく、希望なく、愛なく、罪のなかにあるのです。

★  壊れ去った神と人との関係は、神のからの一方的な恩寵によって、赦しによってのみ復元できるのです。  そのために、神が定められた神の時が来た時、ベツレヘムにあまたの天の軍勢が現れ、天使の讚美の歌声と共に、神からの栄光と平安と生命と喜びが与えられたのです。

  これらはすべて地上で人が生み出すことができないものなのです。
すべてが天で用意され、すべが天から地の私たちにもたらされた祝福なのです。

★主イェスが、マタイ傳6章10節とルカ傳11章2節で私たちに対して祈りの基本的な要素を示されました。  いわゆる「主の祈り」と私たちが呼んでいる祈りです。

  すでに前述のように、おびただしい天の軍勢によって、天の栄光と平安が私たちに与えられた、与えられている...と書きました。  主イェスが「主の祈り」の中で指摘なさったことは、天の大いなる喜びが人々の心の中に来るように...ということです。

★  天に「大いなる喜び」がなければ地にその喜びは伝えられることはありません。天に信望愛がなければ、平安がなければ、生命がなければ、地にそれらが来るはずがありません。  天の国にそれらがあるので地に住む私たちは求めることができます。

  黙示録12章12節と18章20節は、天には大いなる喜びがあることを語っています。嬰児イェスが誕生なさった夜、天から遣わされたあまたの天の軍勢は、その大いなる喜びが私たちに与えられたことを語ったのです。  この喜びをこの地の上で人が作り出すことはできないのです。  それは一方的に神の方から恩寵として与えられるものです。  この地上の快楽が喜びを生み出すことはできないのです。  天のものです。

★  ピリピ書は、この天からの「大いなる喜び」について語っています。
短い書です。  いくどか、声を出して、熟読なさることをお勧め致します。とりわけ4章4節~7節を暗唱なさることをお勧めします。

★  ルカ傳17章21節は、神の国が「すでに、私たちの間にある」と語っています。神の国とは、魂がこの世を離れてから行く「場所」では必ずしもないのです。


 

イザヤ書42章3節

傷める蘆を折ることなく、
ほの暗き燈火を消すことなく‥

            イザヤ書42章3節

 

夢見る人


★  アメリカの歌謡作詞作曲家の一人にフォスター Stephen Collins Foster という人がいました。  1826年~1864年を生きた人です。  日本にも多くの名曲が紹介されています。  私が最初に留学したケンタッキー州にはフォスターが住んでいた屋敷があり、今でも多くの訪問客が後を絶ちません。  二度ほど訪ねたことがあります。
  そこで彼が作った名曲のひとつに、「懐かしのわが家My Old Kentucky Home」や、「Beautiful Dreamer 夢見る人」などがあります。  忘れられない場所と歌です。

★  今朝まだ空が曇っていた時、『御国を来たらせ給へ』という拙文を記しました。国籍や国境の違い、言語や文化の違い、歴史が生み出した軋轢などを考えました。
  そして、この地に住みながら、この地に属していない私たちの国籍は天にあることを考えてみました。

★  午後になって晴天となりました。  韓国や西日本に向かって次から次に飛来するジェット機が白いジェット気流の尾を引きながら飛んでいるのを目撃しました。

  私どもが住む八ヶ嶽南麓と甲府盆地北端あたりが、横田米空軍基地からと、成田・羽田両空港から韓国に向かう航空路の下にあるので、毎日毎晩遅くまでジェット機の飛行を頻繁に目撃できるのです。そのようなわけでいつものことですが、青い大空を仰ぎ見ながら、私も「夢見る人」の一人となって、いろいろなことを空想してみることが多いのです。

  上空を韓国に向けて飛んで行くジェット機を眺めるとき、国境や国籍を思うとき、そこで生まれて以来、生涯国境を越えて外国に出られない北朝鮮に住む人々のことを思います。  そして、日本を恨む韓国の多くの人々と、自分の国が犯した国家的犯罪に対して全く無知である日本人のこと、地上と天国の違いなど...、いろいろなことを思ってしまいます。

  固く閉ざされた国境の内側の北朝鮮に住んでいるあいだ、同じように空を仰いで、いろいろなことを空想し、願い、欲したはずの、抑圧されていた北朝鮮の人々で官憲の手で殺されてしまった魂が、今ごろは天国で自由を謳歌しているのだろうか...などと空想してみることがしばしばあります。

  先に私や妹を遺して天国に旅立った父のことや、私に聖書を教え、イェスに仕えることの喜びを教えてくださって、今は御国におられる恩師たちのことも想います。

  大きな教会堂の中でガウンを着用して、「牧師先生さま」と自称他称していた偉いお方が、逝去されたあと、今頃どこで何をなさっておられるのか‥などとも想像してみました。  自分が座るべき場所は、天国か地獄のどちらにあるのだろうか‥などとも考えてみました。  空を眺めては、青空のかなたの国を想うことが時々あります。
  白昼夢というのでしょうか‥無責任なことだと片付けてしまえることでしょうか?

★  ところで、聖書もまた、「夢見る人dreamers」のことを紹介しています。
創世記27章を読んでみますと、年老いて目が不自由になった父親イサクと兄エサウを欺いて、長子の権を次男坊のヤコブが奪い取ったというお家騒動があったことを学びます。

  父イサクを騙したうえに、自分も騙されたことを知った兄エサウは、当然のことですが、弟の命を狙うことになります。  兄の怒りが自分の命に及ぶと知った弟ヤコブは家を捨てて逃避行に出ます。  なんどき兄が派遣した追手に殺されるかも知れないと、弟ヤコブは絶えず恐怖の内に彷徨い歩きました。  心身共に疲れ果てたヤコブは荒野で野宿することになりました。  硬い石を枕にして眠り込みました。

  誰であっても、普通、硬い石を枕にして眠るということはありません。ヤコブの極限状態を表しています。  石の枕は、呪いと絶望のしるしともとれます。
  讚美歌に「主よ、御許に近づかん」というのがあります。  その2節に「石の枕」が登場しています。

  極限状態に追い込まれたヤコブは、荒野の仮寝の中で夢をみます。  自分の人生が重荷となり、自分自身の人生を呪っていたことを、「石の枕」が象徴しています。
  追われる身の不安いっぱいの人生の極限状態の仮寝の中で、硬い石の枕のすぐ横で天に達する梯子が現れ、梯子には天と地とのあいだを往き交う天使たちの姿をヤコブは見たのです。

  呪いと絶望のしるしとして捉えていた石の枕が、実は神からの祝福の出発点であることをヤコブは学んだのです。  呪いと絶望のしるしであった筈の石を立てて礼拝の柱とし、それに油を注いで新しい人生の出発点としたのでした。呪いの石、呪いの仮寝の場にも、神がおられということをヤコブは学んだのです。
  悪夢に苛まれていたヤコブは、神と出会って、神の愛を知る人と作り替えられたのでした。  悪い夢を見続けていた青年は、美しい夢を見る若者に変わったのです。

★  やがて時が流れ去り、この夢見る若者は、十二人の息子の父親となりました。「美しい夢を見た若者」に与えられた十二人の息子の中の一人が、今度は父親と同じように、「美しい夢を見る青年」に成長して行ったのです。
,
  創世記37章~41章にそのことがしるされてあります。
「美しい夢を見た父親」によって可愛がられた末っ子も、とんでもない「美しい夢を見る17歳の青年」となりました。  父親の愛情を一手に受けたこの「夢見る青年」を兄たちは嫌い、捕えて、エジプトに向かう隊商に売り払ってしましました。

  エジプトに売られた「夢見る青年」は、やがてエジプト王パロの右腕となったのです。  パロの夢を解釈することができたことでこの青年は更に出世したのです。ヨセフのことです。  「Beautiful dreamers」父子です。

★  芥川龍之介が翻案した小説に「杜子春」というのがありました。  幼かった時、その話を聞いて心を躍らせ、また気持ちが沈みました。  他人さまの家に「居候」をしていた私は、幼心にも、杜子春が自分のことのように思えたので、強い印象を受けたのです。  あの話も一種の「夢見る人 dreamer」を主題にしたものと思います。

★  父方の祖父のことをかすかに覚えています。  正太郎という名の貧乏人でした。珍しかったチンチラ兎を飼育していました。  兎で大もうけしたら...が口癖でした。しかし飴玉一個も買って貰えませんでした。  悪い夢を見ていた老人のようでした。

★  キリスト教会の中にも、「夢見る牧師」がいるようです。デッカイ教会を作るのだ...  だから信者を増やさなければいけない‥  献金額を増やさなければならない‥  集会数を増やさなければならない‥  牧師館を改築しなければ良い伝道はできない‥  駐車場を拡大しなければ人が集まらない‥  エトセトラ...
可視的面の拡大拡張が強調され、信者たちに負担を強いているようです。  共通点は「神の国の拡大」ということです。  共通点は信者たちに犠牲を強いている点です。

  アメリカや東北アジアの一部の国の牧師たちは、テレビ伝道というのをやります。そこでは、カメラと聴視者を意識して、癒しということが強調され過ぎる傾向があるようです。  豫言できる牧師先生さまだ...と評判の高い職業的牧師もいます。

  数万人が集まるメガ・チャーチというのを私たち夫婦はケンタッキーで訪問しました。  何とも言えぬ違和感を覚えました。  何でも全てのことが主の名によって正当化され、絶対化されているように感じました。  主の名をたくみに使ったショーバイであり、ショーでした。  申命記13章3節~5節を思い出させました。
  アメリカでは、この手の宗教ショーバイが根強いのです。  そして多くの人たちが騙されているのです。  東北アジアの或る国にも、この種の傾向があると思います。

★  新約聖書の終わりのほうにユダ書というのがあります。8節に、『これらの人々は、夢に迷わされて肉をけがし、権威ある者たちを軽んじ、栄光ある者たちを誹っている』と警告しています。

  教会という名の組織で、職業的宗教人たちが、主の名を用いて営むショーバイほど恐ろしいものはないと思います。  宗教酒に酔い痺れてしまうことほど恐ろしいものはありません。  エペソ書5章18節の警告は、宗教的に正常な価値感覚を喪失してはいけないということです。  「異常な霊的体験」などと称するものは、ガラテヤ書5章22節~24節と全く無関係です

  聖書的に「美しく夢見る人、美しい夢を見る人beautiful dreamers」となること、これは結構むつかしいものです。  上記ガラテヤ書5章22節~23章を熟読推薦です。
  神の栄光のため、主を知る知識と恩寵の成長のため、「美しい、健全な夢見る人」の増加と成長を願います。  神の国を夢見て、その到来を待望し、そのことを夢見る人たちが求められているのです。  たまには天空を見上げて、夢を見てください。


 

御国を地上に来たらせ給え


★  マタイ傳6章9節に『御国を来たらせ給へ』という主の祈りがあります。
御国が来ていない‥という告白と御国を恋い慕う切望でもありますし、御国を何処に来たらせるのか‥現在の自分の心の中に御国を迎え入れられるのか‥という問いかけでもありましょう。  いろいろと考えさせられる「主の祈り」の一部です。

★  すでに週報で書いたと記憶していますが、昨年晩秋にソウル歴史博物館で2回目の特別写真展が開催されました。

  そこで、長い韓国とのお付き合いの中で、初めてキリスト教会やクリスチャン以外の、十分な常識と教養のある韓国人たちと親しく接することができました。
  嘗ての清渓川(チョンゲチョン) スラムを追い出された人々の多くが現在でも厳しい生活を強いられている城南市(ソンナムシ) 一帯では、特別写真展会場となった博物館での開幕式とはまったく違った底辺層の韓国人肉体労働者たちと接することもできました。

  短期間ではありましたが、韓国人の日本と日本人に対する本音と建前を充分に察知し、理解するのに役立った、実りの多い訪韓でした。  多くの韓国人の日本と日本人に対する根強い、根深い、激しい拒絶感、厳しい憎悪感を改めて体験できました。

  1ヶ月にわたってソウル歴史博物館で開催された特別写真展を見に訪れた韓国人の多くが、私がソウル市に贈呈した数千駒のフィルムとカラー・スライドの中から選び出された多数の写真を見て衝撃を受けたようです。  三大テレビ局が全国に報道したこともあって大勢の人々が博物館を訪れた‥と、学芸員が報告してくださいました。

  現在の多くの韓国市民は、自分の国に30年~40年前に酷いスラムがソウル中心地に存在していたことすら知らなかったということと、そこで無名の日本人福音伝道者が奉仕していたということを知って、二重の衝撃を受けたようです。

★  今回の「外国人が見た嘗てのソウル回想」と題した写真展の他に2004年11月に同じソウル市の清渓川文化会館で、当時の市長で現大統領李明博(リ・ミョンパク) 氏の招待を受けた私ども夫婦が最初の写真展開幕式に出席したことがあります。
  私の挨拶内容が、清渓川復元公約を果たして市長に当選した李明博氏の期待に必ずしも添わなかったためだったのか、派手な国内向け宣伝は控えられたようでした。

  しかし、この時の開幕式と写真展そのものと、その時に発行された第1回写真集の存在を知っていた一人の新聞記者が、今回の特別写真展をきっかけに、私ども夫婦を取材するために来岳され、昨年の国民日報紙のクリスマス特集号で紹介されました。

  国民日報社というのは、ソウルの中心地にある汝矣島(ヨイド) に荘厳な教会堂を有する純福音教会(趙yonggi牧師)母体の超保守的なキリスト教の日刊紙で読者層は広いそうです。  ただし、私個人としては純福音教会が唱える聖書理解・信仰理解に賛同している訳ではありません。  多くの疑問を抱いたままでいます。

★  無名の日本人福音伝道者が、朴正煕パッチョンヒ軍事独裁大統領時代に、ソウル市内のスラムで奉仕をしていた...ということで、記者や新聞社の都合もあって、誇大表現や誤解もありますが、記事を読んだ韓国人の多くから新聞社に問いかけがあったそうです。  新聞社の規制にもかかわらず、何人かの読者がどのようにして入手されたのか不明ですが、韓国式の暖かい、過大な感謝の言葉や、肌着の贈物を頂きました。

  これらの連絡文にも、日本と日本人に対する深い疑心と憎悪心を感じることができます。  そこには癒され得ることがないように思える断絶の壁を感じます。
  豊臣秀吉による朝鮮侵略を契機とする過去5百年に渡る二国間の不幸な歴史過程、国籍・国境・文化的背景の違い・価値感覚の違い・民族性の違い...そして聖書理解や信仰理解の違い‥、いろいろと解決不可能に思える問題が堆積・山積しています。

★  少なくとも日本の教会は、まず自国が侵した国家的犯罪に対する負い目の理解と被害者への謝罪を真剣に学ぶ必要があります。  西獨逸のワイツゼッカーがたくさん必要です。

  それと同時に、韓国教会は、「主の祈り」の赦しの部分を真剣に学び、十字架の上で主イェスが示された赦しと和解を学び、実践する必要があります。  私たちの国籍は、この世にあるのではなく、天にあると教えているピリピ書3章20節を初めとし、使徒パウロが説いている十字架のイェス・キリストに在って一つとなり、一つの教会を建てるということを学ぶ必要があると、私は確信しています。

  豪勢な教会堂を建設したり、大きな信者数を誇ることではなく、赦しと和解を実践する教会に韓国教会は育つ必要があると私は確信し、そうあるように祈っています。
  国籍、国境、政治...そのような地上的な、どうでもよいようなものに私たちが支配されている限り、十字架のイェスの恩寵の豊かさを体験することはできないと考えています。  この世に属している憎しみから私たちは解放される必要があるのです。

  『御名が崇められ、御国が来たり、御旨が為されるように』祈りたいものです。


 

御薦さん・お乞食さん


★  現在では死語か差別用語に近い感覚の言葉で、私が幼いころ京都でよく耳にした
語彙のなかに、御薦(オコモ) というのがありました。  薦被り‥から、乞食という意味
でした。  露骨に乞食とは言わずに、お乞食さん‥と祖母や叔母は言っていました。

  そして、当時、私は幼かったのですが、たくさんのお乞食さん、御薦さんを京都の
街角で目撃したものでした。  修業をする托鉢坊や虚無僧(コモソウ)=薦僧(コモソウ)のこと
も、確か御薦さんと呼んでいたように記憶しています。  物乞いをしていたからなの
でしょうか...  道端に座り込んで物乞いをしている人は多かったように思います。

  敗戦後は、白衣をまとった傷痍軍人が街角や電車の中で募金を願っていました。
現在は、そのような形でのお乞食さんを見なくなりましたが、ホームレスという形を
取った社会現象が、主として大都会で深刻な社会・政治問題になっています。

  朴正煕パッチョンヒ軍事独裁大統領時代のソウル市内や清渓川スラム周辺で乞食をする
人を見かけたことはありませんでした。  しかしスラムそのものが一種の乞食大集団
であったかと思います。  お乞食さん、御薦(オコモ) さんの話はこれで終わります。

★  それではイェスの時代のエルサレム市内はどうだったのでしょうか?
まあ、ある意味で、ローマ帝国の広大な領土そのものが、ローマという都市を中心に
した、お乞食さんの回遊街道そのものであったと言えるでしょう。

  巨大な水族館の水槽の中をさまざまな種類の無数の魚たちが、同じ方向に向かって
回遊し続けているように、ローマ帝国領土内を、無数の貧しい人々や兵士が歩き回っ
ていたようです。

  そのように、ローマ帝国領土内を当てもなく彷徨い歩く極貧者たちの民族の大移動
の流れに乗ることすらもできなかった人々は、結局のところ大都会の城壁の外側で、
城内へと通じる道路の両端にしゃがみこんで、城内に用事のある人々を相手に、城門
のあたりで物乞いをする以外に生きる方法がなかったのです。

  視力の不自由な人、聴力に問題があった人、歩行困難な人、手足を失った人、酷い
皮膚病を患っていた人...  これらの人々は帝国内を彷徨い歩いてその日の糧を何とか
得ようとすることもできなかった人々です。  生きたまま死んでいた人々であったの
です。  社会の癌、社会の厄介者、招かざる人たちであったのです。

★  マタイ傳11章4節~5節は、そのような人々に対して、この世の中でいと小さき
者たちに対して、主イェスの福音がすでに宣べられていた‥と語っています。
10章42節もそのことを肯定していますし、25章の40節もそのことを確認しています。

  これらの人々は、この世で一人の人間として顧みられることがないのです。
彼らの心の奥底からの叫び声が聞かれるということはあり得ないのです。
  これらの人々に対して、ひとり一人の人間として、人として当たり前の声をかけて
くれる人もいないのです。  自分の存在が完全に無視されたままの人々でした。

  完全に生きたままで暗黒の世界、死の世界に住まわせられている人々なのです。
ルカ傳1章79節が言う、『暗黒と死の陰に住む者たち』なのです。
そして、彼らの多くは、自らの意志や希望でそうなったわけではありませんでした。

★  このような社会の不条理の中で、生きることの極限にまで追いやられていた人に
ヨブという人がいました。

  誰にもわかってもらえない苦痛、誰にも聞いてもらえない心の奥底からの叫び声、
誰にぶつけてよいのかわからない心の痛みを、当時としては極めて高価であった筈の
羊皮紙なりパピルスに書き留めておきたい!...と願ったようです。

  しかし、羊皮紙やパピルスでは燃えたり、破けたり、変色したりする可能性がある
から、むしろ岩石に鉛で自分の心の底からの叫びを書き記すか、それとも鉄筆か鉄斧
で岩石に刻みつけて残したい!‥とヨブは絶叫しています。  19章22節~23節です。

  裕福であったヨブは、前述のマタイ傳11章が語る、城門傍に当てもなく座り込んで
いた人々と同じほど苦しい目に遭遇していたのです。  ヨブの叫びは、エルサレルム
城門脇の人々の叫び声でもあったのです。

★  このような不条理な状態に置かれている人々というのは、現在でもこの世に中に
数限りなく存在しているのです。  これは、アダムとエヴァが理想郷であったエデン
の園で罪を犯したのち、こん日まで続いている、罪が生み出した結果なのです。

  この罪の世の中に在って、私たちは、今にも折れてしまいそうな弱々しい、傷つい
た一本の蘆、ほの暗くて、今にも吹き消されてしまいそうな燈芯にしか過ぎない存在
なのです。  そのようにイザヤ書42節3節は説明しているのです。
  このように、いと小さき者、いと弱き者は、悲しみの中に沈む者でもあるのです。
悲しみと溜め息の中に生きている存在です。  悲しみの人たちなのです。

★  ところが、聖書は、ほんとうの『悲しみの人』のことを語っているのです。
イザヤ書53章4節です。  イザヤ書53章全体は、私たち人間の罪のために、人類に代
わって苦悩するために生まれて来た救い主、メサイヤの生涯を豫言しているのです。
  悲しみの人であり、人々から侮辱され、人に捨てられ、病を知っていた人でした。
人々から打たれ、屠殺場に曳かれて行く羊のように黙して口を開くことをしなかった
人でした。  エルサレム城門の傍で物乞いをしていた乞食同然の状態です。

★  神は、この十字架のイェスを神の御子とされ、私たちの救い主とされたのです。
このイェス以外に、天下廣しと言えども、私たちを救い得るお方はないのです。

  エルサレム城門脇で、ひたすらに救われること、聞かれること、目を留めて貰える
ことを待ち望んでいた、悲しみの人、お乞食さん、御薦さんというのは、実は、この
私のことであり、みなさんのことであったのです。  城内の、良く出来る人、偉い人
ではなかったのです。  イェスの福音は、私たちのためであるのです。

  一方的な恩寵によって救いを得た私たちは、このイェスに対して最後まで忠実な僕
でありたいと願うのです。  なぜならイェス以外に私を救い得る人はいないのです。


 

コリント前書1章18節

十字架の言葉は、滅び行く者には愚かであるが、
救いに与る私たちには、神の力である。

            コリント前書1章18節

 

無何有郷、utopia ユートピア


★  中国の戦国時代思想家に逍遥遊(荘子)という人物がいました。
生没年不明ということですが、凡そ西暦前 370年~300 年を清貧に生きた人物のようだとの説もあります。  その荘子が唱えた理想郷、すなわち、自然のままで、何らの人為もない楽土のことを、無何有郷(ムカウノサト・ムカウノキョウ)というのだそうです。
  平凡社の百科事典に詳しく紹介されています。  読みながら、このような思想家がこん日の永田町の薄汚い政治屋たちに対して活を入れて貰いたいと思いました。
  万葉集(16)には「心をし無何有郷に置きてあらば」というような表現があるようでして、これも荘子からの引用でしょうか...

★  一方、1745年~1853年をロンドン中心に生きた、英国の優れた政治家、思想家にトーマス・モーア Thomas Moreがいました。  オランダ人の人文主義者で古典語学に造詣の深いエラスムスやコレットと交友関係にあり、古典や法律を学び、枢密顧問官や下院議長や大法官を歴任した信念の人物でした。

  忠実なローマ・カトリック教会員としてマルティン・ルターの宗教改革が起こったときこれに反対し、ヘンリー8世の「国王至上主義法」に反対し、国王のキャサリンとの離婚と、アン・ブリンとの結婚に反対し、反逆罪に問われて処刑されました。

  英国王権と教会権力から自由な社会を理想国家と考え、「ユートピア」という造語を作り出し、「ユートピア」という題名をつけて、最初ラテン語で出版しました。
  モアーが、ギリシャ語の ou = noと topos = placeを組み合わせて編み出した造語で、「どこにもない場所」を意味し、副題には「社会の最善政体について」をつけています。  独裁的国王権力と教会権力が支配する英国社会の堕落と貧困とは裏腹に、モアーが心から願った理想的国家像 On the Best State in a Republic  が描かれており、新世界に向かう大西洋上の島で理想郷が建設されて行くという主旨です。

  私の手元に、彼の生涯を描いた映画ヴィデオがあります。
「わが命つきるとも A Man for all Seasons」と題した作品で六つのアカデミー賞を得たものです。  王権か信仰か...どちらを選ぶのか...を問いかけた作品です。

★  さて、いつものように前書きが長くなりました。
アダムとエヴァが、理想郷であったエデンの園で罪を犯し、理想郷を喪失してまって以来、人類は荒廃しきったこの世の中に在って、失われてしまったユートピアを捜し求めて現在に到っています。  エゴイズムと死が人間を支配したままです。

★  しかし、エペソ書1章9節~14節から、聖書が語る理想郷を考えてみましょう。
そこでは、「神ご自身が定められた時に従って、天に在るものも、地に在るものもがことごとくキリスト・イェスに在って一つに帰する‥」と書いてあります。

  私たちが受け継ぐべき神の国に関して言及されています。
そこでは、贖われた者たちが神の栄光を誉め讚えるとも記されています。

  それは黙示録21章と22章が語る内容を彷彿させています。
新しい天と新しい地が描かれ、新しい聖い都、新しいエルサレムを示唆しています。
そこでは、主なる神が私たちの神となり、私たちは神の子供として描かれています。
  地上生活ではひとときも絶えることがなかった溜め息と涙がすべて完全に拭い去られ、もはや死もなく、悲しみもなく、叫びもなく、痛みもない状態が現れてきます。

★  この厳しい、寂しい、辛い地上人生に在っては、目標を定めて、希望を抱いて、ひすらに来たるべきよりよき世界へと歩み続けて行く巡礼者の人生、求道者の歩みの喜びを私たちは味わっています。  そして、そこには常に同行者イェスが同伴されているという確信と体験の喜びが私たちには与えられています。

★  そのことを私たちは、ひと回りの初め日ごとに、主の食卓に招かれて侍るときに確認しているのです。  神の国、天国というものは、ひらべったいある一定の空間、一定のスペースを持つ、周囲に囲いのある場所という意味では決してありません。神の愛と義が支配する、神の主権が及んでいる状態を指し示しているのです。

  そのことを、私たちが主の食卓に与るとき、同行求道・巡礼者たちと共に、神の国をすでに体験していると言えるのです。
  私たちの無何有郷、ユートピア、理想郷とは、イェスにあってすでに来ている現実であり、また、私たちが希望を抱いて求道し続ける人生行路、巡礼し続ける人生航路の目的地でもあるのです。  同伴者イェスと共に、同行するエクレシアの仲間と共に歩み続けて行きたいものです。


 

旧暦のお正月


★  先週末から今週初めにかけて、中国や韓国など北東アジアでは、旧暦の正月でし
た。  私が幼かったころ、農業に従事していた人たちの間で、まだ旧暦で生きていた
人々が存在していたように記憶していますが、こん日のわが国のカレンダーからは、
京都を除いて、旧暦は姿を消しました。  旧暦のことを太陰太陽歴と明治維新前には
呼んでいたと思います。  1872年(明治5年)12月3日を新暦の明治6年1月1日と
しました。日本で旧暦がすたれたのも脱亜入欧という風潮があったのでしょう。

★  一方、旧暦が生きている韓国ではお正月、民族の大移動がありました。
アメリカの感謝祭の週末のように、人々は実家に戻り、大勢の人々が集まって正月を
祝ったのです。  子供たちは大人から貰えるお年玉を当てにしていたようです。

  『ハラボジ(お爺さん)、お年玉を頂戴...』と冗談を書いてきたソウルの寡婦もい
ました。  そこで『日本では旧正月を祝う習慣がない』と韓国の友人たちに伝えます
と、『初めて知った‥驚いた‥』ということでした。  それでも少額のお年玉を寡婦
に送りましたら、『これで一生涯食べていける!』‥と、返事が来ました。

★  そこで思ったことですが、ひとつの文化圏・宗教圏で大切にしている祝祭日も、
他の文化圏、宗教圏に生きる者にとって、何の変哲もない、まったく無関係な他国の
祝祭日であるということです。

  祝祭日とは、だいたいにおいて、そういうたぐいのものです。  たとえその祝祭日
に納得できなくても、それはそれで尊重して、理解してつき合うしかありません。

  このことを別の角度から考えてみますと、その人にとって、その地域に住む人々に
とって、その特定の宗教行事や文化背景に固執している人々にとって、その祝祭日が
どんなに重要なものであったとしても、そうでない国や地域の人々にとっては、その
ような祝祭日や飾り物やそのための特別な食物は、「どうでもよいこと」なのです。
  全く無意味な、無関係な、相対的なものなのです。  そのことに生命をかける必要
などないのです。  たくさんのオカネと時間とエネルギーを注ぎ込む必要の全くない
ものだ‥ということなのです。  教会も自称クリスチャンも気をつけたいものです。

★  使徒パウロはロマ書14章で、信仰の弱い人々が、周囲の文化的・宗教的背景から
来る、イェス・キリストを信じるという基本的な信仰理解と関係のない、伝統に支配
され、特定の食物を食べる‥、食べない‥とか、特定の日を重んじる‥、無視する‥
とか、見解の違いが論争を招いていたことに言及しています。

  いろいろな文化的、地理的背景の違いや、多種雑多な偶像諸宗教の伝統が混在して
いた国際都市ローマに住んでいたクリスチャンたちに手紙を書いたのです。  信仰の
弱い人を受け入れるようにという配慮が背後にあります。

★  ところが、ガラテヤ書1章6節~10節やコロサイ書2章8節~23節で、同じ使徒
パウロは、特定の季節、祝祭日を主張し、特定の食物を食べる‥食べてはいけない‥
などと主張しているクリスチャンたちに対して、ロマ書14章とは違って、厳しい言葉
で警告を発しています。

  これは、明らかに当時の地中海沿岸の諸教会に浸透し、蔓延していた二元論の悪い
影響を意識してのことです。  グノーシスの影響に厳しい姿勢を示しているのです。
すなわち、「信仰の強い人」たちに対しての警告です。

★  こん日の世界中のキリスト教のほとんどが、実は、使徒パウロが厳しく警告した
特定の季節や月日を、「あたかも聖書が語っているかの如く」に説き教え、奨励し、
実行しているという事実です。

  『そのようなことを聖書はまったく知らないし語ってもいない!』と唱えることの
ほうが、「おかしい」と、そのようになっているのが現状です。

  聖書が語らない月日や季節を強調するのではなく、聖書が語らないことを祝うので
はなく、聖書が語り、指し示す十字架の栄光の主イェスと、その死と、その埋葬と、
その復活と、その昇天と、その再臨こそが、聖書が語り伝えるメッセージであるので
す。  降誕節、レント(大斎節)、灰の水曜日、復活祭...いろいろとありますが‥

★  『この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
あなたは自分の知らないものを拝んでいるが、私は知っているかたを礼拝している。
まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。
そうだ、今きている。  父  は、このような礼拝  をする者たちを求めておられる』
  イェスはこのようにサマリヤのスカルの町はずれの井戸端でサマリヤの婦人に語っ
ておられます。  ヨハネ傳4章1節~26節です。

  『あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分の内に宿っていることを知らない
のか』...『あなたがたは知らないのか。  自分のからだは神から受けて、自分の内に
宿っているのは聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないの
である。  あなたがたは代価を払って買い取られたのだ。  それだから自分のからだ
をもって、神の栄光を表しなさい』...と、コリント前書3章16節と6章19節~20節で
使徒パウロは個人個人の在り方に関して力説しているのです。

★  『主の死とその来たり給う時にまで及ぶ』という、主の食卓こそ私たちが集まり
覚えるべき厳粛なひとときであると確信します。  コリント前書11章26節です。


 

十字架のこと、いろいろ


★ 「丘に立てる粗削りの十字架」          
 
★ 「十字架という処刑方法に就いて」   
  
★ 「黒人霊歌 君もそこに居たのか」  

★ 「讃美歌 136番 血潮したたる」   
 
 


  追加情報です。  主イェスの十字架上の受難を表現するに相応しい讚美の歌として
いろいろなものがありますが、讚美歌 136番・聖歌 155は特に有名だと思います。

  『血潮したたる主のみかしら』(讚美歌)にせよ『いばらの針』(聖歌)にせよ、
この荘厳な讚美歌はバッハの受難曲によって多くの人々によく知られています。
英語では" O Sacred Head, now wounded "としてよく知られています。
  この讚美詩は原文のラテン語から直訳されたものだと考える人が多いようですが、
実は獨逸人で敬虔な詩人パウロ・ゲアハードが、クレルヴォーのベルナール Bernard
のラテン語で作詞した十字架のイェスに関する詩文をまず獨逸語に訳したものである
とされています。  しかし、この学説に対して疑義を抱く人も少なくないそうです。

  ベルナールはフランス語読み、獨逸語ではベルンハルト、英語ではバナードです。

使役犬セント・バナードの語源ともなっています。  西方修道院制度の父とも呼ばれ
ているベルナール神父はフランス人で、優れたキリスト教思想家、神秘主義者として
も有名です。  基督者としての敬虔な品性や優れた芸術文化的才能の持ち主としても
秀でていますが、同時にそのことで、回教徒たちの手から聖地奪回を謳った十字軍を
賞賛激励したり、同じ基督教界の中で論敵を撃破するという理論家でもありました。

  ベルナールの作詞したこの讚美歌は極めて中世期的な響きと修道僧的な薫りが漂う
ものです。  修道僧は十字架の数珠を使いながら祈祷していましたので原文の詩にも
そのような配慮がなされてあったのです。

  即ち、私たちが現在讚美している歌集にはふつう四節しかありませんが、元来の詩
では十字架に架けられた主イェスの体を両脚、両膝、両手、両脇、胸、心臓、頭部の
七つに分けて考察し、主のみ体の各部分について更に五十行を割いて詳しく描写し、
それらのことを想い唱えながら十字架の数珠を手に黙想するように作詞されていたの
です。  また、私がバイオラ大学で習った時には、主イェス・キリストの体を十二に
分けて、修道僧たちは主イェスのお苦しみを想ったのだとの説明もありました。
七と言い、十二と言い、共にそれらは完全数を表しているからです。

  いずれにせよ、そのような敬虔な黙想のために、時間をかけて主の十字架の苦悩を
記憶するために作詞された讚美詩です。  私たちも同様に心して讚美したいですね。

                              《十字架のこと いろいろ》完

 

 
 黒人霊歌の中に Were you there when they crucified my Lord ? という曲があり
ます。  『君もそこにいたのか』で、讚美歌II集177 と聖歌 400がそうなのです。
  あなたと私がそこに居たのです。  そしてあなたと私の罪が、私の手が、あなたの
手が、主イェスの両手首と両足の甲羅にあの太い釘を打ち込んだのです。  どのよう
に主にお詫びを申し上げたら良いのでしょうか?  唯ただ罪を悔い改める以外にあり
ません。

  『あなたが口でイェスを主と告白し、あなたの心で神さまがイェスを死者の中から
よみがえらせて下さったと信じるならば、あなたは救われる...』とロマ書10章9節は
勧めています。  イェスさまを救い主として心の中にお招きする必要があります。

      讚美歌 136、聖歌 155、 437 の歌詞を噛み締めながら讚美しましょう。
  私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死んで下さったことに
  より、神は私たちに対する御自身の愛を明らかにされておられます。

  神は罪を知らない方(即ちイェス)を私たちのために罪とされました。  
それは私たちがこの方に在って神の義となるためです。

  なぜ生きている方を死人の中に捜すのですか?  復活されました!

(上から順にロマ書5章8節、コリント後書5章21節、ルカ伝24章5節~6節)

感謝です!  讚美歌  146

2003年3月21日八ヶ嶽南麓    野村基之
〒408-0031  山梨県北杜市長坂町小荒間1381  電話 0551-32-5579
motofish@eps4.comlink.ne.jp
www.bethanyhome.net/


 (注  以上は八ヶ嶽南麓ベタニヤ集会用に毎週発行している「ベタニヤつうしん」と
いう週報に、2003年2月21日に掲載した文章を改めてご紹介するものです。)

  太平洋戦争敗戦直後に私は盲腸炎を患い旧大日本帝国陸軍軍医殿の執刀で切開手術
を受けたことがあります。  荒っぽい軍医殿で医療品の極度の不足もあり、痛い手術
でした。  醜い傷跡がそのまま残っています。  外科手術は大嫌いです。

  同じく敗戦後に旧制の明治学院高校を卒業して東京獣医畜産大学に入学し、解剖学
の授業がありました。  麻酔薬の不足から野良犬の活体解剖があり失神しました。
  ますます外科手術が嫌いになり、獣医学校卒業を前に中退しケンタッキーに聖書を
学びに転校しました。

  1954年~1961年の赤貧留学生活を経て帰国、翌年に或るおかしな交通事故に巻き込
まれて左腎臓を失いました。  その時にも適切な抗生物質がなく、治癒が難航し、
大量輸血でC型肝炎ウイルスを得ました。  更に酷い傷跡が残っています。  そして

現在でも常に左脇に鈍痛と違和感があり、これは私が死ぬまで絶えず私を悩ませるも
のです。  贖罪主イェスさまの十字架上の痛みを記憶させて頂くために神さまが私に
与えて下さった特別な恩寵だと考えています。

  交通事故は熊谷で起きました。  その日の朝、軽井沢でホイートン神学大学教授の
テニー博士が「主イェスの十字架の苦痛」の話しをなさり、それを伺ってから帰路に
ついたのでした。  そしてその日の午後に独りで手術台の上に乗せられたのでした。

  次に数年前に脱腸で再び手術台の上に乗りました。  全身麻酔といっても医師たち
の会話は聞こえて来るものです。  その時も主イェスさまの十字架を想いました。

  このような個人的な外科手術の体験が重なった人生を経た者ですので、どうしても
十字架上の主イェスの肉体的・精神的・心理的・信仰的なお苦しみの一端を推測して
しまいます。  けれども、ロマ書8章28節が語るように『総てのことは相働いて益と
なる』のです。

  ここに改めてご紹介致します拙文が、主イェスに対する皆さまがたの感謝の思いを
更に深められるのに役立つことを心から願っております。  とりわけ、皆さまがたが
聖晩餐に陪席なさる時に、主のお苦しみと愛の深さを、皆さまがたがより善くご理解
なされるようにと心から願うものです。
                            >>>讃 美歌 136番 血潮したたる 

 

(2003・03・21を改定)

  十字架はローマ帝国領土内僻地で、奴隷や身分の低い者、或は非ローマ市民で重大
な犯罪を犯した者に課せられた残忍な処刑方法だったと聞いています。

  紐で十字架に死刑囚を縛りつけたまま、或は手足を釘で刺してぶら下げたまま放置
し、餓死させたとも聞いています。  死に絶えるまで群衆の目に晒す目的で街の外の
小高い丘の上が選ばれる事が多かったようですが、そこは同時に、上昇気流の激しい
場所でもあり、脱水状態に陥り、喉がカラカラに乾き切るような状態で餓死するよう
に仕向けたようです。  時として、苦痛を倍加させながら同時に死を早める為に脚の
骨を折る事もあったようで、ヨハネ伝19章31節以下にそのような言及があります。

  十字架型以外にもT字架もあったようですし、後になるとX字架型も使われたそう
です。  清里の清泉寮のはX型で十字架を斜めにした形です。  使徒アンデレが架け
られた形だと言われています。  『主イェスさまと同じ形では申し訳がないし、使徒
パウロは同じ理由から逆さまに磔られたのだから、自分は斜め横型の十字架にして欲
しい!』とアンデレが申し出た...とされています。  参考までにですが、英国国旗は
主イェスさまの十字架とアンデレのX型十字架の二つを重ねたものだそうです。

   次に、十字架の処刑史ですが、ざっと調べたところでは、アッシリヤ、ペルシャ、
カルタゴ(フェニキヤ)エジプトなど、主としてセム族系の国で用いられた死刑執行
の残忍な方法であったようで、最初は棒杭・棒柱から始まったと言われています。

  主柱となる杭は、私たち日本人には一辺が約40糎程の太さで長さが4米前後の頑丈
な材質の大黒柱のような棒杭とでもいえば分かり易いのかも知れません。  この柱に
革紐で囚人を縛りつけて刑の執行をしたようです。  また、主柱には体を休める為の
一種の鞍のような木片がついていたという学説もありますが、足を支える小さな木の
台があったのかどうかに関しては疑問視する学者もあるようです。

  固い地面には主柱を立てる為の1米前後の深い穴が杭のサイズに合わせて予め掘っ
てあったとも聞いていますから、同じ柱を何度も何度も使ったものと推定します。
  それですから、死刑囚は自分が刑を受けるその主柱に組み合わせる横木だけを自ら
運ばされたようです。  運ばされたと言っても、両手で脇に抱えて運んだというより
は、両手首を横棒の両端に縛りつけられたまま、横棒を首の後ろの肩に乗せたままの
姿で運ばされたのだと思います。  この不安定な姿勢で引きずり歩くだけでも相当な
苦痛だったのでしょう。  前のめりに倒れても自分を支えるものは何もありません。

  横棒と簡単に言ってしまいましたが、主柱の長さと太さから考えてみても、また、
東洋人よりも腕の長いコーカサス系(白人種の別称)やセム系(アフリカ系)の男が
広げる両腕の長さから考えてみましても、或はまた、囚人の全体重を支える為の釘の
太さから考えてみましても、横棒は一辺25糎から35糎四方の重い頑丈な角材でなくて
はならない筈ですし、長さは少なとも2米から2米50糎前後はあったものと思います。
  腕の短い東洋人の男でも両手の幅は一間、即ち 180糎前後はあります。 
この角材に両腕を縛られたままで処刑場まで運ぶ厳しい刑罰です。
(尤も、主柱は処刑の後に焼却したという説もあります)

  もしこれが処刑囚の受ける刑罰の一部だとしますと、マタイ伝27章32節、マルコ伝
15章21節、ルカ伝23章26節で描写されていますように、主イェスだけが重い十字架を
自ら背負わさせられ、長い道のりを歩かさせられたという事になりますので、イェス
にだけ特別に余分な苛酷な肉体的疲労を与える為に、また、侮辱から来る余計精神的
苦痛を科す目的があったのではないのかな...と、そんな事を私は推測しています。

   さて、十字架に囚人を架けて殺すという処刑方法は、その残忍性から古い時代から
用いられて来たと既に述べましたが、更に具体的に考えてみましょう。  出来るだけ
囚人を苦しめる事と目撃者たちに強い印象を与える事を目的としたのでしょうから、
まず地面に倒して置かれた主柱に囚人が担いで来た横棒を組み合わせて十字なりT型
を作ります。  そしてその十字架に囚人を押えつけて乗せ、両腕を横棒に革紐で縛り
つけるのです。  処刑中にもし雨が降ってその後で再び太陽が出て来ると革紐は乾燥
し始め、引き締まり、結果的に囚人の手首に食い込むようになるのです。

  主イェスの場合には、恐らく紐で手首を縛った上で、太くて長い鉄製の釘を手首に
打ち込まれたのでしょう。  横棒に両腕を縛りつける時、左右に腕をピンと伸ばした
儘で縛りつけるのではなく、両腕が上下に少し動くような余裕を持たせた上で、刑の
執行人たちは手首の柔らかい所を狙って太い釘を打ち込んだのです。

  その場合にも、左右に二組に別れた執行人たちが両腕に釘を同時に打ち込むのでは
なく、囚人の苦痛を増す為に、見物人への見せしめ目的もあって、どちらかの手首に
釘を先ず打ち込んだ後で、今度は反対側の手首を貫通して太い頑丈な主柱へと鉄釘を
打ち込んだのです。  麻酔は使いませんから激痛で気絶してもおかしくありません。
  (あなたの創造力を全部使って主イェスのお苦しみを想像してみて下さい。)

  釘を打ち込まれた囚人が痛みでもがき絶叫する中で十字架が太いロープで引き上げ
られ、十字架の下の部分が予め掘られた穴の中にドスンと落とされるのです。  その
時の衝撃はそのまま囚人の手首の傷に伝わります。  手首だけで全体重を支えている
のですから手首の傷は次第に大きく開いて行きます。  想像するだけでも残酷です。

  次に執行人たちは囚人の左足の上に右足を重ね、両足の甲羅に太い釘を打ち込むの
です。  私の推測では釘の長さは少なくとも40糎から50糎なければ両甲羅を突き刺し
て主柱に打ち込めないと思いますし、太い釘でなければ激しい痛みで暴れてのたうち
回る囚人の体重を支えられないでしょう。  両膝の部分は縛りつけてないので自由に
動けるようにわざとしてあります。  こうして囚人は十字架へ架けられたのです。
  後は、想像を絶する苦痛の中でジリジリと囚人が弱り、遂に死に到るのを待つのみ
です。  これだけを考えただけでも私たちには耐え難い事な筈です。

  釘付けされた囚人の両手首の傷には彼の体重の総てが掛って来ます。  そして体は
下の方に少しずつ垂れ下がります。  激痛を越えた痛みが手首に加えられます。
痛いので暴れますから傷口は益々拡大し、身体は下にと垂れ下がります。  激痛は彼
の全身を走り、脳に達し気絶を招きます。  然し、体重が身体を下に引きずり落とし

ますから両手首に掛る激痛で再び正気に戻ります。  身体中の神経を走る激痛で麻酔
なしの身体はのた打ち回るのです。  その動きが肉を裂き、更なる激痛を招きます。

  両膝を縛らない理由がここにあります。  身体を動かせるようにしておいて囚人に
暴れる折りを与え、それによって更なる激痛を加える目的があるのです。  中枢神経
に激痛が走りどうしです。  両手首と両足を釘付けにされた身体は腰の辺りの自由な
部分を中心にして十字架の上で海老のように踊るのです。  気絶と正気との間の往復
が繰り返され、ジワジワと、そして急速に体力を喪失させる残酷な処刑方法です。

  極度の、焼けつく炎のような激痛が指先から手首に、そして両腕に、更に脳神経へ
と走ります。  両手首を貫通している太い釘とその傷口は絶え間なく中枢神経を刺激
し続け、正中動脈や静脈の働きを妨害します。  身体の重みで垂れ下がる自分自身と
それから来る激痛から自分を救う為に無意識に囚人は身体を上に持ち上げようとしま
す。  それをする為には、釘が突き刺さったままの両甲羅で自分自身の身体を上へと
押し上げながら、同じように釘が突き刺さったままの両手首で身体を引き上げるしか
方法がないのです。  破られ砕かれた甲羅と手首の中を走る神経に激痛が走ります。

  体力を殆ど使い果たしている囚人には身体を上に引き上げる力は残っていません。
  気絶も出来ない程の激痛です。  やがて両腕は疲れ果て、痙攣が総ての筋肉を襲い
ます。  休む事のない激痛が次から次へと津波のように波打ちながら続きます。
こうして麻痺した筋肉は垂れ下がる身体全体を上に持ち上げる事をしなくなります。

  両手首だけで万歳の姿勢で垂れ下がってしまって、自分の身体を上に持ち上げる事
がもはや出来なくなったという事は、空気を吸入する事が出来ても吐き出す事が出来
なくなるという事です。  つまり呼吸する事が出来なくなるという事なのです。
  このような状態に陥った囚人は殆ど意識を失いつつあるでしょう。  それでも全身
の力を振り絞って、無意識にでも、自分の身体を上に持ち上げて肺に空気をもう一度
でも吸入し、そして最後の力を出して、肺から空気を吐き出そうとするでしょう。

  そのような状態が続くに従い、肺や血流の中には二酸化炭素、即ち炭酸ガスが溜り
始め、これが痙攣を多少は抑圧する事になります。  断続的な痙攣の中にあっても、
殆ど意識を失いかけている囚人は、それでも何とかして身体を上に持ち上げて新鮮な
酸素を吸おうともがくのです。

  終わりなく続く激痛に身体をくねらせたり、撥ねたり、もがいたりし、それら一連
の激しい動きが更なる痛みを招き、それがまた身体各所に絶え間のない痙攣を生じ、
そして気絶と仮死状態へと誘い込み、突き刺されて、ずたずたに切り裂かれた手首か
ら肩にかけての筋肉は、それでも固い頑丈な十字架の主柱の上で狂ったように身体を
揺り動かすのです。  絶え間のない上昇気流は囚人の身体の脱水状態を加速します。

  急速に身体から多量の水分や血潮が抜け去り、そして最後に近い状態を招きます。
それでも別の新たな苦痛が無意識状態に近い囚人を襲うのです。  垂れ下がった身体
は呼吸困難を呼び、心臓や肺臓に過度の負担を掛け、心嚢には徐々にリンパ液が溜り
始め、それが心臓を圧迫するので肺臓にも深い痛みをもたらすのだそうです。

  圧迫されてしまった肺臓と心臓はそれでも何とかもがいて呼吸をし、のろのろで
あっても血液を体内に送り込もうとポンプ・アップを試みるものだそうです。
  極限状態に置かれて今まさに崩れ去らんとする肺臓は、それでも狂気じみた努力を
して、少しでも新鮮な酸素を呼吸しようと最後まで努力をするものだそうです。
空気を吸い込む時のガーッというような断末魔の音が不気味に響きます。

  然し、ずたずたに切り裂かれた肉体に入って来るのはもはや新鮮な空気ではなく、
あの恐ろしい、冷たい死が引き裂かれた肉体の繊維の中に潜り込んで来ているのを感
じるだけなのです。  こうして遂に囚人は死に己を委ねるのです。

  聖書はこの事実を淡々と述べています。  マルコ伝15章24節には『彼らはイェスを
十字架につけた』とあり、コリント前書15章3節には『キリストは私の罪の為に死な
れた』とあります。  ロマ書5章の中にもキリストの贖罪の死が説明されています。

  このように残忍な処刑方法は、盗賊や殺人犯や暴行魔にだけ適用されていたものと
言われています。  それなのに、盗賊ではなくむしろ愛を与え続けたイェスさまが、
殺人犯でもなくむしろ人を生かすお仕事をされたイェスさまが、私たちの身代わりと
なって引き受けて下さったのです。  二人の極悪囚人の間に立てられた十字架の上で
私たちの罪の執り成しをしながら贖罪の死を遂げて下さったのです。

  十字架の上で示された主イェスの愛は、何と素晴らしいものなのでしょうか?
それに引き替え、私たちは主イェスの苦悩を理解せず、十字架の痛みなどは想像だに
した事がないというのです。  何と恐ろしく身勝手な私たちなのでしょう。

  主の食卓(聖餐)に与るとき、もう一度、この主の十字架の上でのお苦しみを深く
黙想してみる必要があるでしょう。  主のみ頭の先からみ足の先までを走る激痛を
覚えながら、それが私の罪がなした業だと学ぶ必要があります。
悔い改める必要があります。
                           >>>黒人霊歌 君もそこに居たのか
 

丘に立てる粗削りの十字架

                     -或る讃美歌史-
★  英語圏で特によく歌われている讚美歌のひとつに「丘に立てる粗削りの十字架」
があります。  原文は「On a hill far away stood an old rugged cross」です。
  日本語には、聖歌 402番の中田羽後訳と、バプテスト教会系の新生讚美歌 230番、
ヤマハ音楽財団が訳したものがあります。  共に善い翻訳文だと思います。

★  讚美歌史の参考書の多くが母校ペパダイン大学に新設された教会遺産センターに
移ってしまったので、手持ちの10冊ほどの中から調べたものを紹介しておきます。

  作詞・作曲共にジョージ・ベナードGeorge Bennard(1873~1958)は、オハイオ州
ヤングズタウンで1873年2月4日に生まれた人です。
名前から推測してみますと、獨逸系移民の家に生まれたのではないかと思います。

  ジョージの幼児期に家族はアイオア州アルビア Albia, Iowaに移住しました。
首都デモイン南東80kmほどの小さな村です。  今でも人口4千人ほどの僻地です。
  生活苦からか、そこからさらに50kmほど西の同州ルカス Lucasに移住しています。
アルビアよりさらに僻地のように思えます。  父は炭坑夫であったとのことです。

  若い時に福音に触れたジョージは、聖書をさらに学びたく聖書大学進学を心の中で
願いましたが、ジョージが16歳のとき父が死亡し、そのような経済的余裕から縁遠い
青年となりました。  母親と四人の妹を支えなければならなくなったのです。

  すでに最初に説明しましたように、資料の不足から、ジョージの結婚相手を調べる
ことができないでいます。  結婚後二人はイリノイ州の救世軍でしばらく働きます。
一種の巡回福音伝道者として働いたということです。  救世軍では将校といいます。

  聖書を初めとして、読める書籍は何でも読み尽くしたと言われるほど熱心に独学を
続けたようです。  とりわけ十字架について黙想し続けていたようです。  救世軍の
将校(=伝道者)として、アメリカとカナダで福音伝道に携わっていたようです。

  救世軍で働いた後、メソジスト・エピスコパル教会の牧師として彼が天に召される
1985年まで勤めています。  ミシガン州リード市Reed City, Michigan に彼の記念館
があります。

  十字架について深く考察した彼は、主イェス・キリストと十字架が不可分の関係に
あることに注目し、ヨハネ傳3章16節を愛読していたとのことです。
私は十字架を思えば思うほど活き活きすることができる...と語っていたそうです。

  そのように、絶えず十字架を黙想していた彼の心の中に、頑丈で粗削りの十字架の
姿が次第に浮かびあがり、神の御子イェスの血潮で染まった十字架を描写する最初の
10語、すなわち On a hill far away stood an old rugged Cross がほとばしり出た
のだそうです。

  ニューヨーク州のある集会からミシガン州に戻って来たとき、それまでに体験した
苦悩を思い、そのことでさらに十字架を熟慮し、ひとつの詩が完成したのです。
  当時有名な福音讚美詩の専門家であったチャールズ・ガブリエル Charles Gabriel
にその詩を送って検討してもらうことにしたのでした。  詩に少しだけ手を加えた彼
は詩を送り返して来ました。  『皆が歌ってくれる詩だ』とつけ加えたそうです。

★  私たちは十字架を偶像化し、十字架を信仰の対象として拝むのではありません。
私たちは、はるか向こうの丘の上にそそり立っている、粗削りで頑丈な十字架の上で
私たちの罪の贖いのために死んでくださったイェスを信仰の目で見て、十字架の上の
私たちの罪咎のために死んでくださったイェスをキリストとして信じ、救い主として
受け容れ、そのイェスに、私たちが死に到るまで、忠実でありたいと誓うのです。

                    "So I cherish the old rugged cross,
                     Till my trophies at last lay down;
                    I will cling to the old rugged cross,
                    and exchange it someday for a crown."

  『やがて手にする冠を手にする日まで、私はその慕わしき古きよき十字架を慕い、
十字架にぴったりとしがみついて決して離れません...』とジョージ・ベナードは作詞
したのです。

  この詩を読む人々がそれに同意し、ジョージと同じような誓いの心でこの讚美歌を
世界中で高らかに歌っているのです。  私たちはどうなのでしょうか?

  カナダ冬季五輪競技大会場に向かって、聖火をしっかりと握って広いカナダを走り
抜けた多くの聖火走者のように、私たちも十字架のイェスへの信仰をしっかりと握り
締めて、目的地を目指してこの地上を走り抜け、勝利の冠を十字架の上で贖いの業を
なし遂げ給うたイェスから頂ける者でありたいと心から願うのです。  如何?

  『私たちの主イェス・キリストの十字架以外に、誇りとするものは、断じてあって
はならない。  この十字架につけられて、この世は私に対して死に、私も亦この世に
対して死んでしまったのである』  ガラテヤ書6章14節

                          >>>十字架という処刑方法に就いて


 

朽ちざる冠を得んがために


★  今日の午後から加奈陀で冬期五輪競技大会が始まるとマス・メディアが大騒動で
す。  お金がかかり過ぎる傾向はますます加速し、富める業者や一部関係者が潤い、
貧しい国の若者が参加できないということを疑問視する人が少な過ぎるように私個人
は考えています。  アジア、アフリカ、南米からは青年たちが参加できないのです。

  石原都知事が東京に五輪大会を招致するために巨額の税金を浪費する一方で、都が
地方に送り込んだ一種の「姥捨山」が火災に遭えば、その責任者が逮捕されるという
ことで「一件落着」という不可解なことを問う都民も少ないようです。

★  さて、コリント前書9章24節~27節にスポーツに関する言及があります。
そこには私たちの信仰生活に対する明白で厳しい警告と奨励が記されています。

  コリントの町からそんなに遠くないペロポネソス半島北西部エリス地方で営まれて
いたオリンピック競技のことを、この書簡を記した使徒パウロも、それを受け取った
読者も、充分に承知していたものと私は理解しています。

  使徒パウロは24節~25節でコリントからそんなに遠くないマラトンからアテナイま
でを走って戦捷を報じて死んだという故事に因むマラソン競技を意識して、競技場
を競走し優勝する走者が得る賞を例題に引き出して信仰人生の厳しさを語ります。

  さらに使徒パウロは、26節~27節で拳闘を引き合いに出して、信仰上の厳しい自己
規制について語り、私たちが「天の冠」を得るために、失格者とならないために常に
厳しく自己制御に励むことを勧めています。

★  その使徒パウロは、テモテ後書4章7節~8節で、自分に与えられる「義の冠」
について語っています。  ヤコブ書1章12節は信仰生活の試練に耐えた者に与えられ
る「命の冠」について語っています。  ペテロ前書5章4節は「萎むことのない栄光
の冠」を語ります。  さらに、ヘブル書2章7節は「栄光と誉れの冠」を語ります。

  黙示録は、私たちが受くべき冠について多く語っています。
2章10節、3章11節、4章4節、4章10節、6章2節、12章1節、14章14節です。

★  どの競技であれ、五輪大会であれ、厳しい自己訓練に耐え抜いた者だけが「賞」
を得るのです。  「冠」を得るのです。

  私たちの人生の終焉に及んで、皆さんはどのような「賞」を、どのような「冠」を
神さまから頂かれるのでしょうか?  それは、現在の生活の中で選んでいるのです。

 冬季五輪競技大会の報道を鑑賞するのもよいでしょうが、コリント前書9章27節が
警告する「失格者」にならないように、神の一方的な恩寵に触れた者として、細心の
注意を払うことを絶えず心がけたいものです。


 

                                                                                          ---列王紀下20章
★  列王紀下18章~20章にかけて、イェスの先祖の一人とされている、ユダ王朝では
最も良き王の一人として賞賛されている、ヒゼキヤ王のことが紹介されています。

  宗教的、政治的、軍事的にも優秀な指導者であったようです。
上記箇所の他に、イザヤ書36章~39章、歴代志下29章~32章、マタイ傳1章9節にも
言及されています。

  「ヤハ ウエ  = エホヴァ は強め給う」とか「ヤハ ウエ は私の力」という意味の名を
持つヒゼキヤ王 Hezekiah に関しては、特にキリスト新聞社発行の新聖書大辞典に
詳細な説明があります。  そのほかにも、たいがいの聖書辞典や人名辞典、あるいは
一般の和英辞典などにも紹介されていますので、ご自分で確かめてください。

★  ヒゼキヤ王については、比較的簡略に要点を紹介している日本基督教団出版局の
キリスト教人名辞典から主要点だけを引用してみますと以下のようになります...

  「ユダヤ王国第13代の王(位、前 715~前 687)。前王アハズの子で後継者。宗教
改革を行ったことによって申命記史家によって賞賛されている(列王紀下18.3-8)。
紀元前 705年の王サルゴン(2世)の死を機会に大規模な反アッシリア運動の起こっ
たとき、これに参加しただけでなく、パレスティナ南部の国々の指導者となった。朝
貢を中止し、アッシリアの偶像を取り除いた。バビロニアのメロダク・バラダンとも
外交関係を結んだ(20.12-19)。しかしセナケリブが勢力を回復し、エルサレムが包
囲されると、彼は再びアッシリアに朝貢して服従した(18.13-16)。新約聖書におい
て、イェスの先祖のひとりとして記されている。 HS 」  ...  です。

★  偉大な王として記録されていますヒゼキヤ王の人生を聖書から読んでみますと、
この王も私どもと同じように起伏の多い人生を送った王であったと学びます。
  しかし、基本的にヒゼキヤ王はその在任中、主なる神(ヤハ ウエ ともエホヴァとも
呼ばれていますが)に対して誠実な王でした。  節や道を曲げるということのない王
でした。  エルサレムで29年間を王として治めた人物でした。

  私たちにとっても耳の痛い話ですが、偶像を破壊し、偽りの神々への礼拝を禁じ、
イスラエルの人々に対して天にいます神、ヤハ ウエ 、すなわち、エホヴァのみが真の
神であると教えていました。  実際に命のない偶像を作って拝むことを禁じました。
モーセが鋳造した青銅の蛇の像をも破壊したと列王紀下18章の初めが語っています。

★  私たちも、実際には、いろいろとまことしやかな理由や言い訳をつけて、当たり
前のような顔をして、実質的に偶像神に仕えているように思うのですが...  如何?
  どうぞ、是非とも、列王紀下18章~20章を幾度かご自身でお読みください。
学ばさせられる霊的・信仰面での励ましや叱責が多く秘められていると思います。

★  そして20章の初めで、極めて優れた王ヘゼキヤは、不幸なことに病を得て、死に
瀕するようになったことを学びます。  腫物、おでき、出来物、根太、癰ヨウ、‥など
とも呼びますが、明らかに皮膚病に冒されたようです。

  もしかすると、生命にも係るような、悪質で、全身的で、組織的な、酷い皮膚疾患
であったのかも知れません。  送り込まれた豫言者イザヤによって遺言を遺すように
とまで勧められていましたので、相当に悪質な皮膚疾患であったと思われます。

  主の目に留まるような、何か悪いことを、特にしたというわけでもなかったのです
から、ヒゼキヤ王に取って、遺言を遺すようにという進言は大きな衝撃であったもの
と思います。  20章2節は、自分が死すべき身であると知ったヘゼキヤが、壁の方を
向いて主なる神に熱心に祈った‥としるしています。  3節は王が激しく泣いた‥と
記録しています。

  主なる神の方を向いて、すなわち神の顔の方に向かって祈るということを避けて、
壁の方を向いて祈ったということは、ヒゼキヤらしい、謙遜な姿勢を表現したのかも
知れません。

  この箇所を読んだとき、人生の終焉を目前にして、私も一人の贖われた者として、
遺言を遺す必要性があると教えられました。

★  40歳を前にしたヒゼキヤの祈りは壮絶なものであったものと推測します。
激しく泣いて祈ったとあります。  このように熱心に祈った...という箇所は、イェス
がゲッセマネの園で血のしたたりのように汗を流して祈られたという、ルカ傳22章の
祈りのほかに余り例がないように思います。  ヒゼキヤの祈りは罪悔の祈りです。

  ヒゼキヤのこの罪を悔いる祈り、真剣な祈りを、神は聞き届けられました。
神はヒゼキヤの病を癒し、その寿命をさらに15年伸ばされ、伸ばされた命で神のため
にさらに仕えることを許されたと聖書は語っています。  20章5節~6節です。

★  そして、おもしろいことに、ヒゼキヤの腫物を癒す治療薬として、干した無花果
a cake of dried fig, a lump of figs が用いられたことです。  東地中海沿岸文化
圏の中では干した無花果が薬草の一部として使われていたのかも知れません。

  創世記3章7節は、アダムとエヴァが神の言葉を破って、蛇の巧みな誘いに応じた
とき、「いちじくの葉」で腰巻きを作ったと、無花果が出てきています。

  大修館書店発行の「イメージシンボル事典」によりますと、人類と無花果との関係
は相当に古いことを知らされます。  50余の説明がなされています。  生命との関係
で、豊饒・潤沢、繁茂・生殖、女性器や乳房と生殖・繁殖、奴隷用食品、男性性器を
覆うに適した物、長寿、人身御供祭儀用伴供物、狩猟成功祈願、航海安全などなどが
列記されています。

  平凡社の「世界宗教大事典」には、エデンの園との関係で、智恵の木とも捉えられ
たり、原罪との関係で欲望の象徴とされています。  十字架との関係では救済を意味
するとも捉えられています。  枯れた無花果ということで死を意味することもあると
紹介されています。

★  当時のパレスティナ文化圏内の薬草のことに全く無知な私は、ヒゼキヤ王を癒す
ためになぜ干した無花果が使われたのかわかりません。

  遺言を遺せ...とまで勧められていたヒゼキヤに対し、己の死に直面して真剣に祈っ
たヒゼキヤに対し、激しく泣いてまで祈ったヒゼキヤに対し、乾燥した無花果を用い
て神がその致命傷を癒されたのです。

★  そういうことであるなら、私たちも他者の苦しみ、他者の真剣な祈りに応え得る
「神の乾燥無花果」の役目を、お互いに果たす責務と特権があると思うのです。

  『義人の祈りは、大いに力があり、効果のあるものである』とヤコブ書5章16節は
述べています。


 

冬期五輪金賞


★  明日から加奈陀で冬期五輪競技が始まるということで、少なくとも日本のマス・
メディアは大騒動しています。  出場選手たちも金賞を狙っていると語っています。

  幼いときから競い合うことを好まない私にとって、また、アジア各地で底辺貧困層
に住む人々をたくさん目撃して来た私にとって、経済的保証がなければ参加できない
現在のスポーツ競技の在り方、とりわけ五輪競技大会にほとんど興味がありません。

★    それよりも私には、むしろロマ書14章10節やコリント後書5章10節が語って
いる、『キリストの裁きの座』と、すべての人が、実に公平に必ずそこに出頭しなけ
ればならないことのほうに、むしろ強い関心を抱いているのです。

  ヘブル書9章27節も、『一度だけ死ぬことと、死んだのち裁きを受けることとが、
人間に定まっている...』と警告しているのです。  やがてそれは確実に各自にやって
来るのです。  誰もそこから逃げることも、これを避けることもできないのです。
そこでは、地上で得た金賞や貯金高や社会的肩書きなど、全く役に立たないのです。

★  神さまが下さろうと用意なさっている永遠の命の金賞を、恩寵によって、そこで
頂くということこそが、私たちにとっての最重要課題でなければならないのです。

  この地上で私たちが何をどのように信じて生きていたのか...  それが私たちの行方
を決めるのです。  それが私たちの永遠の報酬、金賞に直接関係してくるのです。

  五輪大会で誰が金賞を幾つ取ったか...というようなことよりも、あなたご自身が、
最後の裁きの座で神さまから受け取られる報酬のこと、金賞なのかそうでないのか...
そのことをお考え頂きたいと私は考えます。  明日から加奈陀五輪が始まります。

 

ハイチ地震の叫び


★  悲劇的な結果を一瞬にしてもたらしたハイチ地震現場に日本の自衛隊がようやく
到着したと報道されています。  迫る雨期を前に活動が期待されているようです。
20万人もの人が犠牲になったとかで、生き残った人々の生活も衣食住に事欠いている
と報じられています。  何もできない自分の姿を情けなく思います。

★  普通なら誰でも泊まれる筈の宿泊所に出産する空間がなかった‥と、ルカ傳2章
7節は嬰児イェスの誕生の瞬間を述べています。  ハイチ地震勃発時に、同じような
体験をした母子が居たのではないか...と瞬間に思いました。

★  聖書のなかで神さまは、多くの場合、弱い者の側に立って御自分をお示しになる
ことが多いように思います。  アジア各地で多くのスラムを訪れた私は、その日その
日の生活に喘いでいる人々の涙を多く見ました。  そして彼らの涙の中に主イェスの
涙をいくども見たように思いました。

★  「私の弟子であるという名のゆえに、このいと小さき者の一人に、冷たい水一杯
でも飲ませて呉れる者を」神さまは覚えてくださって居る...と、マタイ傳10章42節は
語りかけています。  同じマタイ傳25章40節や45節もそのことを確認しています。

  『與ふるは受くるよりも幸福なり』と使徒行傳20章35節はしるし、イェスの言葉
として紹介しています。 (有名な言葉なので敢えて文語訳を用いました。)

  またそのことを、『み言葉を聞くだけの人よりも、み言葉を行う人となりなさい』
と、ヤコブはヤコブ書1章22節~25節で勧めています。  如何でしょうか?


 

ヨハネ傳17章3節

永遠の命とは、
唯一の、まことの神でいますあなたと
また、あなたが遣わされたイェス・キリストを
知ることです。

            ヨハネ傳17章3節

 

ダビデの子、ホサナよ


★  分別あるべき年齢に達した子が老いた親を殺し、若い男女が嬰児や幼児を虐待死
させ、睡眠薬で男を殺し金銭を奪う女が現れる...  戦争を挑むたびに大量殺戮武器の
性能が向上し、死の商人だけが儲ける...  政治家とカネの問題が常に話題になる...
教会を食い物にする職業的聖職者がいる...  この世の中、どうなっているのか?

  『人の悪が地にはびこり、総てその思い図ることが、いつも悪いことばかりである
のを主は見られた。  主は地上に人を創ったことを悔いて、心を痛め、創造した人を
地の表から拭い去ろう!』...と創世記6章5節は言います。

★  そのようなこの地上にもかかわらず、『天にあるように地にも平和がある...』と
聖書は言います。  イザヤ書9章6節は、『平和の君が生まれた』と語ります。
この箇所は、ヘンデル作の有名なオラトリオ、メサイヤにも引用されています。

  主としてクリスマスの季節にだけ人々が見聞きする聖書箇所があります。
ルカ傳2章14節です。  『いと高き所には神に栄光が、地の上には人々に平和が』と
天使たちが歌ったという箇所です。

  イェスは、「主の祈り」と私たちが称している祈りを教えられました。
マタイ傳6章5節~13節です。  ルカ傳11章1節~4節にも書かれています。
『御国が来るように』という箇所です。  それでは「何処に来るのでしょうか?」
「私たちの心の中に」とも理解できます。  それはマタイ傳12章28節や18章20節が
示唆していると私は考えます。    終末だけのことではなく、「今ここに」神の国が
ある...と聖書は指さしていると信じています。

★  私が好きな讚美歌のひとつは、日本基督教団の「子供さんびか」32番です。
「ダビデの子、ホサナよ」という題がついている軽快な曲です。
  また、讚美歌 130番、「喜べや、讚えよや、シオンの娘、主の民よ」という讚美歌
もきれいです。  ヘンデルの作品で、シリヤ統治下に反乱を起こしたユダヤの愛国者
マカバイオスのユダ Judah Maccabaeus を称えた勝利曲、「シオンの娘」の歌です。

★  これらの曲のテキストは、ルカ傳19章38節に紹介されている、首都エルサレムに
入城される、驢馬に乗ったイェスを、群衆が誉め称えて歌った讚美詩に基づくものです。
  『主の御名に依って来る王なるイェスに祝福あれ!  天には平和、神のいますいと
高き天上に栄光あれ!』と群衆が讚美したものです。

★  主イェスは弟子たちに天にある平和を指さし、黙示録21章1節~2節が語るよう
に、新しいエルサレムが来るまで、この地上でも実現されるように祈ることを教えて
おられたのだと考えます。

  一方で、私たちは、使徒パウロが勧めたように、例えばピリピ書4章4節~7節が
示すように、祈りをとおして主の平安が私たちの心を満たすように祈る必要があると
思います。  ロマ書5章1節が語る「神との平和」がないと思う時、私たちは私たち
の平和を神に戻ることで、恩寵として、取り戻す必要があるのではありませんか?


 

---ルカ傳16章26節
★    先日バナナを買いました。  買う前に迷いました。  結果的に失望しました。
同じ日、電子カメラ用に、より性能のよい高いカードを店員に薦められて買いました
が、適合しませんでした。 その程度の買い物ならよいのですが、自動車や住宅購入
となりますと、細心の注意が必要です。  買う前なら取り消しもできますが、契約後
は取り消しができません。 私たちの人生には取り消せないものが多くあります。

★  私たちは必ずこの世を去らねばなりません。  生きている間に、どこに行くのか
を決めておく必要があります。  天国希望なのか、地獄希望なのか...生きている内に
決めておく必要があります。  死んでからでは絶対に間に合いません。

★    そのことで、ルカ傳16章19節~28節には、イェスが語られた、ユーモラスで
深刻な警告があります。  『こっちからそっちに渡ろうとしても行けないし、そっち
からこっちにも越えて来ることができない...』という言葉が書いてあります。

★  人が一度だけ死ぬことと、死後に裁きを受けることとが定まっているとヘブル書
9章27節は警告しています。  遅くならない前に賢明な決断をする必要があります。

 

けものみち・狐道


★  獣道と書いて「けものみち」と読みます。  鹿や猪や狐や狸などの通行で自然に
つけられた小径のことです。  1985年に世田谷から八ヶ嶽南麓原生林の中に移住して
初めて目撃し、学んだことです。  おとといの積雪時にそのことを再確認しました。

  アメリカ開拓史を学ぶときに、現在の連邦政府のインター・ステイツ・ハイウエイ
や旧USハイ・ウエイ、さらに各州の州道のほとんどは、旧世界から新世界に移住して
来た白人移住民たちがつけた道が整理され、拡大されたものだと学びます。

  しかしそれら旧世界からの白人移住民たちは、先住民たちが山野を歩いていた小道
を利用したに過ぎない場合が多いようです。  そしてさらに先住民たちは‥といいま
すと、彼らは獣道を利用したのであろうという推測が成り立ちます。

★  確か留学末期でしたか、ライルという神学者が語った言葉があったかと記憶して
います。  『俺はもしかして地獄行きの道を歩いているんじゃないのかな? と、人が
気付き始めたその時こそ、その人は天国行きの道を歩み始めたのだ...』ということで
あったと思います。  正しい道の上に自分がいるということを知るのは大切です。

  おととい夜の降雪中にたくさんの狐たちがフォックス亭にやって来ました。
25cmほど積もった雪の中を餌台に向かってやってきた最初の狐は、一応周辺を警戒し
て、直接餌台に近づかずに、庭の中をぐるぐると廻りながら餌台に到着して来たのを
目撃しました。  目的地をよく知りながら、警戒を怠らず、注意しながら遠回りして
最後に餌台に到着したのでした。  生活の智恵の豊かな、賢い狐だと思います。

  次に来た狐は、最初の狐がつけた足跡をたどって餌台に来ました。  次から次へと
餌台に来る狐のすべてが、最初の狐がつけた足跡をたどって餌台に来ました。
文字どおりの獣道でした。  こうして2、3キロの屑肉が餌台から消え去りました。

★  マタイ傳7章13節~14節でイェスは「命に到る狭い門」を語っておられます。
天国に到る道を見いだす人が極めて少ないことを示唆されています。
  賢い先輩たちが切り開いて遺してくださった、天国に到る善い「けものみち」を、
私たちも自分で見つけ出して、それをたどって御国に到りたいものだと願います。

  天国に向かってだけピタリと焦点を合わしている心の目を、マタイ傳6章22節は、
「澄んだ目、一つの目」と説明しています。  お化け屋敷の「一つ目」のことです。
まちがった人生目的や、いつわりの価値観に固守している姿を、マタイ傳15章14節
は「穴に落ち込む」と警告しています。  イェスに焦点を合わせた道を歩みましょう。


 

なまぬるいラオデキヤ


★  温泉に関する自然環境に恵まれている日本人の多くは、当然のことでしょうが、
温泉に浸ることが好きなようです。  ここ十数年ほどの間に八ヶ嶽南麓各市町村でも
「村起し」という名目でお互いに競いあって温泉を掘りました。  自由党政権の時に
各市町村に1億円をばらまいて地域起こしということも影響したかと思います。

  余りにも多くの温泉が掘られたので、八ヶ嶽南麓の地下水が、やがてその内に枯渇
してしまうのではないかと、温泉にほとんど興味を示さない私は案じたことがありま
した。  獨逸にも温泉が湧き出る所があり、人々が保養のために行くそうです。

★  さて、黙示録3章14節にラオデキヤという地名が出て来ます。
そこにある教会に対してヨハネが警告を発しています。  ラオデキヤ教会の信仰姿勢
が、『冷たくもなく、熱くもない。  むしろ、冷たいか、熱いかであって欲しい。
熱くもなく、冷たくもなく、「なまぬるい」ので、あなたを口から吐き出そう...』と
率直に述べています。  この言葉は、こん日の私たちにとっても耳が痛い警告です。

★  地図で見ますと、トルコ半島西端に近い所にあるエペソから東南東に約150km の
距離にあり、標高2、300mのサルバコス山北部にある沖積層の平坦な丘陵地帯に
位置する町だと聖書事典などに紹介されています。

  1970年代なかばに、疲弊しきっていた韓国農漁村や都市貧困層の未就学幼児たちの
ために託児所と給食計画の実施を依頼するために、トルコ上空を3回にわたり東から
西に飛んだことがあります。  トルコ半島全体が白色の山脈から成立しているように
高度1万メートルの上空からは見えました。  しかしラオデキヤ上空を通過したのか
どうかはわかりませんでした。  複雑な歴史の豊かな半島であろうとか思いました。

  ローマ帝国の古い町で、捕囚ユダヤ人が解放されたあと7千人が居住した町だとの
説明がありますが、詳しいことは省きます。  町を再建した帝の夫人ラオディケの名
を採って命名した町だそうです。  「民の正義」という意味の名だそうです。

  紀元前60年に大きな地震があり町は破壊されましたが、国庫補助を断った市民たち
の努力で再建され、羊毛の生産や布地生産で富める町と成長したそうです。
  薬の学校があったため、薬でも儲けたそうです。  黙示録3章18節に記されている
「塗り薬」という言及の背景だそうです。

★  しかし、高原地帯に町が位置していたために、飲料水で困っていたそうです。
町の中心地に水源はなかったようです。  10kmほど離れた町、ヒエラポリスに温泉が
あったそうですが、苦い水でしたので、町の飲料水としては使えなかったそうです。
  飲めたとしても、ローマ軍の特技で水道を掘り、町まで温泉水を引いたとしても、
冷めてしまって温泉水としては役に立たなかったはずです。

★  ヒエラポリスの温泉と反対側のほぼ同じ距離の所に、デニズリという町があり、
そこにも温泉があったそうです。  冷泉だったそうです。  この源泉から同じように
水道を掘ってラオデキヤまで水を引いて来たとしても、町に到着した泉水は冷たさを
保つことができず、飲料水として、なまぬるい水に変わってしまっていたのです。
こうして、ラオデキヤの人々が飲める水は、「なまぬるい水」であったのです。

★  そのような地形状況がラオデキヤに「なまぬるい水」をもたらしていたのです。
そのことを黙示録の著者ヨハネは、当然ですが、熟知していたものと思います。

  『あなたがたが冷たくもなく、熱くもないので、あなたを口から吐き出そう...』と
黙示録3章16節は言っています。
  この「吐き出すemesai」は嘔吐という強い意味を表し、決して美しい表現ではあり
ません。  英語 emission の光、熱、電子、電磁波などの放出、放射、の原語です。

  イェス・キリストを神の独り子、私自身の救い主だと信じた筈の自称クリスチャン
が、イェスに対する嘗ての情熱をいつの間にか喪失し、この世の力に押し流されて、
この世に見習う者となり、イェスへの忠誠な在り方を結果的に失ってしまっている...
ことを、「なまぬるい」状態にいる‥と指摘しているのです。
  誰であっても自分がそのような状態に在り、そのような存在だと認めたくない状態
にいることを、「なまぬるい」という言葉で的確に表してしているのです。

  しかし残念なことですが、クリスチャンでない人々、すなわち、わが国のほとんど
の人々が私たち『主よ、主よ』と呼ぶ者たちを見るとき、この世の人々もイェスも、
私たちが本当に誠実な「キリストの者、キリストに属する者=クリスチャン」として
見ていないであろうと、そのように私個人は考えています。

★  インドの偉大な指導者マハトマ・ガンディーが語ったということですが...
  『イェス・キリストよ、私はあんたが好きだ。  だけどキリストよ、私はあんたの
「クリスチャンと自称している人々」を好きになれないんだ。
  「クリスチャンと自称している人々」よ、あんたたちは、あんたたちのキリストと
は、まるっきり違い過ぎるじゃないか!』

★  誰でも自分が、まさか「なまぬるい」クリスチャンである‥とは考えていないと
思います。  誰でも自分がそうのような「なまぬるい」クリスチャンでありたいと
望んでいないと思います。  神さまの一方的な恩寵に応えている自分だと確信したい
のが私たちのはずです。  しかし自分の行動がそれをどう証明しているのでしょう?

  主イェスの口から「吐き出されてしまう」ような「なまぬるい」者にならないよう
に自分自身の信仰を、もう一度はっきりと十字架の主イェスに定めたいと願います。


 

雪の中のキツネたち


降雪・積雪予報が出ていましたので、今夕は多い目に屑肉をフォックス亭に提供しておきました。
夕方6時10分ころから、この写真の撮影時、8時45分までの2時間半の間に、常連客3、4頭以上がやってきました。
 
獣道という表現を聞いていましたが、今夜初めてそれを確認しました。
先に歩いてきた狐が雪の上につけた同じ小径を後続の狐たちが歩いて来ました。
餌を銜えると、来た道と同じ経路で闇夜に消えてゆきました。
 
また、庭のあちこちの雪の中に、口一杯に銜えて来た餌を埋めている姿を何度も見ました。
フォックス亭も雪で覆われていますが、いつも餌がある場所でもあり、また、臭いがするので、間違いなく雪の中から餌を掘り出して、庭のあちこちに埋めては餌台に戻ってくるという動作を繰り返していました。

この狐は、洗濯竿の台の近くまで銜えていって、そこに埋める直前の写真です。
 
雪の中餌を運ぶ 
埋めたつもりでも、次の狐が来て、においで埋めた場所を特定して、それを掘り出すのだろうと思います。
 
今夜 狐ですら歩行に苦労していますから、明日の朝の雪掻き作業は、腰痛招聘労働となりましょう。
重機で220メートル下の公道まで除雪作業もあります。 郵便屋さんも、宅配車も上がってこられないし、私たちの軽自動車も、積雪が凍れば出られなくなります。 子供と仔犬だけが喜ぶ大雪の朝となりましょう。
 
みなさんもご自愛を願います。