2009年6月アーカイブ

『愛の神とペットの死』

★  半世紀以上も前のケンタッキーの教室での思い出から書き始めます‥
ある聖書のクラスが終わったとき、マレン Frank M. Mullins, Sr.教授が私たち学生
に向かって質問があれば遠慮なくするように‥と語りかけました。

  それを合図に、フィリッピンから留学して来た中国人の女性のリリー李さんが手を
挙げ、いくどもいくども「本当に何を質問してもよいのか」と、駄目押しをしながら、
質問のために手を挙げました。  マレン教授は、遠慮はいらないから何でも訊ねなさ
い‥とリリー李を促されました。

  相当な躊躇のあとで、やおらリリー李が声を出しました‥
『先生、天国には便所はあるのでしょうか?』‥  学生たちは愕然としました。
  そして、学生たちは、尊敬しているマレン教授がどのように回答されるのか‥
最大の好奇心で教授の答を待ちました。
マレン教授は微笑みながらリリー李に応えられました。  私は感動しました。

  『リリー、心配しなくていいんだよ。  天国においても、私たちに必要だと神さま
がお考えになれば、どのようなものであれ、必ず備えてくださるのだよ。  神さまは
愛の神さまだということを忘れないようにね‥』
  『ああっ、それを聞いて私はとっても安心しました!』‥そのときリリーの顔から
緊張が急速に去って行ったのです。  今でもそのことを忘れることができません。

  マレン教授の、神さまの愛と神さまが私たちのために備えをなしていてくださると
いう確信は、その後、生涯私の心の中にも移り住んでいるのです。  善き師でした。

★  それと同じ理解と確信から、「ペットが死ねばどうなるの?  天国に行くの?」
という質問を幼い子供や、その保護者から受けることが多いのですが、マレン教授の
リリー李嬢への実に適切な応答を話すのです。  皆さんは如何お考えですか?

  私たちが結婚してからこん日までに三百頭前後の犬を保護してきました。
だいたいは大型犬でした。  大型犬を引き取る人は少なく、十数頭が天寿をまっとう
して私たちのもとから去って逝くのに立ち会いました。  私はそのとき、『もうすぐ
また会うからな‥』と、疑うことなく語りかけながら、彼らを埋葬して来ました。

★  新約聖書の中で動物が天国に居る‥という明白な言及を私はまったく知りません
が、旧約聖書には動物も天国に居るのではないのかな?‥と、そのように感じさせる
箇所がいくつかあるように思えるのです。  私のひいき目かもしれませんが‥

  創世記1章24節以下で、神さまが天地を創造なさったとき、神さまご自身が創造な
さった動物を御覧になり、「良しとされた」と宣言されているのを読みます。
長い時間をかけて人間を創造なさった神さまは、人間に必要なすべての物を、み心を
砕いて、最善の物をお考えになり、最高の物を人間のために備えて下さったのです。
  そして、1章28節は、男と女が神さまに代わって、それらを管理する仕事を託され
たのです。  神さまの優しい御心の中には、動物がちゃんとはいっていたのです。

  創世記6章7節で、人間の罪が余りにも酷くなったとき、神さまは神さまご自身が
創造なさった人間を地の面からぬぐい去ろうと決意されました。  その中には動物が
含まれていたと、そのように私たちはノアの洪水の前の状態を読みます。

  しかし、哀れみに満ち給う神さまは、ノアとその家族に恵みを示されました。
7章で、ノアの箱舟が完成したとき、神さまは、清い動物と、そうではなかった動物
にもお恵みを示され、雌雄を箱舟の中にはいることを許されています。
  そして8章19節は、動物たちも神さまの愛を受けて、新しい地で生き延びることが
できるようになったことを語っています。

★  さらに、イザヤ書11章6節~9節、65章17節~25節は、動物の種類を挙げて、
神さまの将来への約束の描写を具体的に想像させているように思えるのです。

  将来の究極的な救いのことに関してですが、使徒パウロは、ロマ書8章18節~22節
で、被創造物全体が究極的な救いを切望しながら、共にうめき、共に生みの苦しみを
続けている‥と、そのように書いています。  「被創造物全体」の中には、人間だけ
ではなく、動物たちも含まれているものと、そのように私は考えています。

  なぜなら、動物が創られたのは、神さまがお創りになった究極的な目的である人間
のために役立つためであり、人間に楽しみを与えるためであったと思うのです。

★  創世記1章31節は、神さまがお創りになったすべての物を神さまご自身が御覧に
なったとき、「それは甚だよかった」と証言しています。
  主なる神さまが「地の塵からヒトを創られ」て、それに「いのちの息を吹き込まれ
たとき」、「ヒト・アダーマ」が「人・アダーム」になったと説明しています。

  それと同じように、詩篇 104篇30節~31節は、その前後関係から理解できることで
すが、「主がその御業を喜ばれる」ということには、言外に暗示することの意味とし
て、この自然そのものが主なる創造主を誉め讚えているということでしょう。

★  英国詩人トーマス・グレイ Thomas Gray (1716~1771) の優れた作品「Elegy
written in a Country Churchyard = 田舎の墓地で書かれた哀詩」で、乱れ咲く花を
讚える文を残しています。

  米国ボストン生まれの思想家で、牧師の子で、ユニテリアン教会牧師、超絶主義者
で、哲学詩人のラルフ・ウォルド・エマソン Ralph Waldo Emerson (1803~1882) も
人里離れた原生林の中に咲く躑躅ツツジ の美しさを讚えています。  自然そのものが神
さまを讚えるものであり、神さまがすべての物の中心であると唱えています。

  自然というもの、それ自体が、神さまの優れた創造であり、神さまの御心に添って
創られたものです。  私たちはとかく人間のことだけを考えてしまいますが‥

  イェスさまも、マタイ傳5章45節で、太陽や雨のことを語っておられます。
また、6章26節~28節では、空の鳥や野の花のことに言及されています。

  マタイ傳7章6節には犬や豚が、同15章26節とマルコ傳7章28節には仔犬が登場し
ています。  ルカ傳16章21節とピリピ書3章2節にも犬が登場しています。
  マタイ傳8章20節、ルカ傳9章58節には空の鳥と狐に対する言及があります。
ルカ傳13章32節~34節には狐と雌鳥と雛に関する言及があります。

  当時のパレスティナに住んでいた人たちの生活習慣や文化的価値感覚から、とかく
犬や豚や狐を快く思っていなかったからだと推測しますが、それでも犬や豚の存在を
身近な動物として認識しています。

  これらの福音書に登場する動物たちも、上述のロマ書8章22節が語っている「被造
物全体」の中に含まれていると、私は理解しています。

★  「共にうめき、共に生みの苦しみを続けている」ということは、それが罪の業と
直接に関係しているからでしょう。  「罪の払う値は死である」(ロマ書6章23節)
ことを私たちは聖書から学んでいます。

  人であれ、動物であれ、罪がこの世に侵入して以来、死という大きな問題、(問題
とは、解決しなければならないのに、解決ができないということです)がこの世界を
支配しているのです。  ペットが死ぬということも、罪によって死がこの世に侵入し
て来たからです。  それですから、私たちは愛する者を失ったとき、嘆き悲しむの
です。  それは、愛するペットを失ったときも同じです。  愛の敵は死だと思います。
  神さまは、いずれ神さまのときが来たとき、死ということと向き合ってくださいます。
  そのことはコリント前書15章に詳しく説明されていることです。

★  冒頭で書いておきましたように、フィリッピンから留学に来たリリー李に対して
マレン教授が答えられたように、神さまが私たちのために必要とお考えになることに
対しては、神さまご自身が一番良い方法で、神さまの時間に従って、解決してくださ
ることですし、そのように神さまの恩寵を信じて、神さまのときを待つのが最善だと
思います。

  それは、マタイ傳10章28節~32節が、そのことを裏付けしているように私には思え
るからです。  2羽1アサリオン(¥ 15?~¥ 20?) で売り買いされている野鳥ですら、
神さまの承認がなければ落鳥することはない‥と説明されています。
  神さまは、そのようないと小さな生き物にまでも、その愛を注がれているのです。
それは、神さまがその御心を砕いて最高のものとしてお創りになったいのちの一部で
あるからです。

★  神さまがそれほどまでも慈しんで下さっている小さな動物が死ねば、神さまは、
神さまの愛のうちにあって、やがて私たちが復活に与るとき、きっと私たちと一緒に
なれるようにと取り計らってくださらないはずがない‥と、マレン教授の解答と同じ
ように、神さまの愛を私は確信しているのです。

  『からだを殺しても、そのあとでそれ以上何もできない者どもを恐れるな。
恐るべき者が誰であるか、教えてあげよう。  殺したあとで、さらに地獄に投げ込む
権威のある方を恐れなさい。  そうだ、あなたがたに言っておくが、その方を恐れな
さい。 
5羽の雀は2アサリオンで売られているではないか。  しかも、その1羽も神の
み前で忘れられてはいない。  その上、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられ
ている。  おそれることはない。  あなたがたは多くの雀よりも、優った者である』 
ルカ傳12章4節~7節


 

★  今朝の毎日新聞に、上海で建設中であった13階建ての大きなマンションが、その
基礎部分からポッキリと折れて、倒壊している写真を掲載していました。
  目に見えない基礎部分に何か重大な問題があったのではないかと、写真を見ただけ
ですが、素人の私にも容易に推測できました。  手抜き工事きだったのでしょうか?

  通常は目につかない、隠された基礎部分が、どれほど重要なものであるかを如実に
物語っているように思いました。  それと同じようなことが私たちの人生においても
言えるなぁ‥と、直感的に感じました。

  マタイ傳7章24節~27節で、主イェスが、家を建てるときの土台について警告を
発しておられます。  人生の確かな基礎を確保・確立しておくことが最も基礎的で、
肝心なことだと思います。  同じように、詩篇 127編も重要な警告です。

★  そのこととの関係で、個人的なことで恐縮ですが、心をゆるませてしまっていた
ことを告白いたします。  迫って来る月末を前に、今月はこの地上の生活のことで、
いささか心に戸惑いを感じていたということについてです。

  教会史をどこの学校であれ正規に学んだことのない私が、それでもこの五年かけて
米国教会史テキストを5冊執筆し、読んで頂ける方々に贈呈することができました。

  毎週の週報の執筆にも、教会史の原稿書きにも、今でもキャノワードという旧式の
ワープロを使っています。  ワープロでしたためた文章をフロッピーに収め、それを
パソコン用に変換し、週報を印刷しています。  パソコン用に変換した教会史の原稿
を、印刷して下さる茨城県勝田教会の福山次定先生に送っています。

  五番目の教会史の執筆を終えた途端に、それまで重宝して使っていました変換用の
パソコンが動かなくなりました。  代替品をと考えましたが、急速に進歩した最近の
パソコンには、もはやフロッピーを受け入れる機能が存在しません。

  そこで、長いこと忠実に原稿を書くのを手伝ってくれていた同志、毎週週報を書い
てくれた相棒の壊れてしまったパソコンを、修理させて再使用することにしました。
  修理させるよりも新品を買ったほうが安いことはわかっていましたが、今後も執筆
を続けることがわかっていますので、思いきって修理工場に送りました。

★  修理が終わり、元のように、私の執筆を無言で黙々と助け始めてくれています。
しかし、私たち夫婦の一ヶ月の老齢年金生活費の八割ほどが修理費として消え去りま
した。  実に厳しい選択と、辛い出費でした。  気分が少しへこみました。

  ほかの伝道者の生活状態のことを私は知りませんが、少なくとも私ども夫婦の生活
は、ほとんどの場合、結婚してからこん日までの50年近くのあいだ、経済的に極めて
厳しいものであったと思っています。  今回のパソコンの突然の故障とその修理費の
捻出は相当にこたえました。  「いささかの戸惑い」と書いたことの裏話です。

★  さて、ヘブル書6章13節~19節は、イェスが私たちの希望であり、私たちの魂の
錨である‥と伝えています。  主イェスが私たちの「希望の錨」であるということを
私が疑ったために、それで先週私が動揺した‥ということではありません。

  それよりも、いつのまにかイェスという錨と私を結ぶ紐がたるんでしまっていた‥
とでも説明したほうがよいのだろうと思います。  あるいは、いつの間にか、絶えず
吹きつける人生の風や荒波で錨からずれてしまっていた‥とでもいうべきでしょう。

★  そのような、心が揺さぶられていたとき、揺さぶられて、錨であるイェスと私の
あいだの紐がたるんでしまったのか、あるいは錨が定位置からずれてしまっていたの
に気づかなかったのか‥ですが、そのようなときに民数記23章19節を読みました。

  上記聖書箇所を読むことで軌道修正ができました。  たるんでいた紐を、しっかり
と確かにすることができたのです。  本来あるべき錨の定位置から、私がずれていた
ことに気づいた‥とでも言えるのかも知れません。  民数記23章19節の宣告です。

『神は人のように偽ることはなく、また、人の子のように悔いることもない。
神が言われたことで、それを行われないことがあろうか。
神が語られたことで、神がなし遂げられないことなどあろうか?』

★  これが私たちの希望の錨である神さまのお姿です。  不変不動の神さまです。
皆さんのことに関しましては、私にはまったくわかりません。  しかし、私の場合、
実にこの世俗的なこと、すなわち、生活費ということで、信仰の錨が、本来あるべき
定位置からずれてしまい、たるんでしまい、へこんでしまっていたのでした。

  皆さんにはそのようなことはないと思うのですが‥  少なくとも私の信仰は、その
程度のもので、実にお恥ずかしい次第です。

  しかし、もし皆さんが無意識であったとしても、人生の荒海でイェスという錨から
吹き流され、押し流されていらっしゃると気づかれたときには、錨からずれていると
気づかれたときには、イェスさまが、永遠に最も確かな錨、碇、舫であることを思い
出して、最も確かな錨に、再び押し流されることのないように、ご自分をしっかりと
結びつけて下さるようにお勧めを致します。

  聖歌 472番、新聖歌 248番、インマヌエル讚美歌 163番、そしてバプテスト教会の
  新生讚美歌 520番に掲載されている、『人生の海の嵐に』を讚美してみましょう。


 

箴言20章22節

エホヴァを待て エホヴァ汝を救わん


   箴言20章22節
 

『エマ・ムーディー』

★  『義しい者の結ぶ実は命の木である。  魂を得る者は賢者である』と欽定版聖書
の箴言11章30節は語ります。  『He that winneth souls is wise.』です。

★  米国教会史の中には偉大な説教者や讚美歌の指導者などがたくさんいます。
その一人に、会衆派教会員のムーディー Dwight Lyman Moody 1837~1899がいます。
  ムーディーは有名な讚美指導者サンキー Ira David Sankey 1840~1908と組んで、
米国内だけではなく、イングラント、スコットランド、アイルランドなどへも精力的
に福音伝道旅行を行ったことで有名です。  シカゴ市内には、ムーディー聖書学院を
収容している大きな建物が現在でも残っています。

★  ムーディーの生涯のベター・ハーフはエマ・レヴェル Emma Revellでした。
エマが初めてムーディー青年に出会ったとき、ムーディーは大都会シカゴで成功した
靴のセールスマンでした。

  ムーディーは、マサチューセッツのノースフィールドで、ユニテリアン信仰の傾向
が強い両親の間に生まれました。  ほとんど学校にも行けず、宗教的訓練も受けては
いませんでした。  ボストンで靴屋を経営していた叔父を頼って、17歳で家を出まし
た。  ボストンで会衆派(組合派)教会の日曜学校の先生によって信仰を得ました。
そののち、シカゴに出向き、そこで靴屋として成功することとなりました。

★  ムーディーの信仰生涯について、いずれ紹介することとして、ここではこれ以上
触れないことにしておきます。  エマ・レヴェル嬢のことに戻ります。

  ムーディーが初めてエマ嬢に出会ったとき、ムーディーはシカゴでいちばん沢山の
の靴を売りあげており、得た口銭はシカゴ市内で最高額に達していたそうです。
  その間に、プリマス会衆派教会の会員としてスラムで奉仕をし、日曜学校を始めま
した。  やがて福音伝道者になる決意をし、靴の商売と裕福な生活から決別したので
す。  エマ嬢はそのような決意をしたムーディーとの結婚に同意したのです。

  結婚後のエマは、定住できる住宅を持たず、夫と共に福音巡回伝道旅行に随行し、
夫を支え、会計を担当し、たくさんの事務や通信を引き受けたのでした。  訪問者も
多くありました。  難しい問題を抱えた訪問者の多くをエマが引き受けました。
  『自分が忙し過ぎるとき、客人をエマに託した。  エマは多くの訪問者のいろいろ
な問題を適切に処理し、その人の魂を主イェス・キリストに向かわせることに巧みで
あった。  私にはできないような場合でも、エマはその魂を、イェスを救い主として
受け入れるように導いてくれた‥』と、ムーディーは告白していたそうです。

★  ムーディーが生まれたマサチューセッツのノースフィールドに残る二人の墓地の
傍には、質素な木造の家屋がいまでも残っているそうです。  それはエマがその最後
の日々を静かに過ごした、何の変哲もない粗末な建物だそうです。

  しかし電話も電気もコンピューターもなかった時代に、二人は、数えることのでき
ないほどの魂を天国に送り続けていたのです。  二人が心の底から、喜んで、神の国
のために仕えたからです。  中途半端な、適当に、ほどほどに何とか‥という姿勢の
福音伝道者でなかったからです。

  『やらなきゃならないとわかっているのなら、とことんやらなきゃ駄目なのよ』‥
というのがエマの口癖だったのだそうです。  耳が痛いエマ夫人の忠告です。

  ほかの表現では、神さまに対して「冷たくもなく熱くもない、生温い私たち」への
警鐘でしょう。  黙示録3章15節~16節が注意している基本的な問題です。
    『魂を神さまへと導く者は賢い人である』‥と箴言11章30節は言います。


 

『母君に勝る友や世にある』


 

旧讚美歌 437番と母モニカの祈り

★  敗戦直後の地方から東京に転居することには、いろいろと難しい制限が課せられていました。  東京の急激な人口増加を政府が恐れたからでした。
  そのような時に、当時は旧制でしたが、明治学院高等学校長?(もしかすると学院長)であった高橋源二先生をお訪ねし、京都府立第三中学校から明治学院高等学校に転入を許可するという書類を特別にお願いして転校することができました。  転入校許可書を世田谷区役所に提出し、東京転入が認められました。  高橋校長に贈呈した当時貴重な味噌1樽が役立ちました!  母がしたことで私は知りませんでした。

  その明治学院高等学校で毎朝チャペルという時間がありました。  小泉という先生が壊れかけていたオルガンで伴奏され、私たちはお決まりの讚美歌を歌いました。
  讚美歌の中で、どういうわけであったのかわかりませんが、当時の讚美歌 437番がしばしば選ばれていました。  『母ぎみに勝るともや世にある』でした。  曲自体は『慈しみ深き友なるイェスは』と同じです。  先生がマザコンだったのでしょうか?

★  先日のベタニヤ集会で、この歌を、断りをつけた上で、皆さんとご一緒に歌いました。  神さまを讚美する詩文ではありませんので、躊躇しながら、断りをつけて、皆さんに紹介しました。  しかし、クリスチャンの日常信仰生活という面から考えれば、特に家庭に於ける母親の責務と特権という視点から見ますと、大切なメッセージを持っている歌だと思います。  作詞者を調べていますがいまだに不明です。

★  『母君に勝る友や世にある?』‥
この歌との関係で思い出す一人の母親が教会史の中に存在します。
そのことを今日は考えてみたいと思います。

  また、その母親の名を着けた町があります。  ロサンゼルス西方に行楽地や保養地としても有名な海岸都市で、人口約9万人のサンタ・モニカ Santa Monica です。強いて訳せば「聖モニカ」となりましょう。  英国系の裕福な人たちや、ハリウッド映画の俳優たちの別荘が多くある町だったと記憶しています。  そして、モニカは、どうやら、アフリカ系の女子名のようです。

  「聖モニカ」は、ヒッポのアウグスティヌスの母で、332?年~387?年を生きた女性です。  半世紀も前にペパダイン大学院でホートンという教授が彼女のことについて、アウグスティヌスと同様に、熱心に説明されていたのを記憶しています。

★  ヒッポのアウグスティヌス Augustine of Hippo、 354~430 、アゥグスティンと英語では発音しますが、ひとことで言えば、初期キリスト教最大の教父であり、偉大な神学者であり、ヒッポの司教でした。  ヒッポはアフリカ側の地中海沿岸都市で、現アルジェリアのアンナバに隣接した所にあったローマ帝国時代の土地の名です。

  わたくし如き完全に無学の田舎者にとって、教会史、ひいては世界史の中でも偉大な人物、偉大な教父アウグスティヌスを口にすることなど、身のほど知らずなことはありませんので、これは絶対に避けなければならないことです。
 そこで、母モニカの信仰ということに限定したうえで、お話をいたします。

★  モニカが23歳のときにアウグスティヌスが生まれました。
彼女の家庭生活は惨めなものであったようです。  夫は天地の創造主なる神を信じていなかった男で、不道徳な乱行を重ねて家庭を顧みなかったそうです。激しい気性の持ち主で、妻モニカに対しても暴力を振るっていたようです。

  そのような家庭環境の中で、モニカは息子アウグスティヌスに聖書を教え、神の道を選ぶように祈り続けていたようです。

  しかし、彼女の祈りにもかかわらず、アウグスティヌスは16歳のときに家を離れ、アフリカ側の地中海北岸のカルタゴの学校に向かいました。  カルタゴはフェニキア人の植民地でしたが、ローマに滅ぼされてローマの属州になっていた都市です。カルタゴでラテン文学とギリシャ語を学び、修辞学も学びました。

  そのあと、アウグスティヌスは地中海を北に横切り、ローマに向かいました。ローマでアウグスティヌスは放蕩に身を落し、母の教えを裏切る生活を続けました。17歳ですでに愛人との同棲生活を始め、その関係は15年間も続きました。不道徳な同棲生活から息子アデオダタスが生まれています。

  それだけではなく、母の願いも空しく、マニ教の二元論の信奉者となりました。地方を経めぐり、いろいろな人生体験を虚しく重ねました。
  その間にミランの司教アンブローズの説教を聴き、37歳で母の信仰に戻りました。アンブローズによりバプテスマに与り、それまでのすべてを投げ捨て、ローマに戻りました。  母モニカをローマの外港オスティアに埋葬し、アフリカに戻りました。

  息子アウグスティヌスが、ただ単に不道徳な生活に身を堕しただけではなく、こともあろうに、母の願いに反して、マニ教の二元論信奉者と成り下がったことに対してモニカは絶えず跪いて祈り続けたそうです。  膝で跪いて祈り続けたのでした。
  モニカの生涯を懸けた祈りが聞き届けられ、最悪の罪深い青年が世界史と教会史の中で偉大な功績を残したクリスチャン指導者を生み出したのです。

★  『神さま、あなたの忠実なしもべが、この私のために、あなたさまに向かって、涙を流して祈り続けてくれました。  それは、この世の母たちが、自分の子供たちが死んだときに流す涙の量よりも遥かにたくさんの涙をあなたのしもべが流して、この私のために祈り続けてくれました。  そして、あなたさまは、彼女の祈りを聴き取り給い、彼女の涙を無駄にはさせずに聞き届け給いました。  あなたのしもべ、わたしの母が祈るとき涙が川の水のように流れ落ちて、彼女がどこでわたしのために祈ってくれても、あなたのしもべ、わたくしの母が祈るとき、彼女の膝の下の地面が濡れているほどでした。  その祈りをあなたは聞き届け、決して無駄にはなさいませんでした‥』

★  アウグスティヌスは、のちの日に到って母モニカの祈りを覚え、このように書き留めていたそうです。

  どこの国でも、いつの時代でも、親というものは子供のことを案じるものです。わが子の幸せを祈らない親はいないはずです。
  しかし、私たち、主イェスの十字架を知る者は、神さまに祈ることができるという特権を知っているのです。  これほど力強い武器はこの世にあり得ません。

  子供の魂の行き先を真剣に祈らない親はいないはずです。  主イェスは子供たちにとっても最も大切な救い主であるはずです。  そのことを私たち親が日々意識して、親である私たちが最愛の子供たちのためにそのように祈っているのでしょうか?
  「信仰のことは子供の自主性に任せてあります‥」でよいのでしょうか?
無責任きわまりないことのように思います。  イェスはどうでもよい救い主ですか?

  最愛の子供たちが、神を知り、神に仕える者となること‥これは神さまから私たち親に与えられ、託された、最高の特権と責任だと私は確信しているのです。
  『母ぎみに勝る友や世にある?』  皆さんがその答を一番ご存知なはずです。

 


 

★  典型的な老人の特徴と特権だと思いますが、ふたたび昔のことから始めます。

  私が留学して二年目のことだったかと思います。  白黒テレビがまだ贅沢品の一種
で、女子寮長先生の居間に備えてあり、週末になると男子学生たちが女子寮を訪れ、
お目当ての女子学生と居間で語り合っていました。寮長夫人がスナックを提供してく
ださるので、もてない男子学生でも、それを目当てにテレビを視に行った学生もいま
した。  私は英語での勉強に追われて、ほとんど女子寮に行った記憶がありません。
  しかし確かそこでアラバマ州モンゴメリーで黒人による市営バスの乗車拒否運動、
すなわち、バスのボイコット運動を目撃したような記憶があります。
公民権運動というものが、アメリカの歴史の中で初めて生まれた瞬間でした。

  その頃の自称白人「クリスチャン」のほとんどにとって、そのような運動を、どの
ように捉えたらよいのかということで、大きな動揺と波紋を招いていたと、そのよう
に記憶しています。

  日本が連合国に占領されたときから、実際には主としてマッカーサーを総司令官と
するアメリカ軍でしたが、アメリカは自由と平等と平和な、理想的な民主主義国家で
ある‥と、そのように私たちは教育されたのです。
  天皇を頂点とする大日本帝国の恐ろしい国粋主義から解放されたばかりの日本人の
ほとんどにとって、アメリカは理想的な民主主義国家だと、私を含め、ほとんどの者
が憧れたものでした。

  到着港未定のまま西海岸に向かった貨客船彦島丸が、カナダのヴァンクーヴァーに
到着し、そこからバスでケンタッキーに向かったのです。  バス・ターミナルに到着
して、用を達したいと思い便所に行きました。  そしてそこで、有色人用と白人用に
分けられていたサインを初めて発見し、強い衝撃を受けました。  東洋人はどちらを
利用するのか‥わかりませんでした。

  学校で旧約聖書の学びが始まったとき、創世記9章26節の解釈をめぐり、『黒人は
白人の召し使いになるべく神が定められたのだから、白人の奴隷で良いのだ‥』と、
まじめに信じている学生たちが多かったことを聞き、これまた衝撃を受けました。

  二ヶ月ほど前のことですが、米国教会史を調べていたとき、一部の教会の説教者や
長老たちが、実は KKK(=Ku Klux Klan) の中心的指導者であったと知ったのです。

  南北戦争後の南部諸州に結成された秘密結社のことで、白人至高主義を唱え、黒人
や北部人、ローマ教会員やユダヤ教徒人、それに進化論者などを脅迫・排斥・リンチ
する暴力集団のことです。  穏やかな白人自称クリスチャンにとって、自分の立場が
わからず、戸惑い、困っていた時期だったと記憶しています。

  私も「ジャップ」と、しばしば白人クリスチャンから呼ばれていたことを記憶して
います。  現在は廃刊になって久しいのですが、世界的に有名であった週間写真雑誌
に「ライフ」という雑誌がありました。  ある号で、黒人の男性が KKKによって私刑
され、すなわちリンチされ、樹の枝にぶら下がっている写真が掲載されていました。

  たまたま、ほかの雑誌と共に、その号を代々木八幡教会の友人に送ったということ
である宣教師が移民局に情報提供をすることとなり、その結果、「好ましくない外国
人」として、移民局に呼び出され、取り調べを受けたたことがありました。
チャップリンが赤狩りにひっかかり、マッカーシズムがまかり通っていた時代です。

  冷戦時代の不安定なアメリカにとって、このころは人権運動の黎明期でしたので、
モンゴメリーのバス・ボイコット運動に参加していた多くの黒人たちを、白人警官や
白人州兵が実力排除している実況報道を、私は眉をひそめながら、そして大いに戸惑
いながら、当時まだ珍しかったテレビで目撃していた記憶があります。

★  ことの起こりはと言いますと、黒人のメソジスト・エピスコパル教会員であった
ローザ・パークス Rosa Parks さんがバスの後部座席に乗っていたとき、白人たちが
立っていたということで、後部座席に坐っていたパークスさんを含む四人の黒人たち
に対しバスの運転手が白人たちに席を譲るように要求したことから始まりました。

  黒人は後部座席に坐るように定められていたのですが、四名の白人が立っていると
いうので、後部座席に坐っていた四名の黒人たちは白人たちに席を譲れ‥と命じられ
たのです。  致し方なく三名の黒人たちは、立っていた白人たちに席を譲りました。

  しかしローザ・パークスさんは断固拒否したのです。  この些細な拒絶がその後の
大きな公民権運動へと発展していったのです。  オバマ現大統領はまだ生まれていな
かったのではないか・・? と思います‥。  1955年のことだったかと思います。

★  ローザ・パークスおばさんは、『いよいよ黒人が白人に対して公然と抗議する時
が来た!  ほかの黒人はどうであれ、この私は違うんだ!』と決意したのでした。
  すなわち、『強くあれ。雄々しくあれ。  あなたが何処に行くにも、あなたの神、
主が共に居られる故に、恐れてはならない。  恐怖におののいてはならない』‥
  ヨシュア記1章9節の呼び掛けです。

  ローザ・パークスおばさんは逮捕されました。  彼女の勇気ある抗議の姿勢は全米
の黒人たち、こん日ふうに言うと、アフリカ系アメリカ人を激しく揺すぶりました。
モンゴメリー市バス・ボイコット運動へと発展して行きました。
  ノーベル平和賞を得たバプテスト教会キング牧師 Martin Luther King 1929~1968
も登場して来ました。  このような経過を経て公民権運動 Civil Rights movement
がこん日のような形を形成し始めたのです。

★  人がまじめに何か変化をもたらしたいと願うのであれば、そのことを願う人は、
「自分はほかの人々とはここが違うのです」ということを鮮明に表示しなければなら
ないと思います。  そして、思ったことを実践する必要があるのです。
  自らが自分の考える「違い」を、自らの「違っている」という姿勢・態度で明確に
示さなければ理解されないと思います。  特に信仰や政治信念においてはそうです。

  日本人特有の「玉虫色」、「ナァナァ主義」、「マァマァそこは何とか主義」では
ほとんど何の変化も改善も改良ももたらすことはあり得ないのです。  信仰面でも‥

  日本の教会の無力さの原因の一つは、クリスチャンと自称する人たちの付和雷同性
にあると思います。  曖昧さです。  信仰に賭ける・懸ける‥ことがないのです。

★  物事をはっきりさせるためには、自らを明白にする必要があります。
このこととの関連で、聖書は何といっているのでしょうか?  ダニエル書です。

  三人のユダヤ人青年がバビロンに捕虜として強制連行されたときに、自分の信仰を
鮮明に打ち出すことに命を懸けました。  おおよそ30メートルほども背の高い偶像を
神として拝することを拒絶し、偶像に頭を下げることを拒否したのでした。

  結果は明白でした。  バビロン王の怒りに触れた三名は、燃え盛る溶鉱爐の炎の中
に放り入れられたのでした。  しかし、神はその奇しき御手をもって三名を護られた
のです。  ダニエル記3章に記録されていることです。

  自分たちは他のひとたちとは違うのだ!という信仰の証明を、自分たちはこういう
ように違うのだ‥と、バビロンの人たちの偶像崇拝とは違った自分自身の信仰を実践
して鮮明に示したのです。
  鮮明に示された「三人の青年の違った信仰」を目撃したバビロン王は、28節以下
で、『シャデラク、メシャク、アベデエネゴの神は誉むべきかな!』と、三人の神を
誉め讚えたのです。  全国に布令をだし、三人の神を汚すことのないように命じたの
です。

★  私たちがまことに私たちの信じている神さまを、私たちの日常生活で、家庭で、
職場で、社会に示したいと願うのであれば、何処かで私たちは、人々に対して、自分
の信じている神さまへの私たちの在り方を鮮明に示す必要があると思います。
  中途半端な信仰というものは在り得ないと私は信じています。  自分の信仰を鮮明
に示すための勇気が必要でしょう。  十字架のできごとに感謝しているという姿勢を
はっきりと示す必要がありましょう。  恩寵に応えるひとつの良い道だと思います。

  主イェスは十字架に半分だけ行って、半分は逃亡した‥などではなかったのです。
十字架の上で死に到るまでとことん己を捧げられたのです。  自分の信じていること
に対して自信と誇りを持つのであれば、私たちは、信じていることをはっきりと世に
示す必要があると思います。  「玉虫色の信仰」などというものは決してあり得ない
のです。  日本での教会ゴッコ、そろそろこのあたりで止めにしたいものです。

        ヨシュア記24章15節は、皆さんにとって、ただ単なる画餅ですか?
                     Kyrie eleison! 主よ、哀れみ給え!


 

リストランの常連客

 

リストランの常連客

リストランに来る常連客の栗鼠嬢、臆病者で撮影に適さず・・・。残念。


 

1960年7月10日~24日
              ロサンゼルス市内ウエストサイド教会で語ったこと

★  先週号「ベタニヤつうしん」に、半世紀前にロサンゼルス市クレンショウ地区に
あったウエストサイド教会で一世たちと二世たちに語ったことを、当時の原稿を基に
紹介しておきました。  或る方から送られてきたご質問に応えるためでした。
  今回号もその続きです。  49年前の7月に3回にわたって語ったものです。

  振り返ってみますと、二世たちの反応は極めて冷ややかであったと思っています。
太平洋戦争中は強制収容所に収容され、解放後も白人社会から長く疎外され、自らの
アイデンティティーの確立に苦しみ、加えて極めて律法主義的聖書理解と自己閉鎖的
信仰世界に導かれていた数名の二世たちは、何とかして教勢拡大をと願っていたよう
に思います。  三、四名による可視的面宗教儀式中心の日曜礼拝であり、主イェスに
出会ったという、喜びの生命の躍動を欠いたものであったと思っています。

  人の手によって教会の教勢を何とか盛り上げたいと願っていた二世たちの在り方、
すなわち、律法主義的な在り方を問いかけた私の聖書理解を、数名の二世たちが理解
するのは困難であっただろうと思います。  その後、教会は解散してしまいました。
  さて、以下が半世紀前にウエストサイド教会で語ったことの要旨です。

★  現在(1960年のこと)の教会と、現在の人間の価値基準について‥
現在の世界中の多くのキリスト教会では、「成功というものさし」によってその教会
なり、その教会の牧師という人物の善し悪しが評価されているようです。

  しかしそのような評価は、イェス・キリストの福音という視点から見てみますと、
それは遥かに劣ったものでしかないということだと私は考えます。
  イェス・キリストの福音から程遠いものを現在の教会が追いかけているとすれば、
それは神さまに対する一種の逆らい、冒涜になるのではないのでしょうか?
  『主が家を建てるのでなければ、建てる者の勤労は空しい』‥詩篇 127篇1節

★  教会が主張することと、この世の無関心さということについて‥
私たちは、主イェス・キリストの福音だけがこの世を救い得る唯一のものだ‥と主張
しています。  私たちの教会だけがこの世を救い得る唯一の福音を語っている‥と、
そのように、そのような大言壮語のようなことを語って、得々としているようです。

  そのようなデッカイ主張をする私たちの教会を、この世の人々が聞くときに、人々
は何を思うのでしょうか?  身近にある教会堂のことでしょう。
  日曜朝に教会堂に集まって来る「善男善女」が、一握りの位階聖職者によって大仰
に営まれている可視的な宗教儀式に参加しているという程度の理解でしょう。

  世間一般の人々にとっては、教会というのは教会堂のことであり、石や木で作られ
た建物のなかで、職業的宗教人である聖職者が、説教台から主張していること、説教
者を中心に営んでいる宗教儀式を考えるのが精一杯だろうかと思います。

  その教会堂の中で、この世の営みとは全く無関係な職業的宗教人である位階聖職者
制度を唯一のよりどころと考えている牧師なり司祭が、教会の中に世界を救うことが
できる唯一の鍵がある‥と説いているなどとは決して考えていないはずです。
  そのようなことを、教会の外に置かれている世間の人達は、信じていないのです。
教会が天下をひっくり返すことができる鍵を握っているなどと、そのような主張こそ
世の中の人々にとって、実に矛盾だらけで、絵に描いた餅、狂気の沙汰なのです。
教会堂のなかで、週に1回かせいぜい2回集まって、自己満足に耽っている善男善女
のたわごととしか理解できないのです。  そしてそれは正しい評価でありましょう。
  ほかの表現をすれば、世の中の人々は、教会の言うことを信じてはいないのです。

★  教会堂の中で繰り返して行われている宗教儀式行為のことですが‥
1週間には 168時間あります。  2週間に1回「教会に行く」という行為であれば、
それは 338時間に1回、せいぜい1時間か2時間ということになりますし、3週間に
1回「教会に行く」となれば  504 時間に一回だけ、そこで確信もしていないのに、
何の感覚も感情もなく、ただ単に形式的な宗教行事を繰り返し、繰り返して営んで、
それで「自分は敬虔なクリスチャンなのだっ‥」となりますと、これでは、まことに
「何かおかしい Something is wrong !?」ということになります。

  このアメリカでは、1年に1回か2回だけ「教会行く」人がいます。  実に 8、760
時間に1回、「1年に1時間か2時間だけのクリスチャン」ということになります。

  しかもその1時間ほどの初めと終わりの間に、合図があると、突然に神さまが何処
からか引きずり出されて来て、また何かの合図で神さまが何処かに押し出され、何処
かに引きずって行かれる‥  それで「神さまのことはオシマイ」で、元の世俗に思い
がさっさと戻って行くというのでは、世間の人が私たちを信じることもできないし、
私たちが信じ込んでいるという神さまを信じることはとうていできないと思います。

  その1時間前後の礼拝をすら長過ぎる‥というのではなおさらのことです。
その1時間前後の礼拝の中で「神さまに捧げる礼拝・神さまに捧げる祈り、神さまに
捧げる讚美」と教会が主張する内容が、いつもマンネリズムの繰り返しでは、世の中
の人たちが私たちと、私たちの神さまを信用するわけ、できるわけがないのです。

  主の食卓や献金の順番も週報や伝統で決まってしまっていますから、献金の時間が
回って来ますと、時には財布の中の硬貨がチャラチャラと音を立て始めたり、硬貨が
床に落ちて転がって来るということを私はあちこちの教会で目撃しています。指導者
たちが捧げる祈りも実は毎回同じ内容で、録音テープを流しているようです。
  世間の人が、そのような宗教集団の中に「天下をひっくり返すいのち」があるとは
とうてい信じていないのです。  「敬虔なクリスチャン」の集会であるとは言えない
と思います。  それを世間の人々に信じてくれ‥というほうが無理というものです。

  また、人によっては、「教会に来る」理由が、イェスを礼拝するということと全然
関係のない、ほかの目的や意図でやってくることがあります。  気にいらなくなれば
何の痛みも覚えないで立ち去ります。  あってもなくてもよいような気持ちで集まれ
ば、そこには「永遠のいのちに共に与る喜び」が存在するはずがありません。

  教会堂で営まれている諸行事に対して、適当に、ほどほどに参加しておけばそれで
よし‥という姿勢では、その集まりは、生きた者の死んだ信仰行事、信仰儀式、信仰
行為の繰り返しにしかすぎません。  そのうちに、「生きたままで死んだ人の死んだ
宗教儀式‥」ということになってしまいます。  魅力も力もそこにはないのです。

★  それでは、教会(エクレシア・集会)とは、一体全体何なのでしょうか‥?!
イェスをキリストとして、救い主として受け入れた瞬間から、自分の魂が、その根底
から激しく揺すぶられた体験を経た瞬間から、主イェスがいつも自分の傍に居られる
という確信を抱き続けている者たちが、主の復活されたことを覚える一回りの初めの
日に一緒にひと所に集まって、主の食卓に招かれているのだという喜びと感謝の念に
満たされている状態を私たちはエクレシア、この曲がった世から呼び出された者たち
の集まりと呼ぶのだと思います。  それが聖書的な集会・教会・エクレシアです。

  日々の生活の場で、イェスが私たち一人ひとりと共に居まし、共に歩み給い、常に
私たちの祈りに対して語り掛け給い、常に讚美に耳を傾け給い、私たちの苦情や抗議
にも微笑みの顔を向けて聞き給い、励まし、慰め、ときには諫め給う経験を私たちが
個人的に体験し続けているということが、そしてその恩寵に何とか応えたいとイェス
のことを思い続けることとが、それが礼拝そのものだと思います。  礼拝の一部だと
信じています。  イェスが私たちの心に焼きつけられている状態と言えましょうか‥
  神さまに対して、そのような感謝と畏敬の念を抱く者たちが共に居るという状態を
エクレシアと呼ぶのだと、私はそのように考えます。

  使徒行伝2章にかけて語られているペンテコステ(五旬節)の日に、イェスの弟子
たちが経験したあの個人的、そしてエクレシア全体としての体験を、私たちはこん日
でも極めて重要な信仰の要素だと自覚する必要があると思います。

  自分の犯した大罪、すなわち、自分の罪の故に、この自分がイェスを十字架の上で
釘付けにしたのだ!‥  神の独り子を磔刑にしたのだ!‥  自分は罪人の頭である!
(テモテ前書1章15節)‥  という強い罪意識が問われています。

  そのような大罪を犯したこの自分を、神さまはその恩寵の故に無条件で愛し、赦し
を与え、神さまの家族の一員として加えてくださり、とこしなえのいのちを無条件で
与えてくださったのだ!‥  神さまの御国建設のために召してくださったのだ!‥
  このような確信、神さまと神さまの無条件の愛に対して限りない信頼・信仰を抱く
者たちの集まり、集められた、集まった状態をエクレシア、教会と呼ぶのです。

  ペンテコステの日のできごとの結果として、使徒行伝2章36節以下は、悔い改めた
人びとの鮮明な在り方を豊かに説明しています。  聖霊の賜物を頂いた人々の在り方
が説明されています。  聖霊の宿る宮(コリント前書3章16節)としての教会の姿を
私たちの日常生活の在り方の中でこの世に対して示す必要があります。

  それは、すでに書きましたように、ペンテコステの日に、人々は自分の犯した大罪
が、神さまの一方的な恩寵によって赦されたのだ!‥おいらは罪から自由にされたの
だ!‥という、罪の赦しの喜びを、一人一人が、そして群れ全体が体験したのです。

  それと全く同じように、私たちの罪も一方的に神さまの恩寵の故に赦されているの
ですから、私たちの日常生活においても、また、エクレシアに於いても、同じような
歓喜と讚美が私たちの集会に於いても示せるはずだと思うのです。
  もちろん、このロサンゼルスのように、いろいろな民族や人種が集まっていますの
で、それぞれの文化や民族の違いということから、喜怒哀楽の表現方法は異なるかも
知れませんが、罪赦されたという喜びは基本的に同じであるはずです。

  そして、最後に、教会とは何のために存在しているのか?  教会の「ものさし」と
はいったい何なのか?‥  ということを別の視点から考えて見ましょう。

  ペンテコステの日に生まれた初代原始教会、ペンテコステのエクレシアは、この世
の価値基準に支配されない、この世の「ものさし」ではとうてい測ることができない
基準を持って始まったのだ!‥  ということだと、私は思います。

  すなわち、この世が重要視する組織力とか、行為とか行事などを、初代原始教会は
全く知らない、知らなかった‥ということでしょう。  それでも迫害に耐え抜いて、
迫害の中で、教会は成長し続けて行ったという事実を使徒行伝から学ぶのです。

  人々は喜んで集まり、使徒たちから聖書の説明を受け、十字架のできごとの意味の
説明を受け、喜んで主の食卓に侍り、喜んで資産を売り払い、喜んで貧しき者たちを
助けながら、迫害の中に在っても主イェスを知る知識と恩寵(ペテロ後書3章18節)
の中に育って行ったのです。

  ペンテコステの日に生まれたイェス・キリストのからだ、すなわち、エクレシア、
呼び出された者たちの集まり、アッセンブリー、(漢字圏ではそれを「教会」と悪訳
してしまいましたが)を構成していたほとんどの人々は貧しい人々でした。
  もしかすると、ローマ帝国内を廻り流れていたいろいろな層の貧しい人々、奴隷、
半奴隷なども居たでしょうし、数多くの寡婦や老婆なども居たものと思います。

  神さまの一方的な赦しと愛に触れた人々は、新しい価値感覚を得て、お互いを助け
合う必要に気づいたのです。  自発的に持っている物を互いに差し出して助け合いを
したのです。  それは、彼らが十字架に懸けることを由としたイェスが、その生前に
言われたこと、すなわち、『このいと小さき者になしたるは、吾になしたるなり』‥
という教え、(マタイ傳10章42節、マルコ傳9章41節、マタイ傳25章40節)にも関係
があったものと思います。

  エルサレムの教会の貧困状態を救うために、使徒パウロの呼びかけもあって、地方
の諸教会では、日頃から蓄えていた慈善の捧げ物 alms ・集金・収集を、一週の初め
の日の集会に持ち寄っていました。  貧窮者へのその信処・慈善をエルサレムの教会
に送っていたことをコリント前書16章1節~3節や、コリント後書9章5節~15節
から学びます。
  初代原始教会は、貧しい境遇のなかにいる人たちと、神さまかがくださるいろいろ
な祝福を喜んで分かち合うことを実践していたのです。  自分の教会の貯金通帳用に
と捧げていたのではなかったようです。

  この点でもこん日の教会の理解と姿勢は初代原始教会の理解と全く違い、おかしい
のです。  捧げられた献金を初代教会では奉仕のために惜しみなく使っていたようで
す。  あるいは、福音宣教や教育(マタイ傳28章19節20節)のために使ったものと
考えられます。  また初代教会は、福音伝道に専念する働き人をよく支えたのです。

  2千年前とこん日では状況が違っている‥という言い訳が成り立つようにも思えま
す。  しかし人間の日常生活も、心の中も、基本的にはそんなに変化はないのです。
  基本的には、どの時代でも、何処であっても、自己中心主義や自己弁解主義が教会
と私たちを支配し、罪が私たちを牛耳ろうとしているのです。
  ルカ傳14章16節以下のイェスの譬は2千年前のイェスの時代のことでは決してあり
得ないのです。  実に耳の痛い、現在の話です。  それがイェスの譬の力なのです。

★  イェスの福音の基準、教会の基準、そして世間一般の基準、一度まじめに整理・
整頓してみる必要があるのでしょう。  神に属するものは神に戻し、この世の権威に
属す基準はこの世に返し(マタイ傳22章21節)、そして二つを混ぜ合わせて、主の教
会に持ち込んではいけないのです。  教会はこの世の基準では測れないのです。
測ってもならないのです。  神さまに属するものと、この世に属するものは別です。

                          ★        ★        ★

  保存しています原稿を見てみますと、今から半世紀も前に、ロサンゼルスの日系人
教会、ウエストサイド教会で、以上のことを2回に分けて一世の方々に、そして二世
の皆さんには1回でお話をしました。  ほとんど理解を得られなかったと思います。
クリスチャンであれそうでない人たちであれ、人間というものは、何年立っても、基
本的に少しも変わっていないように思います。
            主よ、我を(我らを)救い給え! Kyrie eleison!です。


 

ゼカリヤ書2章1節~2節

私が目を上げて見ていると、見よ、一人の人が、
測り縄を手に持っているので、
あなたはどこに行くのですか?と尋ねると、
その人は私に言った。
エルサレムを測って、その広さと、
長さを見ようとしているのです‥と答えた。


   ゼカリヤ書2章1節~2節
 

『効かなくなった塩』

★  文通を続けています教友の一人で、イェス・キリストに関する信仰やキリスト教
に関する広い分野の本を、とにかく読破する仲間にダン・スミスという人がいます。

  母校ペパダイン大学が毎年主催する講演会で初めてお互いに対面できました。
朝鮮戦争に従軍した彼が撮影した当時のカラー・スライド類を、ソウル歴史博物館に
寄贈するように働きかけています。  ソウル歴史博物館でも期待しているようです。

  そのことで電子書簡のやりとりをしていましたところ、今朝になってダンさんが、
最近読んだ良い本がある‥と教えてくれました。  新約聖書の文化人類学・考古学の
本のようです。  いつものようにマッケイさんを煩わせて注文することにしました。

★  ルカ傳14章34節~35節に記録されている「効きめを失った塩」のことです。
同じことをイェスはマタイ傳5章13節でも語っておられます。
  たくさんの人が、わたくしを含めて、「地塩世光」について、イェスが言及された
ということを知っています。  特にマタイ傳のほうの譬は多くの人が知っています。

  しかし、たくさんの人が、マタイ傳5章13節のことを、何となく素通り的に読んで
いるので、『ああっ、そんなことが書いてあることは知ってるよ...』と言いますが、
それでは、『なぜ塩が効き目を失うのか?  塩に何が起こったというのか?』となり
ますと、答えられる人は少ないかと思います。  そんなことを言うこのわたくしも、
実はその答を知らなかったのです。  お恥ずかしい次第です。  無知でした。

  イェスの時代のパレスチナの人類文化学を学んだことがなかったからです。
学ぼうとすらしなかったわたくしの醜態です。  死ぬ瞬間まで求道は続くものです。
聖書に関することを知らないということ、知ろうともしないこと‥恐ろしいですね。

★  イェスはしばしば譬を用いられました。  それはイェスが語られる譬を聴く者が
そのことに思いを巡らして、イェスの意とされることを、めいめいが考えるようにと
いうことであったと思います。  しかし、少なくともわたくしは、イェスが語られた
譬の余韻に対して余りにも無感覚であったことを、今回の「役に立たなくなった塩」
の譬の意味を示され、不信仰であったことを告白せざるを得ませんでした。

★  用がなくなった塩、効きめを失った塩‥
そのようなことは塩に限ってあり得ない‥と、づう~っとわたしは思っていました。

  そのこととの関係で、詩篇12篇とヨブ記28章5節は背景説明をしているのです。
マタイ傳5章13節が言う「効きめを失った塩」よりも、ルカ傳14章35節のほうが、
よりよい背景説明をしています。  「肥料」という単語が鍵です。

  「塩の譬」を語られたイェスも、イェスが語られた「効きめを失った、役立たずの
塩」の譬を聴いていた人々も、イェスが仰った譬、すなわち利かなくなった塩という
ことは、当然のこと、当たりまえのこと‥として理解していたということです。
  私たちが生活をしているこの日本という国では、「効力を喪失した塩」という経験
がないのです。  イェス時代のパレスチナの日常生活と無関係だからでしょうか?‥

★  ルカ傳14章35節には、「肥料」という単語が登場しています。
上記旧約聖書の箇所は、古代からパレスチナ地方で、「地面を用いた窯」という生活
習慣があったことを示唆しています。  人々は地面の上に窯を作り、火を燃していた
ことを知ることができます。  火を燃すということは燃料と関係があります。

  当時の人々は、乾燥させた家畜の糞を燃料として使っていたのだそうです。
乾燥させた家畜の糞を竈の燃料にするとき、あるいは、地面の上で火を起こし、火を
燃して炊事なり、何かほかの作業をする時には、人々は乾燥糞の最大効果を得るため
に竈の地面を平らにして、そこに塩を撒いてから乾燥糞を敷いたり、糞の上にも塩を
撒いて燃したのだそうです。  そのようにした塩の働きで、乾燥糞の最大効果を得て
いたのだそうです。  このような生活習慣の無い私たちの文化では、塩がこのように
用いられることを知るよしもありません。  少なくともわたくしは無知でした。

  ところが、同じ地面の上に、同じ竈の地表に塩を撒き続けますと、こんどは、塩が
逆作用、逆効果をもたらし、乾燥糞が燃えなくなってしまうのだそうです。
  最初の内は、塩の働きで乾燥糞が効果的な燃料となっていたのですが、同じことを
繰り返す内に、今度は地面に撒いて置いた塩の働きが逆に働き始めて、逆な化学反応
を塩がもたらして、乾燥糞を燃えにくくし、火力が衰え始め、そしてついに最後には
火が消えてしまうことになるのだそうです。  わたしは知りませんでした。

  このようなわけで、塩の効きめが薄れて来た時には、古くなった塩を早めに取り除
く必要があったのだそうです。  役に立っていた塩が、役に立たなくなるのです。

★  このあたりに、イェスが時として、意味深長な譬をわざわざ使われたことの意味
があるのではないかと教えられた次第です。  言外により深い意味が秘められている
ことを、譬を聴く者たちが慎重に各自の判断でそこに秘められた意味を捜し出すよう
に求められたのではないのでしょうか?

  そうだとしますと、役に立つはずの大切なものが、繰り返し無造作に使われるよう
になると、やがてその内に、それは本来の意味をなさなくなることがある‥と、その
ようにイェスがおっしゃりたかったのかも知れません。

★  そういえば特にマタイ傳で、「悟る」とか、「悟らない」とか、「悟れない」‥
という表現をイェスは数多く使われています。  確か11回ほどあると思います。

  私たちにとって大切なはずの主イェスさまも、神さまも、聖霊さまも、ご恩寵も、
十字架のできごとも、聖書も、教会も、祈りも、礼拝も、讚美も、信者同士の交わり
も、私たちの魂の生存にとって欠かせないものです。  ありがたいものです。

  しかし、これらが、無感動・無感覚・無関心に繰り返される内に、私たちは何をも
感じなくなってしまうのではありませんか?  宗教ゴッコ、教会ゴッコ化してしまう
のではありませんか?  初めの愛を見失ってしまうのではないでしょうか?
  それは、自分の家族に対する思いや態度の堕落、感謝の念の欠如と同様に、自分の
不注意で、感謝なはずの信仰生活を劣化させてしまっているのではありませんか?

  「地塩世光」であるべき私どもが、効きめがなくなっているのに、用がなくなって
いるのに、教会ゴッコを繰り返し、救いを必要としているこの世から主イェスの福音
を、そしてまた教会をゲットー化してしまっているのではないのでしょうか?
主の食卓に侍るとき、悔い改めをする必要があると、改めて覚えます。

  譬とは、何処で、いつ、何を、誰が、どのように解釈し、実践するのか‥  それら
を問うものであり、各自が応答することを求めているものだろうと思います。


 

1960年7月3日  ロサンゼルスで話したこと

教会に大勢の人を集める牧師が伝道上手な牧師ですか?
それができない牧師は駄目な牧師ですか?
=質問に対する回答  その2=

★★★★★

★  昨日、すなわち6月14日のベタニヤ集会の席で、土曜日に送られて来ていた質問
に対して、半世紀も前にロサンゼルスのウエストサイド教会で皆さんに説いたメモを
中心に、わたしなりの回答を、改めて出席者の皆さんと考えて見ました。

  その内容を、すでに多くのかたがたには電子書簡で、21日の「ベタニヤつうしん」
で、それぞれお届けしておきました。  今回は更にその補足を試みてみます。
  今回も49年前に同じウエストサイド教会でお話しましたメモを基に話を進めます。
「Measuring the Measureless 測れないものを測ろうとする」と題したものです。

★  私が目を上げて見ていると、見よ、一人の人が、測り縄を手に持っているので、
「あなたは何処に行くのですか」と尋ねると、その人は私に言った。  「エルサレム
を測って、その広さと、長さを見ようとするのです」‥  ゼカリヤ書2章1節~2節

★  ザカリヤはハガイと同様に、70年間の捕囚のあと、国に帰って行くレムナント=
生き残った人々のための豫言者でした。  西暦前 520年前後が舞台となります。
  バビロン捕囚直前の最後のユダの王さまゼデキヤの時代、英語ではゼデカイアで、
列王紀後書24章と25章、それにエレミア書52章1節~11節が背景となっています。
  または、バビロン王ネブカドネザル2世(604?~561?BC)、エルサレムを征服し、
ユダヤ人を捕虜とした王の時代、列王紀後書24章~25章を生きた人物の時代が舞台。
  さらに、キュロス大王(585?~529?BC頃)、アケメネス朝ペルシャの創始者の時代
が舞台背景となっています。  日本の私たちには馴染みの薄い時代と名前です!

★  帰国を許された生存者たち、レムナントにとって、破壊されていたエルサレムの
再建は、大きな夢でもあると同時に、極めて困難な、骨折り仕事と映っていました。
  周囲は敵によって常に監視され、狙われていました。  経済的には不可能に思える
ほどの大企画となりそうです。  心の底からエルサレムの再建を切望する信仰の強い
人々が大勢いたわけではありません。

  このような環境の中で、一人の男が測り縄を手に、エルサレムの神殿を測りに行く
と叫んで飛び出して行く姿を豫言者ザカリヤが目撃したというのです。
教会成長運動の指導者よりも更に優れた、とんでもない勇気のある御仁のようです!

★  今から 2,500余年も前に、神さまの宮殿の再建を願って、測り縄を手に、大胆に
飛び出して行ったこの人を、現在の状況の中に置いてみますと、どういうことになる
のでしょうか?  この人は正気だったのでしょうか?  神さまを畏れる敬虔なユダヤ
教徒であったのでしょうか?  それとも何処かがおかしかったのでしょうか?

  この人を、現在という次元に置いて見ますと、どういうことになりましょうか?
エルサレムを測りに行く‥ということは、どういう意味になるのでしょうか?

★  『これからエルサエムを測りに行くんだ!』‥この熱心さ、この情熱‥いったい
これは何を意味するのでしょうか?  もしかすると、『神さまを測りに行くのだ!』
という発想と、結果的には、同じようになるのではないのでしょうか?

  現在の私たちは、一言で言えば、主として統計学上の数字が支配する時代に生きて
いる‥と言えるのではないのでしょうか?  そして、人々は、神さままでを測ろうと
試みているのではないのでしょうか?
  神さまを私たちの手で引きずり降ろして、俎に乗せて、測ることをも厭わない時代
に私たちは生きているように思えるのです。  如何でしょうか?

  信仰の世界に生きる、生きようとしている私たちは、このような理性・合理性だけ
の世界を拒否する者であるはずです。  しかし、実際には数字が教会を支配している
と私は考えて危惧しています。  とりわけアメリカの教会にはそのような傾向が強い
と思っています。  出席者数、献金額、集会回数などの多寡が優先されています。
  教会の霊的な命が、いのちのない合理主義に押しやられてしまい、冷酷な数字だけ
が、在るべきではない舞台に躍り出て、教会の命を縮めてしまっていると感じます。

  これは、そのような偽った、恐ろしい価値基準、ものさしによって過った方向へと
導かれ、そのようなものさしで神さまを測り、神さまを私たちの頭の中で制御・支配
してしまうに到るのです。  これが、実に罪がキリストの教会の中に侵入して営む、
恐ろしい業なのです。  神さまを自分の手縄で測ろうとする危険性なのです。

★  これこそが、私たちが極めて注意を払わなければならない点なのです。
神さまを私たちの合理主義や理性や統計上の数字で測ろうとする危険性なのです。
そのような発想が教会を襲うとき、私たちは神さま不在の恐ろしい暗黒の中へと叩き
落とされるのです。  そして、そのことに気づかず、「成功している牧師が牧会する
成功している教会」であるかの如くに錯覚・陶酔して、ハレルヤッ!と、自己中心の
宗教的阿波踊に酔い潰れてしまうのです。  神さまを測ろうとすることは、サタンが
そそのかす罪の業です。  特にサラリーマン化した、若い牧師が陥る落とし穴です。

★  それでは次に、人が人を測ろう‥とすれば、どういうことになるのでしょうか?
YMCAでは、人間を spirit, body, and mind というように分けて考えています。

  私たちは、主として、私たちのたましい、私たちの霊性に関心を抱いています。
骨が体重の何分の一を占めている‥とか、燐分が何パーセントであるとか、そのよう
なことに関心があるわけではありません。  それは科学の世界に属することです。

  『人の子は何者なので、神さまがこれを顧みられるのでしょうか?』‥詩篇8篇の
4節~9節のことです。  そのことを私たちは考えるのです。
  神さまの栄光を顕す存在として、神さまの愛の対象として、聖霊の宿る宮としての
「この私」のことを問うのが私たちの特権と責務です。  私の品性のことです。
このことは、合理主義の数字では絶対に表すことができない面なのです。

  ヨハネ傳3章16節にそう記されています。
ロマ書3章23節~24節やエペソ書2章前半部を読んでみますと、私たちすべての者は
かつて罪の内に在り、神さまの裁きにとうてい耐えられない者であったが、イェス・
キリストの十字架の一方的な恩寵と、そのことを信じる信仰によって神さまが私たち
を義なる者として下さった‥  そのことを、その恩寵を学ぶのです。

★  聖書を読んでみますと、私たちが神さまを測るのではなくて、聖書が神さまの愛
とその御心を、人間の私たちによくわかるようにと、易しく説明しているということ
です。  聖書は、祈りということを測って、私たちに教えてくれています。

  聖書は聖霊についても説明してくれています。  また聖書は、私たち人間には測る
ことができない、永遠のいのちについても説明してくれていますし、キリストの再臨
についても説明してくれています。  私たちが測れないことは、神さまのほうでよく
私たちにわかるように説明をしてくださっています。  それで充分なのです。

★  「うだつの上がらない教会」とか、「うだつの上がらない福音伝道者」というの
は、聖書の中に記されていないことなのです。  それは不信仰な人間の発想です。

  それですから、「俺はうだつの上がる牧師になりたい」とか、「あの人は人集め・
献金集めの上手な牧師さんだ」‥などという発想も、聖書がまったく知らない世界の
言葉なのです。  そのようなことを心の中で願う牧師も、そのようなことを口にする
教会ゴッコに熱心な信者も、実は共に福音からすでに転がり落ちている危険な状態に
居るのです。  神さまに属していることを数字で軽軽に判断してはいけないのです。

  私たち福音伝道者は、そして主イェス・キリストの教会に属している私たち全員に
は、私たちに託された福音伝道と愛の奉仕の業に誠実に励むようにと、聖書は勧めて
います。  そして、私たちがくたばらないようにと、聖霊の賜物が与えられているの
です。  私たちには、信望愛というものさしが与えられています。  御霊の実を実ら
せるという人生の祈りの課題目標があります。  それは神さまからの贈りものです。

  キリストの再臨という希望の確信が与えられています。  そのことを確認するため
に、主の食卓(聖餐・晩餐・パン裂き・ユーカリスト)に主イェス・キリスト御自身
が私たちを招いてくださっているのです。  これら凡ては恩寵によるものです。

  私たちは、恩寵によって生かされている者です。  感謝しつつ、託された信仰生活
を忠実に一歩一歩進めて行けば良いのです。  信仰によらないことは、「信仰的だと
見えることであっても」、それは罪です。  行為義認主義です。  律法主義です。
恩寵から離れて、恩寵からこぼれ落ちてしまっている人間の業にしか過ぎません。
お互いに気をつけたいものです。  何でも人間が自分中心にできる、やれる‥という
ことではないのです。  神さまの恩寵に属する世界に、決して人の業を持ち込んでは
いけないのです。  教会ゴッコは信仰そのものでは在り得ないのです。

★★★★★★
  以上は49年も前に、ロサンゼルスのウエストサイド教会でお勧めした時のメモに
基づいて再生してみたものです。  少しでもお役に立てば幸いです。


 

1959年夏  ロサンゼルスで 

伝道に上手や下手があるのでしょうか。
教会に通う人を増やす人が上手で増やせない人は下手なのでしょうか。

(6/21 校正版)

******

★  先日、あるかたから、以上のような質問を電子書簡でいただきました。
そのほかにも、いくつかの大切な質問が添えられていました。

★  そこで、今から50年も前に、ロサンゼルスのウエストサイド教会に仕えていた
ときに、一世の皆さんにお話をした原稿を、ここで改めて紹介したいと考えます。

  なぜこのような題名でロサンゼルスの一世にお話をしたかということですが、その
前の3年間、すなわち、1954年から1957年までを、私は最初の留学地ケンタッキー州
ウインチェスターにあった大学で聖書を学んでいました。

  ケンタッキーに留学していた3年間で、ケンタッキー、オハイオ、インディアナ、
イリノイ、テネシー、アーカンソー、ジョージア、アラバマ、フロリダ、テキサス、
それにルイジアナ各地の教会を訪れました。

  ケンタッキーとテネシー両州の東部は、アパラチア山脈という、日本の本州よりも
大きな山岳地帯です。  そこに住む人のことを、ヒルビリーなどと蔑視して呼ぶこと
もあります。  純朴な人たちでした。  アパラチア山脈で営まれている日常生活は、
基本的に、開拓時代の生活と少しも変わっていないと考えています。

  アーカンソー州北部とミゾリー州南部に跨がるオザーク山脈、またはオザーク台地
と呼ばれている地域に住む人のことをもヒルビリー hillbillyと呼びます。
  時代遅れの山奥の住民とか、山男とか、田舎者というような響きを含む軽蔑語でも
あり自虐的な呼称です。  ロッキー山脈の中にもそのような人たちが住んでいます。

  そのようなアメリカの素朴な田園風の環境に慣れ親しんでしまっていた私が、次に
ロサンゼルスという大都会に出たとき、その物質主義の恐ろしさに圧倒させられたの
でした。  半世紀も前のアメリカは、ニューヨーク、ロサンゼルス、そしてシカゴが
三大都市であったのです。

  そこに住んでいた日系人教会の一世たちと謂ども、大都会の物質主義文明の影響下
にあったことは間違いのない事実でした。  人々はオカネのために一所懸命であった
と、のんびりしていたロッキー山脈の東側から出てきた私には、そのように直感した
のでした。  しかし、それにはそれなりの理由があったと、同情的に考えています。

  ほとんどの日系一世は、日露戦争後の国策に添って、長男以外は、海外に出稼ぎに
行け‥ということでした。  写真1枚で花嫁を日本から呼び寄せ、ジャップ Jap. と
差別されながら、居住環境も良くない中で、厳しい労働によく耐えた人々でした。

  ようやく子供が何とか育ち始めた時に太平洋戦争が勃発し、アメリカ史の汚点とも
なった日系人強制収容政策によって荒野の中に急造されたキャンプに数年間送られ、
そこから解放されてロサンゼルスに戻り、最初からやり直していた一世たちの教会に
私がローズ先生(横浜金沢教会と野毛山教会設立宣教師)の紹介で赴任したのです。
  ほとんどの一世たちにとって、オカネが最後まで追っかけて来ていたのでした。
そのような背景があって、上記の題名で一世にお話をしたのです。

★  それでは、半世紀も前に、ロサンゼルスのウエストサイド教会で一世にお話した
原稿を再現してみます。  幸い当時のメモを保管しておりましたので‥

★  キリスト教会もサクセス・クレージー success crazy病に罹ったのでしょうか?
答は『ハイ、そのとおりです。  ほとんど全ての教会がこの病魔に襲われています。
成功する=サクセス=success ということが、小文字の神 godになっているのです。
私たちは大文字の Godではなく、成功という godを拝み、仕えているようです。

  私たちが生きているこの時代は、サクセス=成功という発想が、私たちを支配して
いるのです。  サクセスが神なのです。  サクセスという考え方が、偶像の神なはず
が、あたかも本当の神さまのようになっているのです。  そして、私たちは、教会を
含めて、この深刻な問題にぜんぜん気づいていないのです。

★  それでは、成功、サクセスということの、どこが間違っているのでしょうか?
最初に言えることですが、成功=サクセスということ自体、決して悪いことではない
のです。  この点で、間違いのないようにしておきたいと思います。

★  成功、サクセスということが間違っていないというのであれば、それではどこが
おかしいのでしょうか?  どこが間違っているのでしょうか?
  それは、機械的な数字というものが、霊的なもの、霊的な質を超えて、霊性を無視
してまで、強調し過ぎるときに起こってくる危険性だと思います。

  たとえば、神さまを信じ、神さまを愛するとか、人々を自分と同様に愛するとか、
人々に優しくするとか、正直で誠実であるとか、そのように目に見えないものに価値
をおくというのではなく、目に見える数字のために、正常な心のバランスを保つこと
ができなくなる‥そういう危険性が、成功を求めるということに隠されていることが
多いからです。

★  神さまは、セールスマンのような基準でものごとが測られるというとき、決して
お喜びになってはいないのです。  このことに気づかなくなってしまう危険性がある
のです。  可視的な出来高の実績、統計上の数字だけで、霊的世界に属することがら
までが測られるという危険性を、神さまは決してお喜びになっていないと、私は考え
ているのです。

★  成功=サクセス=success は、聖書的な基準、聖書的な「ものさし」では決して
ないのです。  「成功」=「聖書的判断基準ではあり得ない!」このことを私たちは
強く肝に銘じておく必要があります。  教会の成功、牧師の成功‥絶対にこのような
間違った判断基準で測られてはならないのです。  それは行為義認主義に立脚する、
律法主義に基づいた発想なのです。  神さまも、聖書も、そのような発想と無関係な
のです。  そのような可視的数字を誇る教会や牧師は恩寵から離脱しているのです。
「成功した牧師」とか「成功する教会」を、聖書の「ものさし」は知らないのです。

★  むしろその反対に、旧新約聖書を通して、神さまは、身分の低い女性、弱い立場
の無名の人を用いて、神さまの大きな業をなされることが多いのです。
神さまは、人の目に触れることがないような、隠れた業を愛でてくださるのです。

  神さまは、人間の価値基準、数値重視主義の基準では、とうてい測ることができな
い、一見失敗に見えるようなできごとや人を用いて、神さまご自身の大きな業をなさ
ることがあるのです。

★  イェスさまも、使徒たちも、教会成長運動が唱える成長を知らないのです。
むしろイェスさまや使徒たちが知っている言葉は、誠実さ、忠実さという単語です。
英語の faithfulness という言葉です。  約束したことを堅く守るということです。

  成功=サクセスという言葉は、物質的、可視的な結果を意味するものです。
その一方、誠実さ、忠実さという言葉は不可視的な世界に属する言葉です。  霊的な
状態を表す言葉です。  霊的世界を語る言葉です。  成功・不成功に関係なしです。

  「成功 success」という言葉は、例えば申命記25章6節に「跡を継がせる」という
ような意味で聖書に出てきますが、5回ほど出てくるだけだと思います。
聖書的に考えて、たいした意味を持つ言葉ではないのです。

★  しかし忠実さ、誠実さ、忠実・誠実 faithfulness, faithful は、聖書のなかに
たくさん登場する重要な単語です。  数え始めたら相当な数になります。
  誠実な神さま‥忠実な神さま‥という表現は多いですが、「成功する神」というの
はありません。  上手な神さま‥下手な神さま‥これは聖書が知らないことです!

  たとえば、コリント前書1章9節は10章13節をご覧ください。  真実な神さま‥
という表現があります。  統計数字を増やす神さまというのはないのです。
テサロニケ前書5章24節や同後書3章3節は如何でしょう?
ヨハネ第1書1章9節でも、神さまが真実である‥と記してあります。

★  イェス・キリストは「成功した救世主」だったのでしょうか?
答は明白です。  「ノー! No!]です。
  しかし、主イェス・キリストは忠実なお方、誠実な救い主、十字架の死に到るまで
神さまと私たちに対して忠実なお方でした。  使徒パウロは、ピリピ書2章8節で、
主イェス・キリストは、己を低くされ、十字架の死に到るまでも従順なお方、忠実な
お方であった‥と証言しています。

★  初代原始教会は、それでは、成功した教会であったのでしょうか?
答は明確で、「ノー No!」でした。  しかし、福音を全世界に拡散させる伝道の業に
対して忠実であったのです。  コリント後書11章21節~33節は如何でしょう?
テモテ前書1章12節は如何でしょう?  成功しろ‥という命令はないのです!
テモテ後書2章2節は如何でしょう?  教会が求めているのは忠実な人々です。

★  聖書の「ものさし」というものは、物質的・統計数字的な「成功」という基準で
ない‥、そのようなことはあり得ない‥と、確信しています。

  聖書の基準は、いつも、どのような場合でも、忠実であること‥誠実であること‥
その一点に絞られていると確信しています。

  以上が、半世紀も前に、ロサンゼルスのウエストサイド教会で語った要旨です。

★  先日ある方から、『教会に通う人を増やす人(たぶん牧師のこと?)が(伝道)
の上手な人で、増やせない人(牧師?)が(伝道の)下手な人ですか?』という質問
がありましたので、昔のメモを紹介してみました。  お答できたかと考えています。

  そのような基準で自分を測っていますと、私など、下手の中の最低に下手な人物‥
ということになろうかと、そのように確信しています。  神さまの一方的なご恩寵に
よって貴い救いに与った者ですから、「成功者になること」など、全く眼中にありま
せん。  そのような発想自体が、恩寵に反する冒涜であろうかと確信しています。

  このような寒村僻地で、特に日蓮宗が数世紀にも亙って強い影響力を誇っている地
で、四半世紀もの長いあいだ、どなたであれ、お越しくださる方々とご一緒に、主の
食卓に与り、聖書を学び、讚美を捧げられること自体が、大きな感謝と喜びであると
感じています。  腎臓一つで、肝硬変が進行中のようですが、ベター・ハーフの順子
さんに助けられながら、日々を感謝で過ごせること自体が恩寵の奇蹟だと確信してい
ます。

  主の再臨が間もなくあるのか、それとも、私の魂のお召しの瞬間が迫って来ている
のか、そのどちらかだと思います。  たぶん後者でしょうけれど‥
  感謝の日々を過ごさせていただいていること自体を恩寵のなす業だと確信していま
すし、そのこと自体が、質問者の表現を借りるならば、「成功している」感謝の生活
だと言えるのではないのでしょうか。  一方的な十字架上で示された恩寵のおかげ、
常に忠実でいらっしゃる神さまの一方的なおかげであると確信しています。

★  主イェス・キリストに対する私たちの信仰生活においては、「成功する」という
ような表現が、もしも言えると仮定するのであれば、それは、統計上の数字のことで
はなく、信仰が私たちの心の中にもたらす豊かな質の世界のことであると思います。

  『御霊の(結ぶ)実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制で
あって、これらを否定する基準はない‥』とガラテヤ書5章22節以下は語ります。
  如何なものでしょうか?  皆さんはどのようにお考えになっておられますか?


 

『ハーゲン・ダッツ』

★  私淑しています福音伝道者デイヴィッド・ジェレマイア牧師から伺った話です。
ポーランドからアメリカにやって来た移民ルーベン・マッタス Reuben Mattusさん、
ポーランドでアイス・クリームを作って生計を立てていました。
ルーベンという名から推測しますと、ユダヤ人であったのかも知れません。
しかし、アメリカに来てから作った彼のアイス・クリームを誰も買いませんでした。

  彼は発想を変えました。  高価で新鮮な果物をふんだんに使ったアイス・クリーム
を作り、それにヨーロッパ風の名を付けました。  とたんに売れ始めたのです。
ハーゲン・ダッツという名のアイス・クリームの誕生です。 そういう説明でした。

★  『諭き者は知識によって物事を行う‥、諭き者は知識を得ることがたやすい‥、
諭き者は己の道を弁えることにあり‥、諭き者は己が歩みを慎む‥』と、箴言13章と
14章の中には智恵について多く語られています。

  クリスチャンには、「聖書という地上最高のものさし」が与えられています。
どんなに困難な状況の中に在っても、考えることと、祈ることができます。

  そして、ルーベンさんのように、何であれ重大な考えをするときに、大切な決断を
するときに、聖書の教えに基づいた優れた決断をすることができるはずです。
『主を畏れることは知識の初めである』と箴言1章7節は諭しています。

  私たちは、イェスさまであればこのようなときに、どのようになさるであろうか‥
と、主イェスさまのやり方を考え、神さまが肯定なさるときの微笑みを思い出して、
正しい決断を下せるように、神さまのご栄光を顕す道を選ぶことができるはずです。
  なぜなら、私たちはいつも神さまと近しい関係にあり、神さまと近い距離にあり、
常に一緒に歩いているからです。  そうではないのですか?


 

★  米国初代大統領ジョージ・ワシントンの言葉ですが‥  『私の母は最もすてきな
女性であった。  私がこん日あり得ているのは全て母のお陰である。  道徳面におい
ても、知的面においても、精神面においても、その全てを私は母から頂いている‥』

★  7代目の大統領アンドリュー・ジャクソンも、『母のような女性は他に居ない。
母は鳩のように柔和で、しかも雌ライオンのように勇敢であった。  母の思い出と、
母の教えこそが、私が私の人生を始めたときの唯一の元手であった。  そして、その
元手で私は自分の人生をこん日まで築き上げて来ることができた‥』と告白したそう
です。

★  第16代大統領アブラハム・リンカンの告白は、『母の祈りをよく覚えている。
彼女の祈りはいつも私を支えている。  どこまでもくっついて来るんだ‥』でした。

★  第28代大統領でノーベル平和賞受賞者のウッドロー・ウイルソンが、ある牧師の
友人に語った言葉が残っています。  『私の母親は、私が知るかぎりにおいて、最も
素晴らしい女性の一人である。  今でも私は母の優しい手と、彼女の素晴らしい人柄
の、変わらない影響を常に感じている。  そのような女性を私の母としてくださった
神さまにいつも心から感謝している‥』と語ったそうです。

★  『揺りかごを優しく揺すぶった手が全世界を支配することになる‥』という諺が
英語の諺にあります。 "The hand that rocks the cradle rules the world."です。
  もちろん、母の手で優しく揺すぶられた嬰児のすべてが、どこかの国の国家元首に
なるわけでも、なれるわけでもありません。
  しかしすべての子供が、『神さま、私に最高の母を与えてくださったことを心から
感謝いたします』と感謝し、告白することはできるはずです。

 私たちは、以上のことを旧約聖書の箴言31章を読みならが、改めて強く教えられる
のです。 現在使用中の讚美歌には掲載されていませんが、古い讚美歌437番には、
そのような母を称え、感謝する詩が掲載されています。 神さまを誉め讃える詩では
ありませんが、今朝の公同礼拝で紹介したいと、プリントを用意してあります。
 信望愛の強い、賢明で優しいお母さんが、教会と家庭に与えられるように、さらに
祈り求め続けたいものです。 如何なものでしょうか?


 

★  今から70年も前のことです。  父を喉頭結核で先に天に送った私は、西陣の親戚
の家の居候となっていました。  その頃よく耳にした言葉に、『よそさまを見たら、
ぬすっとと思え‥』ということでした。  今も昔も人間は同じなのですね。

★  1968年に初めて韓国を訪問したあと、1970年代初期、すなわち、朴正熈パッチョンヒ
軍事独裁大統領支配下の韓国をしばしば訪問していたとき、田中角栄総理の特命を受
けた大物政治家もソウルを訪問していました。

  清渓川チョンゲチョン スラムを全面撤去し、跡地に地下鉄の車庫を作るという構想が浮上
していました。  日本製の地下鉄車両が導入されるということで、大きな鞄に現金を
いっぱい詰め込んだ日本の政治家がソウルを訪れ、帰国するときにも大きな鞄に現金
を入れて羽田に戻って行った‥という噂が絶えませんでした。
  そしてそのころ、ソウルで私がしばしば耳にしていたことのひとつは、『日本人が
やって来れば、必ず悪巧みを持ってやって来る‥』という、情けないことでした。

  そののちにも、私が、繁栄しているように見えた香港の裏町のスラムを訪れたとき
も、フィリッピンの「スモーキー・マウンテン」と呼ばれていたスラムに2週間ほど
滞在していたときにも、『日本人が来ると必ず悪巧みと一緒にやって来る!』という
ことでした。

  『日本が侵略・占領していたときには銃を持ってやって来て、ひどいことをやった
が、戦争に負けた日本は、今度は商社マンが算盤と悪巧みを持ってやって来る‥』と
マニラで耳にしました。  『他人を見たら盗人と思え!』ということは、幼いころに
京都の西陣で聞いた、西陣だけの話ではなかったようです。  困ったことです。

★  オーストリア生まれの、極めて優れたユダヤ人思想家に、マーティン・ブーバー
Martin Buber, 1878~1965  という宗教家がいました。  「Ich und Du  汝と我」の
著作者です。  一読をお薦めします。  一読だけでブーバーを理解することは極めて
むつかしいかも知れません‥  一読でも、三読でも、十読でも‥何度でもどうぞ‥

  その「汝と我」の冒頭部分に、簡単に言いますと、人が他者と初めて出会うとき、
他者を、「You 汝」として見るのか、それとも「it  それ」として見るかによって、
世界が大きく二つに分かれて行く‥と、そのように書き出してあったと記憶していま
す。  You として、人格を有する一人の個人としてつき合いを始めるのか、それとも
自分の欲望を満たすための道具や手段としての it として見るのかで、別々の世界が
開けて行く‥というようにブーバー博士が筆を進めてゆかれたと、そのように記憶し
ています。

★  ガラテヤ書6章は、三つの十字架を語っています。
人は、お互いに他者の重荷を担いあうべきであるとまず教えています。  次に、自分
自身の十字架を担う必要があると教えています。  三番目に、私たちは全員でイェス
の十字架を担って行くべきであると説いています。

  私は清渓川チョンゲチョン で、あるいは疲弊しきっていた韓国各地の農漁村で、たくさん
の人々から、たくさん助けていただき、数多くの貴重な人生の基本的姿勢を学ばせて
いただくことができました。  どのように物質的に貧しくても、豊かな心を持ち続け
ることができるということを学ばせて頂きました。

  水原近くに堤岩里チアムニという小さな農村があります。  かつてこの村で抗日運動が
起りました。  鎮圧に向かった日本軍官憲が、村人を教会堂に押し込め、外から火を
放ち、機関銃で全員を虐殺するという惨事を招いた所です。

  1973年でしたか、私は家族全員を連れて堤岩里チアムニ教会を訪問しました。
教会堂を守っておられた老婆が出てこられ、私たちのために、当時は貴重品であった
砂糖をたくさん入れた砂糖水を全員に振る舞ってくださいました。  幼い子供二人に
は、もっと飲むようにと勧めてくださいました。  感慨無量でした。  クリスチャン
であるということの生き字引でした。  生きた信仰、愛と赦しの信仰の行為でした。

★  私たちはお互いに仕えるために存在しているのです。  他人を見たら搾取の対象
と見るために生きているのではありません。  私たちが赴く所に悪巧みを抱いて行く
のではありません。  主イェスが十字架の上で示されたように、私たちも、信望愛を
抱いて行くのが当然なのです。  決して特殊なことではありません。  それが信仰の
基準、標準なのです。  仕えるために、信望愛を持って出かける必要があります。