2009年7月アーカイブ

箴言12章16節
★  昨日朝、東北新幹線線路内に若い女性が侵入し倒れているのが発見された‥との
報道がありました。  救出後まもなく、あたかも何事もなかったように新幹線の運行
は再開されたと‥報じられました。  最悪の事態は避けられたようでよかったです。

★  そのこととの関係で、何年か前に聞いた話があります‥
ボストン・ポップス・シンフォニー・オーケストラ・ホールで、ボストン・ポップス
の初日公演日に、聴衆の期待を受けて始まって間もなく、一部の聴衆のあいだで突然
予期せぬ騒めきが起こったのだそうです。

  或る一組の聴衆がいつまでも私語を止めないので、隣席の観客が私語を慎むように
注意したということから始まった相互の小競り合いであったのです。

  そのことから、傍に座って居た別の老婆が悲鳴を挙げたことから、演奏が中断する
に到ったそうです。  係員たちが騒動を起こした観客たちを排除し、演奏はあたかも
何事もなかったように再開されたのだそうです。  それ以上のことはわかりません。

★  わが国でも、最近は、たとえば秋葉原で起こった無差別大量刺殺事件というのが
ありました。  道を歩いていても、電車の中でも、些細なことから、見知らぬ他者に
暴行を加え、死に到らしめることもしばしば起こっています。

  あるいは、一部の未熟な若い男女が、親になってはいけない男女が、いとも簡単に
幼児を虐待し、多くの場合、死に到らしめている報道がしばしばなされています。

  精神年齢の未熟なオトナが、自分の家族を放棄したり、実の老父母をいとも簡単に
殺すこともあるようです。  残された子供や関係者に対し、長く苦しみと痛みを与え
ることを理解できない未熟さです。  親に捨てられるということは辛いことです。

  教会を含めて、キリスト教界の中にもいろいろと恐ろしいことが起こっています。

  箴言12節16節が勧めるように、いつも肯定的に考え、他者が押しつける苦痛に支配
されないようにしたいと願います。


 

★  敬愛する或る伝道者から電子書簡を頂き、最近の健康状態に関する報告を教えて
頂きました。  病そのものよりも、病がもたらす不安感と、いつ発作が再発するかも
知れないという不安感にお苦しみではないのかな‥というような印象を受けました。

  お電話を差し上げた場合、お話なさると咳き込まれるだろうと推測しますと電話を
することを躊躇しましたが、幾度かの戸惑いののち、思いきってお電話を差し上げま
した。  お話できて良かったのですが、案の定、咳き込みが始まりましたので、すぐ
に通話をやめました。 私たちの弱さを知り給う主のお護りを祈るのみです。

  仲間の伝道者たちも、私と同様の年齢に達しておられますので、からだのどこかに
ガタが来ているのです。 然し、「ガタ」には秘められた新しい恩寵があるはずです。
  そのことから、以下のように、イェスが遭遇なさったことの一部を思ったのです。

★  マタイ傳4章2節で、イェスが荒野で悪魔の誘惑に挑戦されたとき、最初に極度
の飢え、人が肉体的に生きるということでの極限状態に直面されました。

  マルコ傳4章38節を読みますと、イェスは睡魔に襲われ、渡し舟の上で寝込まれた
ことを学びます。  心身共に過労から来る極度の疲労であったものと推測します。

  亦、マルコ傳6章6節は、イェスの故郷ナザレに於いて、人々の不信から、何もで
きないという、一種のフラストレーションを伴った状況に陥られたような記録があり
ます。  一生懸命にやったあとで燃え尽きたという教会の若い牧師などに心当たりが
あるかも知れません。  燃え尽きて回復できないというのは気の毒です。

  次にヨハネ傳は、その2章15節で、柔和であるはずのイェスが、エルサエムの神殿
で、怒りの余りに暴力を振るわれたような行動を紹介しています。
  さらに4節では、巡回治癒宣教活動中に、疲れと乾きを覚えられて、井戸端に腰を
下ろして休まれたことを記録しています。
  そして11章35節は、「イェスが涙を流された Jesus wept.」と紹介しています。
この箇所は、英語聖書の中で、主語と動詞から成立している一番短い文です。

★  このほかにも、人間イェスの喜怒哀楽を語るいくつかの聖書箇所があります。
それらを今回は省略しますが、上記の箇所は、いったい何を表しているのでしょう?

  もちろん、私に神さまの御心を理解できるわけはありません。
しかしイェスが体験された、これらの肉体的な疲労や睡眠不足、飢えや渇き、失意や
怒り、悲しみや絶望は、実は私たち人間が、わたくし個人が、常に体験していること
だからです。  いつも私が、みなさんが、さらされている状態なのです。

  イェスが、これらをご自身のものとして経験された‥ということは、それらを聖書
が率直に語っているということは、イェスは私たちの喜怒哀楽を完全に理解すること
がおできになるお方である‥ということだと私は理解します。  安心して主イェスの
傍に近づいてもよい‥という証拠なのです。

★  マタイ傳10章29節は、二羽百円で売られているような雀でさえ、天の父の承諾が
なければ地に落ちることはない、あなたの髪の毛の一本に到るまで、すべて天の父が
ご存じであり、天の父の許しがなければ、脱毛することはない‥と、語っています。
讚美歌の一つに、「一羽の雀さえ主は顧みてくださっている‥」と歌っています。

  ベタニヤ・ホーム周辺の原生林の中には、この時期、とても小さな茸が数多く自生
しています。  接写撮影したのち、自宅で拡大して眺めてみますと、ひとつひとつの
茸のすべてが美しい容姿をしています。  無駄のないすばらしいデザインと色彩で、
誰も顧みないような森の中の小さな茸のひとつ一つにさえ創造主の奇しき創造の業を
誇らしげに示しているのを学びます。  感動的です。

  原生林の中を歌いながら飛翔する大鷹や灰鷹の雛鳥や、美しい色彩のからだと歌声
の持ち主の大瑠璃オオルリの姿を求めて、双眼鏡と共に、原生林の中に入る人を、たまに
見かけますが、食用に適さない小さな茸を顧みる人はほとんどいません。

★  しかし茸もまた、創造主の手によるものです。  人間が顧みなくても、創造主が
ご存知であり、人間の視線をまったく気にしないで、茸は自生しているのです。
  私たちは、野の鳥や、山の茸より遥かに勝った者として生を与えられています。
私たちの弱さを個人的によく知りたまい、顧みてくださる神さまに感謝を捧げるもの
です。  安心してイェスのみもとに侍ハベってください。  大丈夫ですから‥


 

マタイ傳14章14節

イェスは船から上がって、大勢の群衆を御覧になり、
彼らを 深く憐れんで、その内の病人たちをお癒しになった。

                                           マタイ傳14章14節

 

★  ずっと前に、挿絵付きで、「軛クビキ 」について書いたことがありますが‥
旧新約聖書を通し、軛クビキ という言葉は、創世記27章40節からテモテ前書6章1節
までに、20ヶ所ほど登場しています。

  日本の農村が、太平洋戦争敗戦以降、徐々に機械化されて、牛馬を使役する必要が
なくなって久しくなりました。  それに従って「軛クビキ 」という言葉も現物も、日本
から姿を消してしまいました。  「剄木」とか「衡」という漢字も当てていました。
  牛車ギッシャや馬車などの前に長く平行に出した2本の棒、すなわち、長枝(轅ナガエ )
の先端を、牛馬の後頸に軛クビキ という横棒をかけたものに結びつけ、牛馬を引かせた
のでした。  その横棒のことを軛クビキ 言いました。  本来は、「首にかける横木」と
いうことであったかと思いますが、それに難しい漢字をあてたものと思います。

★  軛クビキ に関する旧約聖書の箇所を読んでみますと、軛クビキ は、必ずしも動物だけ
に課せられたものではなく、ときには人間に、例えば戦争捕虜や、奴隷とか半奴隷の
ような身分の低い人たちを苦役に就かせるためにも用いられたようです。
  その場合には木製ではなく、鉄で作った軛クビキ であったため、重いだけではなく、
皮膚が磨り減って、想像を絶する痛みを伴ったものと推測します。

以下は旧約聖書に登場する軛クビキ です。
*は人間に課せられていた軛クビキ を示唆しています。

創世記27章40節、*レビ記26章13節、民数記19章2節、*申命記28章48節、
サムエル前書11章7節、*列王紀前書12章4節、同19章19節、
*イザヤ書9章4節、*同58章6節、*エレミヤ書2章20節、*同27章11節、
*同書28章13節、*エレミヤ哀歌3章27節

以下は新約聖書に出てくる軛クビキ です。

*マタイ傳11章28節~30節、*ガラテヤ書5章1節、*エペソ書4章3節、
テモテ前書6章1節。

  新約聖書に登場する軛クビキ はすべて人に課せられたものであることに注目する必要
があります。  2千年前のイェスの時代の社会制度を垣間見ることができます。

  エペソ書4章3節だけは、日本語の場合、「きずな」と訳されています。
しかし「絆キズナ ・紲キズナ 」という漢字は、馬や犬や鷹などの動物を繋ぎ止める綱ツナを
意味していたものです。  そこから転じて「絶つに忍びない恩愛」を表す意味として
用いられ、「夫婦の絆」として平家物語10巻に登場しています。

★  さて、イェスがマタイ傳11章29節で引用された「軛クビキ 」は当時の農耕社会の
慣習が強く滲み出ています。
  すなわち、軛をかけられた経験のない雄牛を軛に馴らし、手懐けるために、農民は
軛に馴れたほかの雄牛と並べ、両方の牛に木製の軛を課したのです。

  この場合、軛に馴れている雄牛のほうを軛により強く結びつけ、馴れていない牛は
軛に軽く結びつけるという手段をとっていたのです。  そうすることで、軛に馴れた
牛に主な力を課し、馴れていない牛には荷重が余りかからないようにしたのです。
  このようにして、新参者の牛は、先輩の牛の横に並んで歩きながら、少しずつ軛に
馴れて行き、次第に重荷を引っ張ることができる牛にと飼い馴らしたようです。

★  それと同じように、マタイ傳11章29節でイェスがおっしゃりたかったこととは、
『私がお前の横で、お前の重荷をお前と一緒に引っ張って歩いてあげるから、お前は
心配しないで、お前の重荷をできるだけ背負って歩んで行きなさい。  私がお前の分
のほとんどを引っ張って行くんだから、大丈夫だよ‥』ということだと思います。

  『それじゃイェスが私の何を背負ってくださるって言うんだ?』という質問がある
かと思います。

  イェスは、私たちの罪とその重荷を背負って、独りで苦しみ喘ぎながら、十字架の
丘へと歩んで行ってくださったのです。  罪人という恥を私たちに代わって背負って
くださったのです。  罪とその代価である死という不安と恐怖を背負って十字架へと
歩んでくださったのです。  悪魔が支配するこの世の中に在って、私たちの人生行路
に於いて私たちが行く先を見失って彷徨していたときに、私たちの戸惑いと困惑とを
一手に引き受けてくださったのです。

  耐え切れないほどの私たちの人生の日々の重荷と混乱を、イェスは黙々と背負って
私たちの横を歩いてくださっているのです。  私たち自身の人生の重荷を、私たちが
重たくて耐えられない‥とぼやいている瞬間にも、私たちの横を一緒に軛に繋がれて
歩いてくださっているのです。

  私たちが、重くて耐えられないと叫んでいる、その重荷の重たいほうを、イェスが
ご自身の肩で受け止めて、私たちと一緒に歩いてくださっているのです。
  みなさんは、その事実を日常生活でお感じになっていらっしゃいましょうか?

★  軛との関係で、聖歌 472番に「人生の海の嵐に」という讚美詩があります。

  我が国でもっと歌われてよいと思う讚美歌がひとつあります。
半世紀以上も前にロサンゼルスのバイオラで学んでいたとき、ウェールズ地方の炭坑
労働者たち数百人がア・カペラで歌っていたのを聞いて感動を覚えた曲でした。
インマヌエル讚美歌 269番と,勝利の歌II-101番に紹介されています。
「心は悲しく= Days are filled with sorrow and care」です。

  主イェスが、私たち自身という私たちの最大の重荷を、代わって担ってくださって
いるのです。  イェスの軛に学ぶこと、イェスの軛から学ぶことは不可欠なのです。


 

『狭き門』

★  フランスの作家でノーベル賞受賞者にアンドレ・ジード(ジッド) Andre Gide
という作家がいます。  評論家でもありました。
  母方の従姉を恋したことから生じた人間の問題、特に厳格で禁欲的なピューリタン
信仰の中で育ったジードが、道徳規範と生きることとの矛盾点に誠実に立ち向かった
自らの経験から書いた小説に「狭き門La Porte etroite」と題したものがあります。

★  小説「狭き門」がマタイ傳7章13節~14節とルカ傳13章22節~30節のイェスの警
告を記した箇所から選ばれたことは間違いのないことだと、私は考えています。

  「狭き門」と訳されている箇所は、dia tis stenis pulisと、マタイ傳では、英語
のゲイト gate を表す pulisが用いられています。  新約聖書全体を通してこの単語
プリス pulisは、どちらかといいますと、正確な日本語の適訳語がないので躊躇しま
すが、地獄への門とか地下世界への入口‥などを表すときに用いられています。

  ルカ傳では dia tis stenis thurasと、英語のドアーと訳されている単語が用いら
れています。  thuras  は、どちらかと言いますと、新約聖書のほかの箇所において
は、折があれば入ることができる開かれた場所、機会への入口‥というような意味が
強いように思えます。

★  マタイ傳7章13節は、『狭い門から入れ。  滅びに到る門は大きく、その道は
広い。  そして、そこから入って行く者が多い。  命に到る門は狭く、その道は細い。
そして、それを見いだす者が少ない』‥と記されています。

  マタイ傳7章に書かれてあるこのイェスの警告を、ほとんどの読者はよくご存知だ
と思います。  しかし、ルカ傳13章のほうに記録されているイェスの警告を注意して
読む人が少な過ぎるのではないかと、私はむしろ案じています。
しかしルカ傳13章の警告文のほうが遥かに含蓄に富む文章だと、私は考えています。

  『さてイェスは教えながら町町村々を通り過ぎ、エルサレムへと旅を続けられた。
すると、或る人がイェスに、「主よ、救われる人は少ないのですか」と尋ねた。  
そこでイェスは人々に向かって言われた。  「狭い戸口から入るように努めなさい。  
事実、入ろうとしても、入れない人が多いのだから。  家の主人が立って戸を閉じて
しまってから、あなたがたが外に立ち戸を叩き始めて、「ご主人様、どうぞ開けてく
ださい」といっても、主人はそれに答えて、「あなたがどこから来た人なのか、私は
知らない」というであろう』‥とあります。  ルカ傳13章22節~26節です。

★  イェスが、狭い戸口から入るように『努めなさい』と言われた原語は、アゴンと
いう単語です。  これは、ルカ傳22章44節で、イェスがゲッセマネの園で、血の
ような汗を大量に流し、苦しみ悶えながら切実に祈られたときの状況を描写している
場面を表す表現の中に出てくる単語です。  アゴニアと出ています。

  英語のアゴニー agonyと同じ語源です。  つまり、激痛、断末魔、臨終の苦しみ、
最後のもがき、極度の苦しみ、死闘‥などを表す単語です。

  「死ぬほどの決意をして」狭い戸口から入りなさい‥と、イェスは勧めておられる
のです。  これは、日曜日の朝の1時間か2時間だけ、教会堂という箱物の中に入っ
て宗教儀式に参加すれば、それでよし‥というようなものではないはずです。  日常
の生活の場で、私たちは、このような覚悟で、意識で、どのようにしたら主に喜んで
いただけるのか?‥という姿勢を私たちが保っているのか‥そういうことが問われて
いるのだと、私は理解するのです。  中途半端で玉虫色の姿勢は通用しないのです。

★  次に、『狭い』戸口という単語に注意したいと思います。
原語ではステノス stenos という短い単語で、新約聖書では2ヶ所に出てくるだけで
す。  すなわち、マタイ傳7章13節と、ルカ傳13章24節だけです。  イェスが狭い門
について語られた箇所に出てくるだけです。  それだけなら別に深い意味はないもの
と思えます。  無視か軽視してもよい形容詞だろうかと思います。

  ところが、ステノスと語源を同じくする言葉を新約聖書の中から見てみますと‥
「入ったり通行するのに難儀を覚えさせる、制限する、閉じ込める、束縛するような
狭い場所や、大勢の人で混み合った場所や通路、拘束、束縛、狭苦しさ、窮屈‥など
を表すことば」であると教えられます。
  ロマ書2章9節、8章35節、コリント後書4章8節、同6章12節、同12章10節に
それぞれ違った日本語訳がつけられて登場している言葉です。

★  このように、「狭い」戸口から入るように「努めなさい」という、ルカ傳13章
でのイェスの忠告と警告、なるほど従姉との許されない恋に悩んだジード(ジッド)
が個人的な苦悩の体験から書いた自分の小説に、「狭き門」と名付けた理由がわかる
ような気がするのです。

  刻々と静かに迫って来ている、そして実に各自に平等にすべての人にやって来つつ
あるお召しの日を前に、主イェス御自身が忠告なさり、警告なさったように、私たち
は、果たして私たち自身の「狭き門」を見いだしたというのでしょうか?

  そして、ようやく見いだした私たち自身のそれぞれの「狭き門=搾られる門」を、
多くの厳しい試練を、恩寵によってひとつひとつ乗り越えながら、入ろうと努力して
いるのでしょうか?
  「搾られる門=狭き門」のかなたに、イェスがいらっしゃる、輝ける栄光の天の国
を、私たちは確かに垣間見ているといえるのでしょうか?

  常に赦しと支えと導きの恩寵が私たちには必要なようです。  如何でしょうか?


 

讚美歌 536

報いを望まで 人に与えよ こは主の畏き 御旨ならずや
水の上に落ちて 流れし種も 何処の岸にか 生い立つものを

浅き心もて 事を図らず 御旨の隋に ひたすら励め
風に折られしと 見えし若木の 思わぬ木陰に 人もや宿さん

   

             讚美歌 536 原詩 Cast Thy Bread upon the Waters
                     by Phoebe Ann Coffin Hanaford, 1829~1921


 

『主イェスの胃痛』

<希臘ギリシャ語→英語 splanchnic = 内臓>

★  いつものように「余言者」の回顧と、マタイ傳14章14節に出てきます主イェスの
「胃痛」について考えてみたいと願っています。  お付き合いを願います。

★  1931年にこの世に生を受けた私は、1936年夏、5歳の時に父を喉頭結核で失い、
その年の夏から太平洋戦争敗戦直後の1946年春まで、京都の親族や母の恩師の家など
2軒で世話を受けていましたが、初めて東京に移り、母親と一緒に住むことになりま
した。  敗戦直後には、地方から東京に人口が移動することに対して、厳しい制限が
課せられていました。  旧制明治学院高等学校転校ということで許可を得ました。

  しかし、意識してから初めての母親との生活は、期待にはずれて、母側の不自然な
要因で、不安定なものとなってゆきました。  旧制明治学院高等学校に転入したとき
には良い成績を取っていましたが、卒業時にはほとんど大学入学に適する実力を喪失
していました。  大学入試と入学に対する自信を完全に喪失していました。

  難しそうな大学入試を受けなくても入学できそうな学校はないものか‥と、不安な
心で独り悩んでいました。  日本敗北まで軍需産業の一翼を担っていた獣医大学は、
人間自身が食べるその日の食料すら入手困難であった時代でもあり、軍馬と軍用犬の
必要がなくなり、獣医学校は存亡の危機に直面していました。  応募生は皆無に近い
状態でした。  疲弊し切っていた農村を畜産で興そうとする学生数名だけでした。

  動物が好きであったという理由で、同じ世田谷区内三軒茶屋にあった東京獣医大学
(現日本大学獣医学部)に願書を提出し、まるで赤絨毯を敷いたような歓迎ぶりで、
ほとんど無試験で無事入学を果たし、親族からの圧力からも解放されました。

  しかし実際には薬品も教材もなく、実験動物すら存在せず、教師が二人、事務員が
三人ほどしかいませんでした。  新入生は三、四名ほどでした。  一人は済州島から
の留学生の金五南 Kim,Onam 君でした。  こん日と違って、人間の食べ物すら深刻な
不足状態でしたから、家畜が存在するのも困難な時代でした。  社会的問題化した
ヤマギシ会が鶏を扱い始めたのは、そのような困窮状態に日本があったときでした。
軍需目的を喪失した日本の獣医学校の授業は、ほとんど内容のないものでした。

  それでも一応は解剖学というものがありました。  解剖する動物などいません。
教授は私たちに麻で織った粗布でドンゴロスと呼ばれていた袋を手渡し、都内に野犬
を見つけたら、カッパラッテ来いと命じました。  学友と自転車で蒲田方面に行き、

  それらしい犬をようやく見つけ、棒でぶち、袋に入れて学校に戻りました。
麻酔薬の欠如ということもあって、袋の中の犬を外から叩いて半殺しにし、活体解剖
のような恐ろしいことがあったかと記憶しています。  気絶し、獣医大学への食欲を
喪失してしまいました。  そののち宣教師Sの奨めでケンタッキーに留学することに
なりました。  恐ろしい解剖の授業を経験したので、今に到っても、テレヴィジョン
で解剖や血を流す場面を見ますと、身の毛がよだちます。

★  ところで、解剖のことをアナトミー anatomyと言います。
これは羅甸ラテン 語系の希臘ギリシャ語、「ana-完全に」+「temnein 切る」から派生した
合成語です。  事態の詳細な調査‥といいう意味も含蓄しています。

  それと似た言葉にスプランクナトミー splanchnotomy  という、むつかしい単語が
あります。  内臓切開という解剖学の名詞です。   splanchnic スプランクニック、
「内臓の‥」という意味です。  むしろ、「胃」に関係がある単語でしょうか‥

★  マタイ傳14章14節を日本語訳で読みますと、『イェスは船から上がって、大勢の
群衆を御覧になり、彼らを深く憐れんで、その内の病人たちをお癒しになった‥』と
書かれています。  この「深く憐れんで」がこのたび学びたい箇所です。

  同じ箇所を基督教文書伝道会の新契約聖書(永井直治訳)は『不憫に思い給い』と
訳しています。  いのちのことば社の詳訳聖書は『憐憫の情(あわれみと深い同情)
を覚えられ』と訳しています。  キリスト新聞社訳は『彼らを憐み』とあります。
新教出版社の新約聖書(柳生直行訳)は『深くあわれんで』と訳しています。

  その箇所を原文、すなわちギリシャ語で見てみますと  esplagchnisthe  とありま
す。  詳しく調べて見ますと「内臓とかはらわた」という意味に到ります。
  そこから「憐れみや同情を伴った、心を激しく動かされる状態」を表す意味が派生
しているのです。

★  つまり、「激しい胃の痛み」を伴うような同情・憐れみの心‥をイェスが群衆に
対して抱いていたということをマタイは伝えたかったのです。

  それが、脚が不自由でびっこをひいていた肢体不自由者に対するイェスの心であっ
たのです。  不治の病で社会から蔑視され差別されて、経済的に苦しんでいた、辛い、
悲しい人生の重荷を独り背負っていたおびただしい群衆に対するイェスの心であった
のです。  重い皮膚病に冒され、社会的に差別されていた人々に対するイェスの心で
あったのです。  日々を生きることに疲れ果てていた多くの女性たちに対するイェス
の心の痛みであったのです。  取税人ザアカイのように、差別され、蔑視され、無視
されていた人々に対するイェスの心であったのです。

  ただ単に「深く憐れんで」というマタイ傳14章14節の表面上の言葉だけでは決して
読み取ることができない、主イェスの深い、痛みを伴うみ心であったのです。

  先週も、わたくしの周囲だけでも、罪が人間にもたらした多くの痛みや悲しみを、
痛感させられました。  そして人間の無力さを思い知らされました。

  神さまによってありのままの姿で赦され、受け入れられ、愛されなければ、私たち
は一刻たりともこの恐ろしい、愛のない砂漠のような人生行路を、ひとりでは決して
生きて行くことはできないものだ‥と、強く、深く教えられた次第です。

  人は、みんな、そのような心の傷を負いながら、寂しく生きているようです。
救いは十字架の上で示された無条件の赦しと、愛の励ましにあると、改めて覚えさせ
られたのです。  みなさんはどのようにお考えでしょうか?  イェスの「胃痛を伴う
ほどの憐れみと愛」を、必要となさってはいませんか?  十字架に答があります。

 


 

梅雨時の仲間たち

八ヶ岳南麓の林の中で見つけた、梅雨時の仲間たち。

神様の作品です。

梅雨の仲間1

 

 

 

 

 

梅雨の仲間2

 

梅雨の仲間3

 

梅雨の仲間4

 

梅雨の仲間5

 

梅雨の仲間6

 

梅雨の仲間7

 

梅雨の仲間8

 

梅雨の仲間9

 

梅雨の仲間10

ナナ嬢とポー嬢とともに。 

 


 

マタイ傳7章11節

天の父は、求めて来る者に対して、さらにもっと良いものを
お与えにならないなどということが、どうしてあり得ようか?

   

                                    マタイ傳7章11節


 


★  ひとつの考えを述べるときには、「言葉という表現方法」を用いることが多いのですが、そのような考えを表す適切な言葉、単語がない場合、とても苦労します。

  いわゆる文明開化が叫ばれ始めたころ、それまでこの国に存在しなかったある特定の思想や物事を、とりわけ欧米から初めて導入されようとしていた宗教や思想を漢字または片仮名を使ってどのように日本語で説明し、どのように表記すればよいのか‥大きな問題であっただろうと思います。

  今ではすっかり定着してしまって、違和感を覚えなくなってしまいましたが、一例をあげれば、「教会」とか、「聖書」とか、「キリスト教」とか、「牧師」、さらに「神父」とか、「献金」、「洗礼」、「牧会」などが、日本語としてキリスト教界にすっかり普及してしまっています。  しかし、改めて考えてみますと、これらの単語は、反・非聖書的なものでしょう。  明治時代に翻訳をあやまったからでしょう。

  明治時代にこれらを翻訳するに際し、儒教思想を含蓄していた漢字を用いたということに一因があったのではないかと思います。  これほどまでにこれらが普及してしまっているこん日においては、もはや改善を期待することは不可能でしょう。

  「洗礼を授ける」とか「洗礼を受ける」というような言葉は、「教会」という悪訳と同じほど有害で、聖書的ではない言葉です。  上下関係を表す非・反聖書的発想がそのまま日本や韓国に導入されてしまったからでしょう。  翻訳の恐ろしさです。

  「バプテスマ」とか、「アーメン」や「ハレルヤ」という言葉も、邦語訳するのが困難なものです。  周知のようですが、ほとんどの人はそれが含蓄する意味を知ってはいないのです。  アーメン・ソーメンと揶揄されたり、降雨だのにハレルヤ‥だとかです。  せいぜいでもヘンデルのメサイヤの一部だろう‥という具合です。

  その反対に、「アーメン」や「ハレルヤ」が一部の教会人の間で安易に使われ過ぎていると思います。  これをクリスチャンでない人たちが耳にするとき、何を意味する言葉かわからないようです。

  聞き慣れない奇妙な言葉を、あたかも自分だけは宗教的献身者である‥かのように外者ソトモノに見せかけているような、独り善がりさを部外の人たちに感じさせますが、当のご本人だけが気づかないでいる場合が多いようです。  困ったことです。

★  さて、これらの弊害はこのあたりにしまして‥
これらと同じように、邦語訳するのが困難な言葉に、「神と人に仕える」という意味の「サーヴィス service」や「ミニストリーministry」という言葉があります。これらも翻訳するのにとても困難を伴う外来単語です。

  先の太平洋戦争に日本が突入する直前から政府主導で使われ始めた言葉に、たとえば「滅私奉公」などという標語・スローガンがありました。  この場合の「奉公」はおそらく serviceという意味を表しているかと思います。  天皇とその国家に対して「仕える」という意味であったのでしょう。  しかし日本の敗戦と共に消滅してしまいました。  そのような、強制された思想は、こん日のこの国には存在しません。
  今はその反対に、自己中心主義 me-ism が跳梁チョウリョウ跋扈バッコ しています。
「滅私奉公」は、所詮ショセン根のない浮き草にしか過ぎませんでした。

  しかし、私の幼少時代、すなわち、日本が太平洋戦争に突入するまでは、それでも「奉公に出る」、「奉公人」、「丁稚奉公 デッチボウコウ」などという言葉が京都西陣では使われていました。
  劣悪な環境のなかで、最低限の寝食付きで、朝日と共に起き、夜まで働いていました。  給料に基準はなく、休みは15日と「つもごり」=晦ツゴモリ=月末の二回でした。
  休みが月に一回というのもあったように記憶しています。  藪入りヤブイリ・家父入りなどと呼ばれており、奉公人たちが嬉しそうにその日を切望していたことを覚えています。  そのように、商人の家に年季奉公をする年少労働者のことを丁稚小僧と呼んでいたのです。  差別・蔑視語の響きを感じさせる言葉であったと記憶しています。

  それでも「奉公 service」、「奉公人 servant」という言葉が日本でも使用されていたのです。  封建時代に「奴隷が主人に仕える」という意味に極めて近い使い方であったかと思います。  けれども、働くことができた男性が徴兵されるか、軍事工場に召集され、それまでの丁稚奉公制度という形での労働搾取は消滅したのではないかと思います。  現在では、別の形で、底辺労働者や底辺所得層が存在しています。

★  もともと、「人に仕えることで神さまにお仕えする」という意味で、少なくとも私が知っている範囲の米国の教会では、公同礼拝を表すときにサーヴィスservice という単語を使っています。

  たとえ神という単語を除外したとしても、公に仕えるという意味が強い言葉です。
軍務を含めた公的機関に就くという意味を含んでいます。

  サーヴィスという単語は、神さまや、他者のために奉仕する、仕える、尽力する、骨折り作業をする‥などと、奴隷のように他者に「仕える」ことを意味しています。
  しかしこん日の日本では、八百屋さんか、パチンコ店の「安売り」のような意味で気安く、無責任に使われていることが多いように思います。  「負けときまっせ」と大阪の商人が乱発するような使い方です。  本来は、「奴隷が主人に尽くすservus」という意味のラテン語でした。   servus そのものが奴隷 slaveという意味でした。
  初めから文句ひとつ言わないで、徹底的に「仕える」ということです。

★  もうひとつ「仕える」という言葉があります。  これも日本語に訳するのに困難を覚える言葉です。  英語でいう「ミニスター」や「ミニストリー」です。
  これも古いラテン語から古いフランス語に伝わった「より小さな者=従者」を表す「ministerium=mino」から来ている言葉です。  「service 仕える」と同じです。

  しかし、ミニスター・ミニストリーを日本語に訳しますと、「大臣」「政府閣僚」「内閣」などとなり、「下じもの民・百姓を支配し管理なさる、エライ政治家の先生がた」とか、「お役所」というように、本来の意味とは全く反対のものとして用いられています。  本来は「仕える者としての官僚や政治家」を指すもので、「公僕」の意味です。

  「公僕」と言えば、戦後一時この国で流行しましたが、今では死語同様です。
しかしアメリカでは、消費者運動の優れた指導者ラルフ・ネーダー Ralph Nadarたちにとって、この言葉は決して死語ではなく、生き続けていると私は思っています。

★  同じようにこの「ミニストリー」が「教会・キリスト教界」の中に持ち込まれますと、これも翻訳をするのに困難を伴う単語となります。  適切な日本語がないのです。  神さまと他者に喜んで「仕える」という発想が、日本の文化の中に、私たちの日常生活の中に欠落しているからでしょうか?
  つまり、職業的宗教人、位階聖職者制度の「牧師」となり、すなわち「仕える者」ではなくて、「師」がつく、エライ先生になってしまっています。  それほどまでに「牧師」という名称にこだわりたいのであれば、「僕仕ボクシ 」がよいと思います。

  近日中にキリスト新聞社の新しい企画で「ミニストリー」という定期出版物が出るようです。  日本語でじょうずに説明することができない誌名です。

★  今日このくだくだしい文章を書き始めたとき、元八幡山基督之教会に出席され、私のアジア諸国への奉仕活動を側面的に励ましてくださったMさんから電子書簡連絡がありました。

  文面から推測しますと、いわゆる「便利屋さん」のようなお仕事をなさっているのではないかというような印象を受けました。  アパートで孤独死された方の遺品整理作業と請け負ったので出かける‥と書いてありました。  心の優しいMさんらしく、「会ったこともない人の人生や要望を想像して、心情的にとても辛いものがある‥」と記されていました。

  それで私は、「今日なさろうとしているお仕事も、ミニストリーの一部である‥と私は考えているのだが‥と返事を出しておきました。  困っている人、寂しい思いの人への奉仕は、それは神さまへの奉仕以外のなにものでもないはずだ‥と返事をしておきました。  「仕えるということ」は、そういうことではないのでしょうか?
 Mさんが、祈りながら作業をなされば、それは立派なミニストリーだと思います。

★  さて、前置きが長くなりましたが‥
マタイ傳28章1節で、イェスによって愛され、主イェスを愛して仕えた婦人たちが、埋葬されたばかりの墓場を「見に」行きました。  マルコ傳とルカ傳では、婦人たちはイェスの死骸に塗る没薬・ミルラを持参して墓に行った‥とかいてあります。

  政治犯として処刑されたイェスの墓をローマ兵が頑丈に警護していました。そこを訪れても、婦人たちは死者から何も受け取るものがありません。  何か得するものがあったわけではありません。  死んだイェスから何かを受け取る、手に入れるというものはなかったはずです。  「得るもの」は何もなかったのです。

  それでも婦人たちは「墓を見るために出かけて行った」のでした。  不思議です。婦人たちは、ユダヤ人から誤解され、ローマ兵から不審な目で見られることを覚悟のうえで、むしろイェスの死骸に対して、「与える」道を、「捧げる」道を自ら選んでやって来たのです。

★  ここに彼女たちの優れた姿勢があると私は見るのです。
愛するということは、損得を度外視した、こういう姿勢によって裏付けされていると思うのです。  それでは、どうして墓にやって来たのか?と問われれば、彼女たちには特別な説明や言い訳はなかったものと思います。  何となく‥でした。

  強いて言えば、大好きであったイェスさまのことを思って、何となくやって来た‥ということではなかったのでしょうか?  愛することに理性的な理由付けを見いだすことは困難だと思います。  それですから、「得るもの」がなくても、「与える心」でやって来たのだと思います。

  「得るもの」が何もないときに、得られるものが何も存在しない場所で、愛する主イェスの死骸を案じて、危険や誤解をも顧みず、むしろ愛を「与えるため」に、死者に「仕える」ために、何人かの婦人たちがイェスの墓に到る山道を登ったのです。

  ここで彼女たちは、彼女たちがイェスの真弟子であることを証明しているのです。彼女たちはそのことに気づいていなかったのでしょうが、私にはそのように読めるのです。  イェスの弟子であることを具体的に、損得勘定抜きで、示していたのです。

  「to serve・to minister ・仕える・捧げる」とは、彼女たちのように、無意識の責務感、無意識の本分、無意識の習慣的な行為によって鼓舞され、敬愛する心によって促された行動で表されることがあると思うのです。

★  主婦が無意識の内に己を犠牲にしても家族のために日夜尽くしていることは、例えば家事、買い物、掃除、洗濯、育児なども、一種の serviceだと思うのです。

  もしその主婦が主イェスを愛している女性であれば、神さまの恩寵を意識しているのであれば、彼女の日常の行為は、はたから見れば「義務を果たしているにしか過ぎない‥」と思われがちな行為であっても、それは確かに ministry であり、service であるのです。

  神さまに愛されているということを、無意識であれ常に心の中に感じている女性が台所に立つときでも、洗濯機の前にいるときも、赤ちゃんのおむつを取り替えているときでも、買い物をしているときでも、それは神さまへの「奉仕・ミニストリー」となっているのです。  コロサイ書3章17節がそれを肯定していると確信しています。

★  日本にも、韓国にも、ヨーロッパ各地にも、アメリカにも、物質的に豪勢な生活を満喫している職業的聖職者は確かに存在しています。  頭がよくて、弁舌さわやかで、優雅に振る舞う人たちです。  金持ちでもあります。

  しかし、その反対に、目立たないところで、目立たない方法で、静かに、隠れるように、一所懸命に、誠実に、「人に仕えることで神に仕えている」福音伝道者夫婦が数多く存在していることも事実です。 損得勘定抜きで与え続ける奉仕者たちです。

  話は下手でおもしろくなく、貧乏で、うだつの上がらない福音伝道者たちです。人が来ようが来るまいが、そのようなことにはお構いなく、貧困にも黙々と耐えて、自分に与えられた才能のペースを崩さず、「仕えている」人々も、実はたくさん存在しているのです。 神さまからの祝福を常に無条件で分け合うことの専門家たちです。

★  マタイ傳28章1節に、『墓を見に来た』と書いてあります。
ここにもミニストリー、サーヴィスの無言の実際的な姿を見るのです。
  『汝、御言ミコトバを宣傳ノベツタヘ よ。  機オリを得るも機を得ざるも常に励め』と聖書は勧めています。  テモテ後書4章2節の勧めです。

  同じ精神から言いますと、無名の婦人たちが「主イェスの墓を見に行った」ということも、これは忠実な福音伝道者の姿勢であると言えます。

  マルコ傳14章3節やヨハネ傳12章初めには、ナルドの香油壺を割ってイェスの足を洗った女性のことが記録されています。

  ルカ傳8章1節~3節には、主イェスが少なくとも12人の弟子、あるいはそれ以上の外ソト弟子たちを率いて、巡回伝道をなさったことを記録しています。この大勢の巡回伝道旅行には、少なくとも10名前後の婦人たちが、イェス伝道隊一行の身の回りの世話をするために同行していたことを記録しています。  旅行全行程の全員の食事の世話、買い物、洗濯、休息中の世話‥、いろいろと世話をしていたのです。立派なミニストリー、サーヴィス、奉仕であったことに間違いありません。

  ルカ傳21章1節~2節には、レプタ二つを捧げた貧しい寡婦の姿があります。

  日本の教会に、このような、損得勘定ではなく、無言で黙々と仕える婦人がさらに増えれば、集会は、「仕える」ことにおいて優れた、専門家の力強い集会へと成長して行くでしょう。

  讚美歌 536番に『報いを望まで‥』という詩があります。  これもミニストリーです。  人に仕えることで神さまに仕えるという姿勢です。
  聖歌 338番に、『いとも善きものを君に捧げよ‥』という、神さまに仕えることを歌った詩があります。

★  ミニストリー、サーヴィス‥  日本語に翻訳することは困難かもしれません。しかし、「仕える」ことに難しい単語を使うことや理屈や説明はいらないのです。私たち自身がまず「ミニスター、サーヴァント、仕える者」となりたいものです。

  『あなたのパンを水の上に投げよ。  多くの日ののち、あなたはそれを得るからである‥  Cast thy bread upon the waters』と伝道の書11章1節は言います。

  そう言えば民数記18章29節にもミニストリーのひとつの方法が紹介されています。


 

『一致と自由と愛』

★  もともと短い英語の語呂合せでひとつの真理を語ろうとしたものですが‥
「in essential unity, in non-essential=opinion, liberty, and in all other
things, charity 」... という表現があります。  「...ty」で纒めてあります。

          信仰の根源的・本質的なものに於いてクリスチャンは一致を、
      意見や解釈に於いては自由を、その他のすべてのことに於いては愛を‥

★  聖書は開かれた書です。  絶対的にこのようにしか解釈することを許さない!‥
この解釈しかあり得ない!‥  教会の説くことに逆らえば地獄に落ちるだけだ!‥
そのような書ではないのです。  少なくとも私はそのように理解し、信じています。

  開かれた書であるかぎり、読む人によって、読む人が置かれている環境によって、
読み方を教えてくれたほかのひとの聖書解釈や、読んだ本の影響によって、読む人の
人生体験によって、いろいろな解釈が生じてくるものだと、私は思います。

  しかし、自分の解釈だけが絶対に正しいものである‥というように主張しますと、
そこに大きな問題が生じます。  排他的セクトのような不自然な結果を招きます。
律法主義集団を培養します。  仲たがいや、憎しみあいも生まれて来ます。

  教会史を読んでみますと、ローマ・カトリックが異端審問所というものを設けて、
ローマ教会の聖書解釈と異なった意見を持っていた人々を次々に捕らえてむごい方法
で処刑していたことを学びます。

  ローマ教会だけではなく、宗教改革時代には、いわゆるプロテスタントと自称他称
していた教会でも、自分たちの聖書解釈とは異なる意見を主張していた者たちに対し
て、お互いを憎しみ、処刑していたことを学ぶのです。  地上教会は、決して美しい
ものではありませんでした。  聖書をどのように解釈するのか‥難しい問題です。

  しかし私たちは、お互いの聖書解釈や意見が違っても、主イェス・キリストの愛に
あって、信仰の本質的なこと、根源的なことに於いては常に一致することができます
し、聖書解釈に於いてはお互いの自由を尊重することができますし、その他のすべて
のことに於いては愛を抱いて、バランスを保つことができるのです。  感謝です。


 

『1741年7月8日のこと』

★ 268年前の本日、即ち1741年7月8日、米国建国時、信仰復活大覚醒運動促進者
ジョナサン・エドワーズ Jonathan Edwards 1703~1758が、ハバクク書3章2節から
'Sinners in the hands of an Angry God'と題した有名な説教を述べました。

  カルヴァン主義の神学者エドワーズは、お世辞にも魅力のある説教者ではなかった
ようです。  説教台から見て、集会場の反対側の壁を見つめたままで、会衆のほうに
は視線を向けず、原稿を読み上げるような、単調な声音で長時間語ったようです。

  それにもかかわらず、彼の説教を聴いた会衆は、神さまの憐れみを乞い求めて大声
で神さまに向かって叫んだそうです。  そして多くの人々が救われたのだそうです。
  野村仮私訳で、『怒りの神さまの御手のうちにある罪人たち』という、あまり会衆
が耳にしたことのない題目の説教でしたが、驚くほどに会衆の心を揺り動かした説教
であったそうです。
  このようにして、その後の数年間、建国途上にあった北米植民地で、信仰復興運動
とか、大覚醒運動と呼ばれている霊的な運動が、精神的・道徳的に疲弊しきっていた
アメリカ植民地に起こったのです。

  エドワーズが定期的に説教をしていた集会場はアメリカが独立宣言をした1776年
の1年前、1775年に焼け落ちてしまいました。  コネチカット州エンフィードには
幅1メートル、高さ50センチほど?の小さな丸い自然石を用いた記念碑が地面の上に
置かれています。  州都ハートフォードの北にある人口2千人ほどの小さな村です。

  八幡山基督之教会時代に私ども家庭集会を訪ねて来られたジェヤパウルさんという
教友が印度にいます。  孤児院を運営しています。  先日も孤児たちから誕生日祝い
のカードを頂きました。  私からは時々アイスクリームを送っています。
  印度を初めとし、アジアだけでも毎秒3名から5名の子供が死んでゆきます。
毎日15万人ほどの人が死んで行くと言われています。  その多くは十字架のイェスを
知らず、神の愛を知らないままで離世しています。

★  『怒りの神の御手の内にある罪人たち』‥と題して、ジョナサン・エドワーズが
有名な説教をした‥ということはさておいて、イェスを知らないでこの世を去る人々
がそんなにも多いのにもかかわらず、『俺は救われているんだから関係ない』‥と、
どうしてそのようなことを平然と自称・他称クリスチャンが空惚けることができるの
でしょうか?

『主の奇しき御業を世に知らしめる』と、ハバククは言ったのですが‥


 

『人の生死を握る舌』

★  箴言18章20節に『死と生とは舌に支配される』という言葉があります。
そして、「どちらかを愛して、人はその実を食べることになる‥」と語っています。
人を生かすのも、殺すのも舌の使い方次第である‥ということでしょう。

  このこととの関係で、ヤコブ書1節~12節は、さらに具体的に舌の恐ろしさを警告
しています。  「言葉をショーバイ道具」としている教会の牧師たちへの厳しい警告
でありましょう。

  幾人かの牧師が、これまた幾人かの牧師や宣教師から、意図的な言葉で、あるいは
思い遣りの欠けたことばで、はたまた激しい独断的な思い込みや偏見から出た攻撃的
な言葉によって深く傷ついたままでいることを、私は自分のこととして十分に知って
います。 

  留学中に、ある心ない宣教師が私のことを共産主義者だと移民局に密告したことで
大学院を途中で断念し、帰国せざるを得なかったことがありました。
  東京神学大学で革マル派のゲバがあったときにも言葉の破壊的な恐ろしさを体験し
ました。  私たち自身の群れの中に於いても、時たま体験します。  母教会であった
代々木八幡教会がボストン運動という恐ろしい教会乗っ取り専門家によって言葉巧み
に教会が消滅に導かれ、教会の全財産が盗まれるという悲劇を目撃しました。
これらいずれの場合においても言葉による深刻な悲劇、悪魔の勝利となりました。

  秋葉原の歩行者天国で、鋭い両刃のダガー・ナイフを持った男が通行人を無差別に
殺傷した事件が1年前に起こっています。  東大校舎内では卒業生が鋭い枝切り鋏を
分解した片刃で世話になった教授を刺し殺しています。
  当然のことですが、重い刑が課せられることでしょう。

★  しかし、両刃の剣よりも鋭い「言葉という凶器」で、人の心に再起不能の瀕死の
重傷を負わせることがあっても、キリスト教世界では、「一切お咎めなし」‥という
事実がまかり通っていることは、誠に不可解なことです。  被害者は多いのです。

  親が、その洞察力の不足から、最愛のわが子に、厳しい言葉を浴びせかけて、その
子の心に深い傷を与えてしまうことがあります。  私もそのような愚かな親の一人で
した。  二人の我が子に、そのことで、心の底から申し訳なかったと、常づね覚えて
いるのです

★  次に別の種類の言葉の話、舌が人を生かしたという良い話を考えてみましょう。
ある日、税関で働いていた若い青年が解雇を言い渡されました。  ショックを受けた
青年は、すっかりしょげて、意気消沈して自宅に帰って来ました。  夫の姿の異常さ
に気づいた妻は優しく夫に声をかけ、夫から事情の説明を受けました。

  そのとき、微笑みながら、山内一豊の妻がしたように、引き出しの中から、生活費
の一部をこっそり蓄えておいた小銭がぎっしり詰まった袋を取り出し、そうっと夫に
手渡したのでした。  そして優しく夫の耳元に囁いたのです。

  『税関の仕事がなくなってよかったじゃないの!  ここに少しばかりだけれど蓄え
があるから、あなたは、あなたがずぅ~っとやりたがっていらっした物書きの仕事に
専念なさいよ!  その機会がとうとうやって来たっていうことですよ!  馘首された
からって、そんなこと、ぜんぜん気にすることなんかないのですよっ!』

★  妻の優しい言葉に励まされたホーソン Nathaniel Hawthorne, 1804~1864  は、
ロマン主義の影響下で、ニューイングランドの清教徒社会を念頭に、有名な小説家と
なったのです。  象徴、寓意、倫理性に富む作品を遺した人物です。  「緋文字」、
「七破風の家」、「大理石の牧神」、あるいは「タングルウッド物語」などが知られ
ています。  舌が吐き出す言葉が、文豪を生み出した、よい一例だと思います。

舌は、諸刃の剣よりも遥かに恐ろしい殺人凶器にもなり得ます。
また、人を生かし、人を慰め、人を癒し、人を導く祝福の器ともなり得ます。

『私たちは、この舌で父なる主を讚美し、また、その同じ舌で、神にかたどって
創られた人間を呪っている。  同じ口から、讚美と呪いとが出て来る。
私たちの兄弟たちよ、このようなことは、あるべきでない。
泉が、甘い水と苦い水とを、同じ穴から噴き出すことがあろうか。
私の兄弟たちよ、無花果の木がオリヴの実を結び、
葡萄の木が無花果の実を結ぶことができようか。
塩水も、甘い水を出すことはできない』
ヤコブ書3章9節~13節


 

マタイ傳7章24節~27節

私の言葉を聞いて実行する者を、岩の上に自分の家を建てた
賢者に似ていると言える。 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が
吹いても倒れることがない。 岩を土台にしているからである。
私の言葉を聞いても実行しない者を、砂の上に自分の家を
建てた愚者に似ていると言える。 雨が降り、洪水が押し寄せ、
風が吹いてその家に打ちつけると倒れてしまう。 そして
その倒れ方は酷い。

;                    マタイ傳7章24節~27節