2009年4月アーカイブ

『園で始まり園で終わる』

★  今朝の讚美のためにインマヌエル讚美歌集の中から 147番を選びました。
 I come to the Garden alone と題した美曲で、「祈りの園生」が邦訳名です。

  私の知っている限りという断りをつけておきますが、どの日本語讚美歌集にもこの
讚美歌は紹介されていません。  英語圏で良く歌われる讚美歌の一つの翻訳曲です。
ヨハネ傳20章15節~17節がテキストになっています。  復活を讚える奇麗な曲です。

★  海抜1、050 メートルの当地でも今年の遅い春がようやく訪れて来ました。
いろいろな植物が神さまの創造の業を無言の内に力いっぱい誉め讚えています。
  暖冬化が進んでいるとは言え厳寒期の凍土はコンクリートのように硬いです。
しかし凍土の下では新しい春に向けて植物たちは蘇生の春を待っていたのです。
毎年繰り返される凍土からの植物の復活は私たちに大きな希望を与えてくれます。
  当地でも遅い春が登って来ますと、それに従って野生動物たちの命の営みが活発に
なります。  そのことを庭いっぱいに観察できますし、感動させられるのです。

★  庭と言いますと、私は四つの「ガーデン・庭・園」を思うのです。
聖書が語るガーデン・庭・園のことです。  ご一緒にそのことを考えて見ましょう。

★  まず、創世記2章と3章が語る「エデンの園」のことです。
一つのことを除いて、人には何をしても許されていた自由なエデンの園で、罪が全く
なかった理想的な環境の内で、神さまと共同生活ができたエデンの園でしたが、人は
神さまの単純で厳重な言いつけを守ることができなくて罪を犯し、自らを神さまとの
交わりから遠ざけ、罪を背負って霊的な死を招き、結果的にエデンの園を追放された
のでした。  理想郷であったエデンの園での失敗物語が最初に聖書に出ています。

  人はその罪の結果として神さまから離れて、独りで罪の中を歩んで来たのです。
しかし、憐れみに富みたまう神さまは、人類の救いを御子イェスをこの世に送ること
で実現なされようとされました。

★  それは四福音書が語る二番目の園、「ゲッセマネの園」のことです。
四福音書の中でも、とりわけルカ傳22章~23章に描写されているゲッセマネの園での
一連のできごとの描写を熟読するとき、襟をただして、主イェスのお心とお姿とを、
信仰の目と耳とを総動員をして拝察する以外にありません。  感涙を伴う記録です。

  22章の初めには、主ご自身が「せつに願われた」最後の晩餐、あるいは主の食卓の
重要性を語っています。  そしてそこでイェスは御自分を「苦難の僕」としてだけで
はなく、「仕える僕」として弟子たちに示され、最後の教えを垂れ賜うています。
もちろんこれは、イザヤ書53章との関係で、極めて意味深いできごとです。

  主の食卓の席上、イェスは迫り来る御自分の十字架のできごとを弟子たちに語られ
ましたが、弟子たちにはイェスの受難の予告をほとんど理解できなかったようです。
  弟子たちの関心ごとは、自分たちのあいだで誰が一番偉いのだろう‥などという、
実に次元の低い、エゴ丸出しの人間的な関心ごとにしか過ぎませんでした。
  このことに関しては、イェスが「仕えることの重要性」を語られたことを除いて、
聖書は何も語っていません。  しかし、イェスの落胆は、迫り来る受難を前にして、
大きなものであったのではないかと、そのように私は推測しています。

  そしてその落胆は、ゲッセマネの園で血のような汗を流して真剣に祈られたイェス
の傍で同じ弟子たちが居眠りをしてしまったことで更に強められたのではないかと、
そのように私は考えています。

  42節~44節が描写しているイェスの苦悩と、苦悩の祈りは、感涙したくらいでこと
たりるというようなものではありません。  イェスの御姿を想像してみてください。

  43節では、イェスの祈りの激しさの故に、イェスの苦しみの強さ、深さのために、
天使が傍で仕えたことを伝えています。  ヘブル書1章14節は、「御使たちはすべて
仕える霊であって、救いを継ぐべき人々に奉仕するため遣わされるものである」と、
そのように説明しています。

  十字架上の贖罪の死を前に、イェスの魂を御国に導くために、イェスを励ますため
に天使たちが遣わされたほどですから、イェスの苦しみがいかばかりであったのか、
ほんの少しだけですが、私たちはルカ傳の描写を通して理解することができるかと、
そのように私は思います。  ゲッセマネの園がそのためにあったのです。

★  ルカ傳22章の47節~23章43節までに記録されているできごとを、ゲッセマネの園
でイェスはすでに見抜き、理解なさり、覚悟されていたものと思います。

  そのような理解でゲッセマネの園で血のような汗を流して祈られたイェスのお姿を
心の中に浮かべてみますと、贖罪の業に臨まれる「苦難の僕」イェスとゲッセマネの
園を少しは理解できるかと思います。  エデンの園で人が失ったものを、ゲッセマネ
の園で神ご自身が御子イェスの死を通し私たちのために取り戻そうとされていたので
す。  ゲッセマネの園は、それですから、「贖いの準備の園」となったのです。

★  次に聖書が語る第三番目のガーデン、庭、園のことです‥
それはヨハネ傳19章41節に紹介されています。
  『イェスが十字架に架けられた所には一つの園があり、そこにはまだ誰も葬られた
ことのない新しい墓があった‥イェスをそこに納めた』と記されています。

  エデンの園で神さまと一緒に居た新しい人アダムは、神さまによって新しい生命を
頂いたいのです。  しかし人はすぐに罪を犯し、そこで神さまを見失ったのです。

  エデンの園で神さまとの交わりを失った人間のために、神さまは改めて贖いの道の
最終確認をゲッセマネの園でなさったのです。  それはイェスの苦悩の祈りの中にも
充分に説明されていることです。  仕える僕、苦悩する僕としての、クライマックス
の人類贖罪劇が始まろうとしていたのが主の食卓とゲッセマネの園のできごとです。

  その十字架の上のできごとから三日のちにゴルゴタの死刑場の傍の園の墓の中で、
神さまは人類のために、復活と永遠の生命の保証をなさったのです。
  イェスが墓から復活なさったとき、神さまは人類のために新しい生命を取り戻して
くださったのです。  人間がその罪のために自ら失ってしまったものを、人間のため
に神さまご自身が、御子イェスの命と引き替えに、取り戻してくださったのです。

  週報の一番初めに紹介しておきましたように、コリント前書15章17節~19節は実に
重要な事実を語っているのです。  人は誰でも自分が駄目な者だと考えたくないもの
です。  しかしイェス・キリストの復活がなければ、私たちはこの世の中で最も哀れ
な、惨めな人間なのです。  しかし、イェスは復活され、弟子たちの前に現れ、その
後に弟子たちが見て居る前で天に挙げられて行かれたのです。  そしてその主イェス
は再び来たり賜うのです。  私たちは、その復活され、昇天され、再臨なさるイェス
をキリスト、救い主、生きて居賜う主として拝し、仕え、待ち望んでいるのです。

★  そして、最後のガーデン、園、庭といいますと、それは黙示録22章に記録されて
いる聖なる都にあるのです。  水晶のように輝いて居る生命の水の川が都の大通りの
中央を流れて居るのです。  川の両側には生命の樹が並んでいて、12種類の実が毎月
実り、その樹木の葉は諸国民を癒す‥と記されています。

  ここに私たちはかつて「失われたエデンの園」を再び見い出すのです。
呪われるべきものは何ひとつない‥と記されています。  そこには神さまと仔羊の座
があり、召し出された聖徒たちが仔羊を礼拝し、その御顔を仰ぎ見て居る‥と記され
ています。  仔羊の命の書に名を記されて居る者だけがそこに居るのです。

  私たちを贖い出し、その罪を赦し、とこしえの生命を与え、神さまの家族に加えら
れた者たちだけが、その園で神さまと贖い主なる仔羊を拝することができるのです。

  その日は、刻一刻と迫って来ているのです。  その日の備えを確かなものと致した
いものです。  如何でしょうか?


マタイ傳20章25節~27節

偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。
あながたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、
あなたがたの間で頭になりたいと思う者は、僕とならねばならない。
人の子(キリスト)が来たのも、仕えられるためではなく、
仕えるためであり、また多くの人の贖いとして、
自分の命を与えるためである


              マタイ傳20章25節~27節

『御霊の「結ぶ」実は...』

★  ガラテヤ書5章22節には、「御霊の実は愛‥」から始まる一連の美徳が記されて
います。  私はそこに、敢えて「御霊の結ぶ実は‥」という、「結ぶ」という余分な
言葉をつけ加えた上で、「御霊の実」という一連の聖句が意味することを考えてみる
ことが多いです。  もちろんそれは私なりのガラテヤ書5章22節~25節の読み方であ
り、人さまに強要していることではありません。  あくまでも個人的な聖書の読み方
です。  神さまの言葉である聖書に私の個人的見解をつけ加えようとするものではあ
りません。  黙示録22章18節~19節の警告を忘れているわけではありません。

★  「ベタニヤつうしん」と題した私どものささやかな集会で発行しております週報
3月22号に二つの拙文を掲載しておきました。  列王紀上17章のエリヤさんに関する
もので、「烏に養われたエリヤ」と、「甕の粉は尽きず、瓶の油は絶ゆることなし」
と題したものです。  岩下和彦さんが作ってくださった www.bethanyhome.net/ 上に
掲載されていると思います。

★  マタイ傳17章は、イェスがその愛弟子ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて高い
山に登られたとき、イェスが変貌されたことを記録しています。
  そのことと共にモーセとエリヤが現れ、イェスと会話をされていたことについても
言及しています。  そのことは、神の国にとって、エリヤが、どんなにか重要な人物
であるか‥ということを意味しているものと私は理解できます。

★  しかし、最初からエリヤが神の国でそのような高い地位を得たのでしょうか?
列王紀上19章の初めの部分を読んでみますと、まだまだエリヤさんがそのような高い
地位を得られるような人ではなかったように思います。  15節以下で、エリヤさんは
神さまの恩寵のなかで、赦された者として、神さまにお仕えすることがどういうもの
であったのかを学んだようです。

  18章が語るような、文字どおり孤軍奮闘した勇者エリヤではない方法で、エリヤは
神さまに仕えたようです。  その重要なことを聖書は黙して語っていません。
  列王紀下2章11節は、エリヤが火の馬車に乗って、生きたまま天国に昇っていった
と記録しています。  聖書が語らない期間にエリヤは大きな仕事をしたのでしょう。

★  ガラテヤ書5章22節の「御霊の実」に、私が「御霊の『結ぶ』実」とつけ加えて
読むのは、『結ぶ』という短い言葉の裏に秘められた、隠された日常の積み重なり、
時間をかけ、忍耐を忍び、祈りを深め、烏に養われ、自殺寸前の寡婦の乏しい甕の粉
と瓶の油によって支えられて、無制限な恩寵をその日その時に体験するということを
常に私自身に言い聞かせたいからです。  「結ぶ」ということはそういうことです。
  人生という長い時間をかけて、ヨハネ傳15章が勧めるように、イェスに留まること
によって得られるものであり、短時間で、人の手で実を得ることは不可能です。
救いも、信仰の成長も、主の恩寵によるものです。  すべてを主に委ねることです。


★  標高1050メートルの八ヶ嶽南麓小荒間部落の中の小海線線路山側にもようやく春
が登ってきました。  早咲き桜が満開です。  周辺の原生林の中の白い辛夷コブシ も
満開です。  雪柳も満開です。  普通の桜の蕾が膨らみ始めています。  連翹レンギョウ
や姫辛夷ヒメコブシ も咲き誇っています。  いろいろな野鳥たちも、狐たちも、雉の一家
も、春の自然界は、創造主でいらっしゃる神さまを讚美する名アナウンサーです。

★  昨夜から今朝にかけて春の雨が降りました。  今朝は外気温が2度でした。
早朝、降る雨を眺めながら、かつてソウルの清渓川チョンゲチョン 貧民窟6万人の住民たち
の中から、帰農を希望する百余世帯を、朝鮮半島西側の黄海に面した南陽湾ナムミャンマン
に集団移住させたときのことを思い出していました。  1973年ころの話です。

★  現在のように急速に経済的発展を遂げた韓国とはことなり、当時の韓国農漁村部
は不便そのものでした。  しかしその当時、いくら国が荒廃していたとは言え、自然
は美しいものでしたし、人々の心は豊かであったと、懐かしく思い出しています。

  ある日、南陽湾ナムミャンマン の水流を制御するため、徳利の首のような場所に設置され
ていた長い水門の上を、梨花里イファリから遠井里ウォンジョンニ の方向に向かって渡ったこと
がありました。  二つの部落の間には、長い長い水門と、その上を走る未舗装道路が
延々と続いているだけで、一軒の農家もなく、行き交う車もなく、通行人もおらず、
乾き切った黄色の大地だけが、何キロとなく続いていました。  近くて遠いは田舎の
道‥と言いますが、文字どおり遠い田舎道でした。  水門の南側の遠井里まで10キロ
はあったかと思います。  2時間半ほどの砂ぼこりのうんざり道でした。

★  そうとうな距離を独りで歩いて行ったとき、学童3人が同じ方向に向かって歩い
ている姿を発見しました。  学校からの帰りのようです。  片道10数キロの通学路の
ようです。  3名は何だか喋りながら楽しそうにゆっくりと歩いていました。
普通のおとなの歩く速度よりも遅く、時速3キロほどの通学路のように思えました。
私は、彼らに気づかれないようにそうっと彼らのうしろに続いて歩きました。

★  未舗装道路は砂だらけです。  小石を蹴っとばしたり、投げたり、駆け出したり
しながら帰宅する元気のよい学童の後に従って歩けば、埃を被ること請け合いです。
  彼らは私の尾行に気づいていないようでしたので彼らを観察しながらの長い田舎道
もそんなに苦にはなりませんでした。  むしろほっとした気持ちでいました。

★  そうこうしているあいだに雲行きが怪しくなって来ました。
大陸的気候圏内の南陽湾ナムミャンマン です。  またたく間に降雨となりました。
雨宿りできるような人家も納屋もなく、枝を張った大きな立ち樹もありません。

  私は持参していた折り畳み式のレイン・コートを取り出し頭にはフードを掛けまし
た。  しかし3名の子供たちを囲い込むほど大きなレイン・コートではありません。
自分だけ濡れないで、子供たちだけが濡れるのを目撃することに気がひけました。
恥ずかしいような、気の毒なような、申し訳ないような複雑な心境でした。

  そのときです・・  上級生らしい男の子が畑の中に走って行きました。
そして、畑に捨ててあったからっぽの肥料袋を拾って戻って来ました。
その紙袋の一辺を上手に手早く割いて三角づきんを作り、それを二人の下級生の頭に
かぶせ、両腕を広げて二人の下級生の肩を抱えるようにして、彼らは再び歩き始めた
のでした。

  すばらしい生活の智恵、生きた生活の智恵の作品を目撃した瞬間でした。
物質が極端に不足していた韓国農村、疲弊しきっていた海辺の農村で目撃した感動的
な一瞬でした。  そしてその上級生の心の豊かさに深い感動を覚えました。
  時速3キロの歩みでしたが、その道の先には輝く未来の韓国を見たように思いまし
た。  時速3キロでよいではありませんか。  豊かな思いやりの心がある限り・・

★  それに引き替え、物質だけが有り余るようになった我が国では、学童たちの心も
人々の心も乱れ、損得という基準だけが優先し、思い遣る心を失い、共に歩む歩調を
失ってしまいました。

  物質と財貨への異常な所有欲だけが支配しているようです。  親が吾が子を殺し、
子が親を殺し、若者が加齢者を襲うという、心が病んだ国になってしまいました。

  少なくともクリスチャンの交わりの世界においては、新幹線の速度ではなく、損得
の基準ではなく、時速3キロの速度で、弱い者を慈しみながら共に歩む心を取り戻す
必要があると私は思います。  それが主イェスの望まれていることでしょう。

  『私の弟子であるという名のゆえに、この小さい者の一人に冷たい水一杯でも飲ま
せて呉れる者は、よくよく言っておくが、決してその報いから漏れることはない』
                              マタイ傳10章42節


ルカ傳22章27節

私はあなたがたのあいだにあって仕える者である
I am among you as one who serves.


              ルカ傳22章27節

バフ・スコット  野村基之訳

Reflections on Easter & its Origin
Buff Scott, Jr. 2009・04・12

  聖書的で、単純な信仰に戻ろう‥と願っている古い友人から、以下の文章が送られ
て来ました。  本人の許可を得てここに紹介致します。  読者の皆さんが参考にして
くだされば嬉しいです。  ご本人は現在アリゾナ州フェニックス市に在住です。
  なお、アメリカ人にはわかりきっているような多くの英単語ですが、日本の読者の
皆さんにはわかりにくいために、注釈を加えておきます。  ご了承願います。

★  ケンタッキー州東部のアパラチア山脈の中で幼少期を過ごした私は、そのときに
イースターと呼ばれている季節があることを初めて知ったのです。

  毎年、いわゆるイースターの日になりますと、教会の大人たちが、色彩あざやかな
鶏卵を教会の庭の各所に隠しておき、私たち子供にそれらの卵を捜させたものです。
  私たちガキどもにとって、卵捜しということがイースターそのものだったのです。
もちろん、大人にしてみれば、イェスと呼ばれた一人の男の復活が中心でした。

(訳者注:ケンタッキー東部アパラチア山脈の中でも最僻地パイク郡のヒルビリー、
田舎っぺ)住民のほとんどは、形式的な教会主義 Churchanity  からまったく無縁の
人たちですが、少なくともこの祝日の意味は、卵捜しの行事で知っています。
  すなわち、福音のメッセージの中心核宣言である、「彼は復活した!」ということ
を、どんなに僻地に住んでいても、卵捜しという方法で理解しています。

★  時とともに成長し山を下りた私は、やがて独りで自由に物事を考え始めました。
その結果として、イースターというお祭り騒ぎの根底が、ユダヤ・キリスト教以外の
異教徒の偶像信仰・多神教信仰から派生していることを知るに到りました。

  * 欽定版は、使徒行伝12章4節でイースター Easter という単語を掲載しています
が、または誤訳を掲載しているとも言えますが、改訂版では Easter を Passover と
いう正しい単語と置き換えています。

 *(訳者註:ご本人は英語圏内の人ですので、英語圏で現在でも広く深く愛用され、
ほとんどの人が知っている欽定版 King James Version のことを以下で言及します。
欽定版は The Authorized Version とも言われています。
  イギリス国王ジェームズ1世の命令による選定書という意味です。  1611年に王に
献上されたかと思います。  古い英語ですから、現代英語とは違和感がないわけでも
ありませんが、美しい文体の聖書です。  私も主としてこの欽定版聖書で留学中教育
を受けました。
  手持ちの何種類かの日本語の聖書で、問題となっている使徒行伝12章4節を調べて
みましたが、イースターと誤訳しているものはありませんでした。「過越の祭り」と
か、「酵徐タネノケの日」などと訳してあります。  問題はないようです)

★  信頼できるいろいろな資料から言えることですが、「イースターEaster」という
単語は *Eastreという異教徒の女神から出てきたようです。  すなわち、そのことは
異教徒の祭りに関係しているということです。  それとは別に、ギリシャ語のパスカ
paschaは、ユダヤ教の過越の祭りを意味しています。

  (* 訳者註:アングロサクソン民族の信仰オーストール Eostre 又はエイオストレ
という春の女神、曙の女神から来た名詞だと考えられ、春分の日にそのお祭りが行わ
れていたと言われています。  ゲルマン民族の間でも生命の復活をたたえる春の祭り
の女神として奉られていたようです。  東洋では灌仏会に相当するのでしょうか?)

  この異教徒の春を祝うお祭りオーストールをローマ教会が借りて来て、じょうずに
盛装させ、いくつかの飾りものをつけ加えたうえで、常軌を逸した荘厳な祭典に仕立
てあげ、それを聖なる日として祝い始めたということです。
  そして多くのプロテスタント諸教会も、この「聖なる日」を、ローマ教会から借用
して来たというわけです。

★  なぜ欽定版聖書の翻訳者たちが「パスカ pascha 過越の祭り」を、イースターと
翻訳したのだろうか?‥という問題が残ります。
  その理由ですが、ジェームズ王が翻訳者たちに対して、古くからの、伝統的な教会
用語 the old ecclesiastical words を維持せよ‥と命じていたからです。
  たとえば、*Church という単語を、 *congregationと翻訳してはならない‥という
ように指示していたからです。

  ルイス著「英語聖書史History of English Bible」の中の「ジェームズ王の翻訳者
らに対する指示 King James' Instructions to the Translators」に記録されていま
す。  なぜなら、ジェームズ王は、国王だけではなく、英国国教会 The Established
Church の頂点に立つ人物であったからです。
  (* 日本語に訳してしまいますと、 Church も congregation も同じように教会と
しか訳せないからです。  それに相当する正しい訳語が存在しないからです。
「教会」と悪訳してしまったからです。

  Churchとは、体制的な、宗教儀式中心の、位階聖職者が支配する、可視的なものを
強調する響きを持ち、そのような意味を含蓄する単語だと私は考えています。
  それに対して、コングリゲーション congregation とは、集会とか会衆を強調する
響きを持っている単語です。  チャーチは、「主のもの」というギリシャ語から派生
し、ドイツ語を経由したものだと私は理解しています。

  コングリゲーションとは、礼拝など一定の共通目的を持った人々の集まりを意味す
る言葉で、人々が集まっている状況、人々が集まって営んでいる宗教行為の動的状況
を、どちらかと言えば、表しているように私は理解しています。
  また、そのような小規模集会、小規模の各個集会、各単立集会というような響きを
意味していると思います。  エクレシア、「呼び出された者たち」というギリシャ語
から派生した発想です。  集会に呼び集められた人々を中心とする発想です。

  チャーチと言う場合、そこには格調高い、荘厳で豪華な礼拝目的のための石の建造
物や、ステンド・ガラスや、豪華な絨毯や、鳴り響くパイプ・オルガンや、ガウンを
着用した聖職者らが司る宗教儀式などを含める意味があるように私は思います。

  大英帝国の王としても、英国国教会の頂点に立つ者としても、コングリゲーション
という名詞には憎悪感のようなものを感じていたのではないのでしょうか?

  それに加えて、国教会の在り方に批判的なクリスチャンたちの多くは、厳しい処分
を覚悟してまでも、反政府的教会、反国教会、すなわち、会衆派教会運動を起こして
いました。  コングリゲーショナル・チャーチ、すなわち、会衆派教会という運動が
あったのですから、国王がそのような単語を自分が支配する英国国教会で使うことに
同意するはずがなかったものと思います。)

★  国王は教会の古い伝統を維持するように翻訳者たちに命じたのです。
(* そしてそれは、ローマ教会からそのまま持ち込まれて来ていたものでした。)
そのようなわけですから、チャーチchurchという名詞も、イースター Easter という
名詞も、バプテスマ baptismも、ビショップ Bishop 主教・司教など、その他いくつ
かの言葉がそのままローマ教会から引き継がれたまま、欽定版聖書作成時に導入され
たのです。

★  すでに説明しておきましたように、国王ジェームズ1世は、英国国教会という、
大きな体制教会の頂点に立つ人物、頭 the Head でした。

  それですから、ギリシャ語の「エクレシア ekklesia 、呼び集められた者たち」と
いう名詞を欽定版聖書の翻訳者たちが使うとなれば、大英帝国国教会のお頭さまを、
クリスチャンたちが集まっている集会の王とすることになり、その集会の責任者程度
に引きずり降ろしてしまうことになるのです。  そのような突拍子もない、とんでも
ないことに、ジェームズ国王が興味を示すわけがありません。

  ジェームズ国王の大英帝国国教会にしてみれば、すでにイースターは全体の一部と
して絶対不可欠な要素であったために、イースターという名詞を、いまさら「過越の
祭り pascha パスカ」と正しく翻訳させる必要を認めなかったのです。

★  以上のような歴史的汚点にもかかわらず、ここで私たちが強く留意すべき点は、
どのような誤訳が英語訳聖書の中にあったとしても、イェスがローマの十字架の上で
死亡されたこと、埋葬されたこと、そして、ユダヤ人の時間に従って、三日目に復活
なさったことを否定することができないとうことです。

  十字架上のできごと、埋葬の事実、そして復活ということこそが、善きおとずれ、
すなわち福音の最も美しく、魅力的な主要部分であるのです。
                『キリスト・イェスはよみがえりたもうた!』
              そしてこの事実を私は確信し、宣べ伝えるのです!


サムエル記上16章4節


★  創世記1章と2章を読むかぎり、神によって創られた人間は、神の創造の御旨に
従って、男女がお互いに補い合い、助け合い、励まし合い、愛し合って、神の秩序の
内に、神に仕え、神が創造なさった地球上に生きるすべてのものを、神に代わって、
神のために管理するという特権と責務を与えられたことを学びます。

  しかし創世記3章に到りますと、人は神の命令を意図的に無視し、神に従うことを
拒絶しました。  そのことで罪が人のなかに宿り、神を離れ、他者を支配するという
かたちで今日にまで到っています。  他者を支配するという目的のためには、他者を
殺すということをも、人はその罪のゆえに、まったくいとわないのです。

  罪あるままの人が、神の愛と支配のもとに戻ることができるようにと、独りの御子
をこの世に送り、十字架に架けてまで、私たちが救われることを願われた神の御心を
人はいまだ解せず、争うことを続けています。
  武器をもって他者を支配するということだけではなく、身近なこととして、野球や
相撲や五輪大会にも見られます。  罪ある人間は他者と争うことが好きなのです。

  そのゆえに、人類がイェスの十字架の贖罪の恩寵を経ないかぎり、人類が救われて
神の愛の支配のもとに戻ることは不可能なことだと、私は理解しています。

★  人類文化学や人類社会学、加えて、教会史を正式に学んだことのない私ですが、
アメリカ建国時代の教会史を独学で学ぶ者として、最近に到ってようやく学び始めた
一人の人物があります。

  デイヴィッド・リプスコム David Lipscomb (1831-1917) という先輩伝道者です。
リプスコムが30歳になったとき、内戦、いわゆる南北戦争が始まりました。
  リプスコムが体験した南北戦争の日々が、いかに悲惨で、どんなにか恐ろしいもの
であったのかを、何とかして学びたいと願うようになり、遅蒔きながら、文献を読み
始めました。

  戦争がどのように恐ろしいものであったのかを目撃し、体験したリプスコムや彼の
同僚や生徒たちのあいだには、武力使用反対の平和博愛主義思想や、人間が営むどの
ような政治体制に対しても、強い不信感が生まれてくるようになりました。

  そのことは裏を返して見ますと、神の国を待望するという信仰 Kingdom Theology
が強められたということでしょう。  キリストが支配される千年王国を待望する姿勢
が一段と強くなったということでしょう。

  残念なことですが、その後に起きた第1次世界大戦と第2次世界大戦が、私たちの
教会を、全体的に軍事肯定のものへと変えてしまったという事実があります。
  同時に、そのことは、神の国がこの地に来ることを切望する願いを、教会から排除
してしまったと、私はそのように教会史の立場から観察しています。

★  リプスコムたちが強調したことは、「私たちクリスチャンはこの世に在るけれど
も、この世に属している者では決してない」という一点に集約できるかと思います。
  私たちの国籍はあくまでも天に在るのだ‥  私たちはこの世に在っては旅人であり
宿れる者たちである‥  ということでしょう。  そして「旅びと、宿れる者」という
発想は、旧約聖書にも、新約聖書にも強調されているテーマのひとつです。

  英語圏では、聖書の次に愛読されている書籍として、バニアン著作の「天路歴程」
がそのような信仰理解を表しているかと思います。

★  この世に在りながらこの世に属さないという「旅びと宿れる者なり」の理解は、
しかしながら、この地上での旅を続けているあいだにおいて、この地上のことがらに
対して無関心、無感覚、無神経であってよい‥と主張しているわけではありません。

  「平和ならしむる者」としての特権と責任、「地塩世光」としての役割があること
をイェスは説いておられます。  「蛇のように分別のある慎重さと、鳩のように柔和
で清浄であれ」とも説得されています。

★  マタイ傳10章16節でイェスがおっしゃった、「蛇のように分別のある慎重さ」と
いうことに注意したいと私は考えています。

  わたしが10歳のとき、すなわち、1941年12月8日朝、「大本営発表」という放送を
聞いたときから始まった、あのいまわしいアジア太平洋全面戦争に関する政府発表情
報のほとんどが、実は虚偽であったということ、事実に反していたということでした。
当時の国民は、政府発表を全面的に信じ込んでいたということでした。

  どこの政府でも、自分たちに不都合なことは公表しないのです。  相手を非難中傷
することだけが政府の仕事なのです。  そして、国と国とは、ほとんどの場合、常に
紛争の火種をお互いに対して抱いているという事実です。  国と国とはその利害関係
で争うものなのです。  世界中どこにでも国と国の対立は存在しているのです。
  そのために、政府はその国民を世論操作し、国民を「拉致し」、政府の方針に服従
するように仕向けているのです。

  このことは、私たちが住んでいる日本政府にもあてはまることなのです。
私たちの政府はうそをつかない政府だなど、そのようなことはあり得ないのです。
このことに対しても、私たちは「蛇のように冷静に見抜く必要がある」のです。

  たいがいの場合、どの家庭でも、喧嘩をするのは身近な兄弟姉妹です。
それと同じように、世界中どの国でも、争うのは近くの国を相手にしたものです。

  日本が太平洋戦争に負けた少し前に、それまでの同盟国であったドイツも連合国に
破れたのです。  そしてだいたい同じ時期から国家の再建を始めたのです。
  しかし、ドイツは賢明な判断を勇気をもってやり、日本がやらなかったことがあり
ます。  それは戦後処理方法で両国の違いが現れ、それが現在までも続いています。

  ドイツはかつて自国が侵略した近隣被害国に対して誠意をもって謝罪し、そこから
共存の道を選んだのです。  大統領ヴァイツゼッカーの優れた政策もありました。
  しかし、日本は、日本が侵略したアジアの諸国に対して、カネを中心に解決すると
いう方法を選び、相手国の民衆が受けた苦悩を理解しようとする努力を欠いたまま、
不幸にして現在に到っています。

  韓国も、朝鮮も、中国も、台湾も、旧インドシナ諸国も、フィリッピンも、インド
ネシアも、タイもインドも、それらの国に住む民衆はかつて日本が与えた多くの苦痛
を忘れてはいないのです。  日本は戦争に負けたが、今度は経済的侵略をやっている
と、そのように現地の人々は捉えている場合が多いように思います。

  その中でも、とりわけ中国と朝鮮・韓国の人々にとって、日本軍の蛮行の数々を、
そう簡単に忘れることはできないのです。  私の限られた経験ですが、韓国国内各地
で、日本軍の蛮行の被害者のかたがたに多くおめにかかり、当時の話をたくさん耳に
しました。  つらいことでした。

  韓国の人々の日本に対する憎悪の念は、そう簡単に消え去るものではないと、私は
いつもそのように感じています。  しかし、加害者側の日本人は、自国が侵した戦争
犯罪の事実をほとんど知らないのです。  韓流ブームで、ウォンが安いからと、大勢
の日本人が韓国を訪れて「いい気分」になっていますが、韓国国民がどのような複雑
な感情で日本人旅行者を目撃しているかということに、日本人旅行者は全く鈍感なの
です。

  関東大震災のとき、どれほどたくさんの朝鮮人が荒川の土手で、日本市民によって
虐殺されたのか‥そしてその補償を何もこの国がしていないということすら知らない
ままで観光旅行をしているのです。

  北朝鮮当局が日本人を拉致するという、実にひどいことをしたのは事実です。
許される筋合いのものではありません。  拉致された人々が戻されるように要求する
のは当然のことです。

  しかし、それでは、そのこととは別に、この国が当時の朝鮮半島で、現在の北朝鮮
各地で、どのようにひどいことをしたのか‥  このこともこの国の政府や国民が取り
上げて、そのことに対する謝罪や補償もしなければなりません。

  日本が朝鮮を侵略し、略奪をしたことのほうが、はるかに前のことであり、それに
対してまず謝罪する必要があるでしょう。  しかし、この国はそのことをしていない
のです。  犯した罪に対するお詫びと、それに従う補償をしていないのです。
これは片手落ちであると私は考えています。  政府がやらなくても、国民はそのこと
をやることができるはずです。

  しかしこの国の国民は、政府によって巧みに操られ、政府によって巧妙に拉致され
て、相互に不信感を増幅し、相手を中傷誹謗することだけに操られてしまっているの
です。  北朝鮮当局による日本人拉致という犯罪を糾弾することに反対をしているの
ではありません。  そのこととは別に、日本という国家が犯した歴史的犯罪行為を、
戦争が終わってすでに64年も過ぎているのに、北朝鮮の国民に対して謝罪していない
ということは、極めて不自然な、非人間的な態度だと、私はそのように思います。

  次に、国と国が争ったとしても、国民と国民が争う必要はないということです。
「国家の一方的な世論操作作戦に拉致される」必要はないのです。  争う国同士は、
お互いの言い分があるのです。  そうだからといって、「大本営発表に拉致される」
必要はないのです。  たとえ国と国が争っていても、国民と相手側の国民は、相互に
理解しあうことができるはずなのです。  国民が政府の世論操作に巻き込まれる必要
はないのです。  政府の詭弁に踊らされる必要はないのです。

  先の戦争で私たちは「大本営発表」で散々な目にあわされたことを忘れてはならな
いのです。  いったん戦争が起これば、たいがいの場合、つらい目に会い、苦しむの
は必ず国民であり、そのなかでも特に弱い婦女子や病める者や老人なのです。

  くどいようですが、国と国は争うものなのです。
しかし、そうだからと言って、国民が政府に操られ、拉致され、為政者の操り人形に
なる必要はないのです。  国民は為政者の誤りを是正する責務と特権があります。

  イェスがおっしゃった、「蛇のように冷静に見抜く」ということは、そういうこと
ではないのでしょうか?  国と国とが激しく憎しみ合い、争うとき、相手側の国民、
北朝鮮の人々も、十字架の贖罪の対象であることを忘れてはならないのです。

  先の太平洋戦争中にアメリカで発行されていたキリストの教会の一種の宣教機関紙
ワード・アンド・ウァーク the Word and Workを読んでみますと、アメリカの教会も
クリスチャンたちも、そして戦争のために帰国せざるを得なかった宣教師たちの多く
が、日本の教会とクリスチャンのことを案じ、祈ってくださっている記事ばかりだと
気づかされました。  「平和ならしむる者」の姿勢を示し教えられて感動しました。

★  私たちは、イェスを神の独り子、そして私たち全人類の救い主として信じている
者たちであるはずです。  そのイェスが私たちに「平和ならしむる者」であるように
と教えられています。  私たちを地塩世光として用いたいと願っておられるのです。

  わたしたちは、「穏やかなことのためにやって来た者たち」なのです。
それですから、私たちは、サムエル記上16章4節が言うように、穏やかなことをする
特権に目覚め、穏やかなことをする地塩世光の仕事に、平和を築き上げる責務にのみ
いそしむ必要があると、そのように私は考えているのです。

  やがて皆さんが、「平和ならしめる者」として、「地塩世光」として、主の御前に
立つことになります。  そのとき、皆さんが主に対して、どのような報告をなさるの
でしょうか?  日々の生活に在って、外国の人々を含む他者とのかかわりに在って、
そのための準備が必要だと私は思うのです。

★  それから、あとひとつ、私たちが注意しなければならないことがあります。
それは、どこの国でも、いつの場合でも、為政者というものは、すでに述べましたよ
うに、国民と世論を操作して為政者の意図する方向にもって行くということです。

  為政者による世論操作に、マスコミが用いられることが多いということもあります
が、そのこととは別に、マスコミ自身が、国民の意識や世論をマスコミ自身の都合の
ために操作するという事実があるという点です。  間違ってはいけませんが、彼らは
理想主義者集団ではありません。  営利目的の組織だということです。

  公平中立を謳っているように思えるマスコミですが、どこの国のマスコミも為政者
が巧みに操作し利用しているという事実だけでなく、マスコミ自身が必要以上に世論
をある特定の方向に誘導する傾向があるということです。

  為政者の「大本営発表」に加えて、マスコミも、したたかな経営魂胆を秘めている
という事実を見逃してはならないと思います。  マスコミは、必要だと判断すれば、
世論を操作し、国民を扇動して、ある特定の方向に導いて行く、巨大で強力な威力を
有している団体であることを忘れてはなりません。

  たとえば、朝日、毎日、読売、それに NHKという権力集団を冷静に眺めてみれば、
彼らには彼らなりの価値観や政治意識を持っています。  経営のためには国民を扇動
したり、世論を操作することなど、朝飯前のことだと思います。

  ひとつのニュース a news も、彼らの手にかかれば the news に変えられてしまう
のです。  このことは、現在では、一例を挙げれば、特に北朝鮮を必要以上に悪玉に
仕上げ、日本を善玉に摩り替えるという操作をしていると、私は考えています。
  その点で、熱し易く冷め易い、一過性のお祭り騒動が好きな国民とその意識を操作
することぐらい、マスコミにしてみれば、簡単なことだと思います。

  たとえば、北朝鮮がやることは何でも悪く、日本がやることは、何であれ、いつも
正しい、間違いはない‥などいうことはあり得ないはずです。
  国と国とが対立する緊迫したときだからこそ、マスコミは冷静に、公平にものごと
をいろいろな角度から分析し、国民に報告し、国民が冷静な判断をするようにと啓蒙
し、導く責任があるはずです。  しかし、このことをこの国のマスコミに求めること
は甚だしく困難であろうと私は考えています。  自浄作用能力を欠いています。

  そのように考えますと、為政者の「大本営発表」以上にマスコミの「大本営発表」
は危険であり、私たちはマスコミを冷静に監視する必要があると考えます。

  今回の北朝鮮のミサイル発射事件でも、まるで北朝鮮が日本を攻撃するような報道
の仕方でした。  深刻な問題だったと私は考えています。  相互不信感と相互憎悪感
を増幅するような今回のマスコミの報道の在り方に対して、私たちは冷静に観察し、
マスコミへの抗議の声をあげるべきであったと思っています。

  マスコミは、なぜ二つの国が対立し合うのか‥という原因や理由を客観的に国民に
示し、不必要な不信感や憎悪感を拡大することがないように、むしろ国と国が対立す
るときだからこそ、相手のことを冷静に学び知り、相手との平和共存の道を模索し、
相互尊敬と相互信頼の道を模索するように国民に貢献すべきであると思います。

  しかしこの国のマスコミに対してこのような常識的なことを求めても、それは無理
というものでしょう。  その程度のレヴェルのものだと、残念ですが、思います。
それはこの国全体の精神的レヴェルが余りにも低過ぎるからです。

  権威に弱い私たち日本人は、イェスがおっしゃったように、「蛇のように冷静で、
ものごとの本質を深く洞察する」能力を養わなければならないと思います。

  そして、この世に在ってもこの世に属さない私たち、国籍が天にある、主イェスの
弟子たちは、「平和ならしむる者」として、「地塩世光」としての責任と特権を充分
に果たしてゆかなければならないと考えます。
  なぜなら、私たちは「穏やかなことのためにやって来た者たち」だからです。


★  すでに半世紀以上も前のことですが、ロサンゼルスのバイオラ大学で四福音書を
ホワイティング博士から学びました。  聖書学者としても霊的指導者としても優れた
教授でした。  すでにご存命ではありません。  御国での再会が楽しみです。

  四福音書の授業のなかで、マタイ傳が語るイェスのバプテスマと、荒野でサタンが
イェスに試みた誘惑の関連性、及び連続している二つの記録の意味を説明された授業
を今でも鮮明に覚えています。  当時のクラス・ノートも健在です。

★  あれから半世紀が過ぎました。
  しかし、主イェスのバプテスマと荒野誘惑は、私にとって、今でも大切な黙想課題
です。  主イェスのバプテスマと荒野での誘惑の意味についてホワイティング教授が
なさった説明に加え、イェスが自らの自由意志と自由選択でご自分を「受難の僕」、
「仕える僕」とされたこと、すなわち、十字架への道をご自分の意志で決断なさった
ことが、私には大きな関心ごとであり、大きな感動と感謝の源です。
  いつごろからご自分の歩むべき「受難のしもべ」の道、十字架への道を理解され、
その道を選んで従う決意をなさったのか、私には興味のある関心ごとのひとつです。

★  毎年、年末になりますと、ヘンデルのメサイヤが世界の多くの場所で合唱されて
います。  不朽の美しい合唱曲です。  受難のしもべ、悲しみの人、苦悩のしもべ、
仕えるしもべイェスが、やがて諸国の王たちの中の王として、たくさんの主たちの中
の主として、この天地宇宙を支配なさるという大きな主題のもとに、ヘンデルが贈っ
てくれた圧倒的な名作品です。

  イザヤ書53章をテキストにした箇所では、美しい、感動的な曲が続きます。
苦悩のしもべ、受難のしもべ、そして仕えるしもべとしてのイェスをヘンデルは見事
に描写しています。  聴き入る者たちを感涙に導きます。  実によくイェスの使命を
物語っています。  ベートーヴェンの第9は日本では定着しているようですが、世界
のほとんどの場所では、年末は何と言ってもヘンデルのメサイヤだと思います。

★  旧約聖書のイザヤが豫言した、「受難の僕・苦悩の僕・仕える僕」は、そのまま
新約聖書にも登場して来ています。  マタイ傳8章17節はそのことを証言します。

  イェスが「バプテスマするヨハネ John, the Baptist」のもとを訪ねられたと聖書
は語りますが、「何故?」という問題が残ります。

★  新約聖書はイェスの誕生の事実を語っていますが、その後にイェスがバプテスマ
のヨハネを訪ねて来るまでの約30年間のことをまったく語っていません。

  ただひとつだけ例外があります。  イェスが12歳のときに両親と共にエルサレムに
宮参りをしたときに、群衆の中で息子イェスを両親が見失ったという事件がありまし
た。  ルカ傳2章41節以下が記録している箇所です。  当時の世界では、子供たちが
盗まれて奴隷に売られることなど日常茶飯であったと推測します。  両親が心配した
のは無理もありません。  そのような緊張感が漂うなかで、49節が重要な証言をして
います。  少年イェスが、ユダヤ教の学者や律法学者を相手に、対話していたという
記録です。  「自分の父の家に居る」とイェスが述べたと、ルカ傳は語ります。

★  しかしこれ以外に、イェスの誕生から、イェスがバプテスマのヨハネのところに
おいでになったまでのことを、聖書は何も語っていません。

  どのような育ち方をしたのか全く見当もつかない若者が、ある日突然ヨハネの前に
現れたからといって、「どこの馬の骨かもわからないような大工の息子」を、神の子
として、救い主として受け入れることを、私たちが素直にできるわけがありません。

  またどのような意図で、どのような動機で、それまでの育ちも身分もわからない、
素姓のわからない青年が、悔い改めのバプテスマを叫んでいたヨハネのもとへやって
来たのか、その動機も理由もさっぱりわからないのです。

  このような状態で、『この青年が神の独り子であり、世の救い主であり、苦難の僕
なんだからお前たちは信じろ!』と言われても、それはとうていできない相談です。
大工の狂った息子の一人芝居にしかすぎません。

★  もしイェスが神の子であると主張するのなら、イェスに罪などあるはずがないの
だから、罪ある人々だけが悔い改めのために与っていたヨハネのバプテスマを求める
必要があったのか?‥なかったはずだのに‥という、ごく自然な疑問が出てきます。

  私は聖書学者でもなければ、神学者でもありません。  神さまに関することを知り
得るなど、そのような大それたことを考えようとしたことすらありません。
  けれども、イェスが私たち罪多き者たちのために十字架の上で贖罪の業をなし遂げ
てくださったという、神さまの大きなご計画という視点から、イェスのバプテスマを
考えることは、私にも赦されていると思います。

  主イェスは、バプテスマのヨハネに対して、自分は神さまの御旨に従ってこの世に
やって来たのだから、そしてそのために、今まさに十字架の道を歩み始めようとして
いるのだから、罪ある者たちと共に私が常に居ることを示すために、そして、人々が
そのことを理解し易いものとするために、自分自身を罪ある者たちの側に置いてみる
必要があるのだ‥と、そのようにバプテスマのヨハネを納得させられたものと、私は
イェスがバプテスマされることをヨハネに求められた理由は、そういうことであった
のであろうと、そのように私個人としては理解しています。

★  このことをとおして、イェスは初めて十字架に向かうご自分の使命を公言され、
また、ご自分に言い聞かせられたものと思います。  そしてヨハネはそのことを充分
にわかっていたので、イェスがおっしゃったとおり、イェスにバプテスマしたものと
理解しています。

  イェスがヨルダン川の水の中から岸辺に上られたとき、「天が開け、神の霊が鳩の
ように天から自分の上に降りてくるのをご覧になった。  そして、これは私の愛する
子であり、私はことのほか彼のことを喜んでいる‥という天からの声があった」と、
マタイ傳3章の終わりが証言しています。

  聖書そのものは、いわゆる「三位一体」という神学的な用語を使っていません。
しかしここに、「天の父」と、「地上の子」と、「天父から下る霊」というかたちで
三位一体をみることができます。

  ここに三位の神が一つとなって、イェスが神さまの御旨に叶うお方であることを、
すなわち、世の救い主、十字架の贖い主、苦難のしもべであることに対して、神さま
ご自身が太鼓判を押されたのです。  イェスのバプテスマを適切なものであると保証
されたのです。  聖書が何も語っていない青年期のイェスの30年間のブランク期間を
全く問題なしだ‥と、神さまご自身が保証されたのです。
  そしてそのことは、イェスは自分が十字架への道を歩む者であり、その道がすでに
始まったと自覚なさったということでもあります。

★  ところが、それでもナザレのイェスを、大工ヨセフの息子を、神の独り子であり
救世主であると認めようとしない不信仰がバプテスマを経たイェスに対して向けられ
ていたのでした。  「あの大工のヨセフの息子が、あんな若者が、どうしておいらの
救い主だって言えるのか?‥」と、神さまが太鼓判を押されたはずのイェスに対して
根強い疑惑と不信仰な態度が人々の心にあったのです。  悪魔の働きです。

★  そこで神さまはイェスを荒野に導いて、悪魔の誘惑にイェスを晒されたのです。
荒野ということですが、人里離れた、生きることが極めて困難な、ケリテ渓谷で烏に
養われたエリヤとの関連で先日から学んでいますように、荒野という所は、人が死と
対決せざるを得ないような、人を寄せつけない、静寂と死だけが支配する恐ろしい所
です。  同時に、そこで人は神とも対決できる、数少ない所でもあるのです。

★  イェスは荒野に導かれて、そこでこれから自分が採ろうとされている十字架の道
に就いて、悲しみの僕として、仕える僕として、十字架の苦難の僕としての心の準備
を、黙想に黙想を重ねて、考えて祈っておられたものと、私は推測しているのです。

  バプテスマのあと、神さまからの励ましと保証を頂かれたできごとのあとに導かれ
た荒野での、神さまとの対面の意味は、自分に託された十字架への道の確認であった
ものと私は考えます。  受難のしもべ、悲しみのしもべ、仕えるしもべの道の再確認
作業であったものと思えるのです。

  多くの聖書注解書は、イェスがサタンから受けられた誘惑の意味を解説することに
エネルギーを使っているようです。  そしてそれはそれで正しいことでしょう。
  しかし私は、静寂と死が支配する荒野で、イェスが自分に託された十字架への道を
黙想されたものと思います。  それは、サタンの誘惑に対する備えでもありました。

★  荒野の誘惑は三種類あったとマタイ傳4章前半が語っています。
ここではその内容の分析を、紙面制約の関係で、避けることにいたします。

  しかし、サタンからイェスへの三つの誘惑の表面上の申し出は異なっているように
見えますが、そこには厳然とした、基本的な、サタンからイェスへの提案が隠されて
いると私は考えています。

  それはイェスに対して、イェスが十字架の道を選ばないようにさせるというサタン
の策略が隠されているということです。  イェスが「苦難のしもべ、仕えるしもべ、
悲しみの人」とならないように、十字架への道へイェスが歩んで行かないように妨害
する‥ということです。  しかしイェスはサタンの誘惑の一つひとつを神のことばで
拒否され、自らを十字架に向かわせる道、すなわち、神の道を選ばれたのです。
苦難のしもべ、悲しみの人、仕えるしもべの道を自らの意志で選ばれたのです。

★  ナザレの若者、大工ヨセフの息子、どこの馬の骨かもわからない若造‥
あんな奴が救世主だなんて、信じられるものか!‥
  バプテスマされて、天から声があって、神の子だなんてほざいて、いい気になって
いやがるが、サタンにコテンパンにやられるのが落ちだぜ!‥  人々はイェスをその
ように冷ややかに眺めていたのでした。  荒野で奴は悪魔の誘惑にコロリと負けて、
つぶれてしまうさ‥  良く見てろ!  このように人々はイェスを見ていたのでした。

  しかし、死のにおいが漂う荒野でイェスは静かに神とのひとときを過ごし、自分の
使命を確認され、そして悪魔と体験され、十字架に到る道を自ら選ばれたのです。

  イェスがバプテスマを経て、天からの神の声を聴いて、そして荒野へと導かれて、
悪魔の誘惑に勝利されたという、一連のシリーズが私たちに語りかけている中心的な
メッセージだと、私はそのように理解しているのです。

★  十字架に向かわれるイェスを理解できなかったペテロの反応をマルコ傳8章31節
は告げています。  そのことの意味を全く理解できなかったペテロに対してイェスは
サタンという実に厳しい言葉で戒めておられます。
  このときすでにイェスはご自分を、十字架に向かう苦難の僕、悲しみの人、仕える
僕として理解なさっていたということを、私たちは知ることができます。

  ルカ傳22章の初めの部分では、イェスが主の食卓、いわゆる聖餐を「せつに」望ま
れていたことを語り、そして主の食卓の席で「仕える者」としての御自分の姿を示さ
れたのです。  十字架の上で、私たちの贖罪のために苦しみをお受けになるという、
「仕えるしもべ」の姿勢をお示しになったのです。

  そしてそののちに、オリヴの丘のゲッセマネの園で、血がしたたり落ちるような汗
を流しながら、真剣に悩まれ、祈られ、十字架の道を選ぶことの再確認をなさったの
でした。  あまりの苦しみのゆえに「死ぬほどの悲しみ」を経験されたと、マルコ傳
14章34節はそのときのイェスの苦悩を物語っています。

★  血の汗を流すほどにイェスはゲッセマネの園で、私たち一人ひとりの罪の贖いの
ために苦しまれたのです。  そのイェスに対して、そのイェスの大きな愛に対して、
皆さんはどのようなゲッセマネをイェスに捧げようとなさっておられるのですか?


詩篇 145篇8節

主は恵み深く、憐れみに満ち、怒ること遅く、慈しみ豊かです
主はすべてのものに恵みがあり、その憐れみはすべてのみ業の
上にあります。


              詩篇 145篇8節

明日以降を予定している北朝鮮のミサイル発射予告が東北アジアの軍事的
緊張を高めていることは事実ですが、必要以上に騒ぎ立て、国民を拉致
して、国民に恐怖心を与え、北朝鮮に対して憎悪感を増幅している自公
麻生政権の扇動に乗る必要はないのです。  マスコミを総動員して国民
に必要以上に恐怖心を煽っておきながら、その一方で国民に平静に‥と
呼び掛ける政策は詭弁です。  嘗ての大本営発表を彷彿させます。

国と国は常に自国利権保護のためにだけ争うものです。
しかし国民同士が政府主導の世論操作に巻き込まれて、憎しみ合う必要
はないのです。  それとも、イェスは北朝鮮に住む人々のために十字架
に赴かれたのではない!‥とでも日本のクリスチャンたちが信じている
のでしょうか?  もしそうだとすれば、これこそ大きな問題でしょう。

イェス・キリストを主として信じている者たち、すなわち「地塩世光」の
私たちキリストの弟子たちは、この地に住みながら、国籍が天にある者
として、主の祈りが意味することを熟考する必要があるでしょう
私たちは「この世に住む者ですが、国籍は天にある者」なのです。
ピリピ書3章20節、エペソ書2章19章をどう読むのでしょうか?
そのような状況下にあっても、主のしもべたちは、お互いに信じあい、
愛しあい、仕えあうことを学びたいものです。

先のアジア太平洋全面戦争中にアメリカの教会が発行した Word and Work
紙の日本宣教関連欄を読んでみますと、日本を憎むように扇動する記事
は皆無で、むしろ日本政府指導者層のために祈り、日本の教会と指導者
や教会員のために祈る記事だけです。  学ぶべき点だと思っています。

私たちは「平和を作る者 We are peace makers.」(マタイ傳5章9節)で
あることを忘れてはなりません。  それがイェスの弟子の特権であり、
それが私たちの任務であり、そのようにあるべき姿なのです。


『アシラとその像』

★  先週号で「エリヤ・オバデヤ・アハブ・イザベル・バール・雨」に就いて最低限
の紹介を試みておきました。  しかし、アシラのことを忘れていたようです。

  日本語聖書ではアシラとなっています。  欽定版では groveとなっています。
この groveは、辞書によりますと、ヘブル語 Asherahまたは Ashtorethの誤訳だと
あります。  あるいは、同じくヘブル語の eshelの誤訳の可能性があるとのことです。
ヘブル語(ヘブライ語)に詳しくない私にはそれ以上のことはわかりません。

★  アシラに就いて半世紀以上も前に、確かバイオラ大学で学んだような記憶があり
ますが、何しろ終末末期高齢者ですから、ほとんど忘れてしまっています。
  そういうわけですので、もっと責任のある紹介をするために、キリスト新聞社刊行
「新聖書大辞典」のアシラ欄から主要点だけを紹介することに致します。

★  アシラとアシタロテは、共にカナン宗教の肥沃祭儀における礼拝の対象としての
女神である‥と紹介されています。  両者の区別は明瞭でない‥ともあります。
  そして新聖書大辞典は、アシラを三つに分けて紹介しています。

1.  女神として:  列王紀上18章19節に書かれているように、アハブ王妃イゼベルに
よってフェニキアから北朝イスラエルに導入された女神のことです。
  エルサレムの神殿にアシラの像が立ち、神殿男娼の部屋が設けられた(列王下23章
4節~7節)のはアッシリアの影響であり、反アッシリア政策を打ち出したヨシュヤに
よって徹底的に排除されました(同4節~15節)。

2.  女神の像として:  アシラという語は女神の像を指すそうです。  マナセが神殿
に立てた「アシラの彫像」=列王紀下21章7節は、同書23章6節では単にアシラ像と
なっています。

  アハブ王によってサマリアのバアル神殿に立てたアシラ像もこのような像であった
として列王紀上書16章33節と列王紀下10章26節を比較するよう提案しています。
  この像は破壊されましたが、エヒウの子エホアハズの時代にサマリアに再び現れた
と列王紀下13章6節が記録しています。

3.  聖木として:  女神の象徴としての木像もアシラと呼ばれていたそうです。
申命記16章21節によれば立てることができる木像であることがわかります。

  出エジプト記34章13節と士師記6章26節では木像を切り倒すことができ、申命記12章
3節と士師記6章26節には木像を焼くことができるように記載されています。

  木像であったため考古学的遺物として残っているものがないが、アイにおける早期
青銅器時代の聖所跡地の発掘では香壇の間に長さ1米余りの炭化した木片が出土し、
これが枝を切り落とした木柱であったようで、おそらくアシラであったものと考えら
れています。

  アシラの礼拝と肥沃の女神のこのような表象である聖木を立てることは厳しく禁じ
られていたようで、アシラ礼拝は特に北朝イスラエルにおいてオムリ王朝の下で繁栄
したものであり、エホヴァ=ヤハゥエの目に悪と見なされるに到り、豫言者的史観に
よれば、これが王朝滅亡の原因となったものとされています(列王紀下17章7節)。

  イザヤ書17章8節や27章9節によれば、豫言者が譴責したにもかかわらず、アシラ
礼拝は王朝時代にも行われていたようです。
  ユダ王朝末期にも、「天后」の名のもとにエルサレムで広く礼拝されていたように
エレミヤ書17章2節と18節は語ります。

★  20年も前の出版物となりますが、人文書院刊行の「旧約聖書の世界」米倉充著が
極めて優れた旧約聖書世界と旧約聖書時代の手頃な参考書です。  強く推薦します。
  絶版ですが、アマゾン・ジャパン経由なら千円前後で現在でも入手できます。
一読の価値が充分にあります。