先々週号で「そっち(の教会)は どっち(の教会)?」を考えました。
先週号では「うちの牧師は占いができる素晴らしく霊的な牧師です」を考えました。
今回は「パンテオン(汎諸神殿の意)の柱・オリンポス(懸崖神殿の意)の柱」を考えてみましょう。 一連の勉強「教会とは何か」ということから始まっています。
パン・テオンですが、パンとかパスは「宇宙」や「汎」や「万」という意味を持つギリシャ語です。 テオンは「theos セオス・神」という意味で、ゼオスやゼウスと同じギリシャ語です。 もともとはキリスト教の「神」という意味ではなかったものと思います。 それですから、パンテオンは、渋谷に昔あった映画館の名前で覚えていらっしゃる方もあるかも知れませんが、強いて訳せば、「汎神殿」、「万神殿」、
「諸神殿」というようになるのでしょうか。 ギリシャ・ローマ神々を祭る神殿、もう少し広く考えれば地中海沿岸の汎神論で言う神々の神殿という意味でしょう。
のちにフランスでもパンテオンというものを建てましたが、ここでは触れません。
ローマ帝国ハドラアヌス帝が 120年から 124年頃にパンテオンを建設したと言われています。 8本の円柱を構えた円形の大きな大理石の建物で、内径が48メートル、高さも同じ48メートルあるそうです。 現在はローマ・カトリック教会堂として使用されているそうです。 8本の円柱が印象的な建物だそうです。 そこにギリシャ・ローマの諸偶像が祭られていた万神殿・汎神殿・諸神殿・多神殿だったのです。
一方、オリンポスはギリシャの最高峰で2917メートルあります。 八ケ岳の赤岳が2899米で、駒ヶ岳が2966メートルですから、この二つの巨峰の中間の高さです。
マケドニアとの境界線に近く、テサロニケ湾に面しています。 「懸崖山」という意味があるそうです。 そしてそこにはゼウスなどの神々が宿っていると信じられています。 洋の東西を問わず人が考え出すことには共通点があるようで、高い巨峰の山頂には神々が宿り、また神々がそこから昇り降りすると考えるようです。(オリンピック競技という名前もそこから生まれて来ましたがここでは触れません)
詩編 121編1節は、イスラエルの民が周辺の強力な異教徒たちの支配下にあった時に、彼等が目を揚げて周辺の丘陵地帯や山々を眺めますと、それらの頂きには偶像の神々を祭る祠があったのです。 偶像の神々がイスラエルの民を見下ろしていたのです。 そこでイスラエルの民は、丘上や山頂を越えて、天を見上げ、そこから創造主の救いが来ると待ち望んだのです。 そのような信仰告白が詩編 121編に語られているのです。 山々の頂きに神々が宿るという思いは世界どこでも同じようです。
さて、申命記12章2節や16章22節には、上記の詩編 121編に関して説明をしましたように、異邦人たち=すなわち、まことの神を信じない民たちは、高い丘や峰の上に神殿を建てて偶像神を拝んでいたことを暗示しています。 「柱」という単語がそれを物語っているのです。 「柱」=「偶像神を祭る神殿」、「汎神殿」、「万神殿」という意味です。 「諸神殿」ということです。 「柱」=「パン・テオン」という
方程式です。 「柱」=「いろんな偶像を礼拝する場所」ということになります。
聖書は、例えば、マタイ伝6章1節~8節や、ヨハネ伝4章21節~24節や、ロマ書12章1節から15章の終わりまでや、コリント後書4章18節~5章7節を冷静に、注意して読んでみますと、私たちの神は人間がその財力や権力や智恵を尽くして建てた、物質的・可視的面で豪華な神殿にお住居になる方ではないことを学ぶのです。
人がその力の限りを尽くして建てた神殿というものは、建てた瞬間から維持管理に更なる財力や智恵が必要となり、やがては朽ち果てる物なのです。 そこには権力者=職業的宗教人が居座ることになりますし、宗教儀式が執り行われることになりますが、神が住まわれるという保証は全くないのです。
韓国の恵まれない子供たちの為に獨逸教会を訪れた時にケルンの大聖堂に行きました。 聖衣を纏った聖職者が胸に募金箱をぶら下げて入場者たちに寄進を迫っていました。 維持だけでも大変なようでした。 まぁ、そのような大聖堂も必要なのでしょうが、本来信仰とは目に見えないものですから、そのような大きな聖堂や神殿や礼拝堂というものは、本当は信仰と殆ど無関係のように思えてなりませんでした。
勿論、教会史の学徒の一人として、そのような欧州の歴史文化的遺産とその価値を否定するものではありませんが、それでも何か腑に落ちないものを感じました。
イザヤ書57章15節で、神は「心砕け、遜ヘリクダる者と共に住まう‥」とありますし、使徒行伝17章24節には「この世と、その中にある万物を創造された神は、天地の主でいっらしゃるのであるから、人間の手で造った神殿にはお住みにならない」と断言しているのです。 獨逸でもヤン・フスの信仰の流れを汲む質素な礼拝にも出席できた直後でしたので、尚更そのように感じたのかも知れません。
初代原始教会時代には礼拝専用の集会場・礼拝堂というようなものは存在していませんでした。 約二百年もしてからそのような会堂が初めて出現したのでした。
初代教会の人々は、森の中で、大木の下で、草原で、洞窟の中で、裕福な信者たちの家庭に集まって十字架のイェスの贖罪の業を神に感謝し讚美していたのでした。
また更に、サムエル前書15章22節を読みますと、砕けた魂よりも神が宗教諸儀式を更に喜ばれるというようなことは在り得ないと私は教えられるのです。 皆さんがたはこれらのことをどのようにお考えになりますか?
豪華な「ギリシャ・ローマの偶像神殿」と同じような物を建てて、その内側で「ユダヤ教の宗教儀礼」と同様な宗教儀式をガウンを着た職業的宗教人、位階制度にあぐらをかく聖職者にやってもらって、そこに参列して「アーメン・ソーメン」と口先だけで唱えても、それが神へのまことの礼拝にはならないと私は思うのです。
建物を中心として、「人々が建物に集まって来るように努力をする」ことに関心の焦点が集まり、「出て行って福音を述べ伝える」という主イェスの大宣託が無意識の内に無視されたり軽視されるようになるのです。 「建物の維持管理」にエネルギーやオカネが使われるようになり、伝道や奉仕の業のためにそれらが使われるという事が希薄になって行くのです。 これは本末転倒であり、一種の偶像崇拝であり、下手すると主の前に「罪を犯す」ようになるのではないかと私は危惧するのです。
二人の尊敬する献身的だった老宣教師を個人的に知っています。 年老いられて、致し方なく仕えられていた二つの教会を別個の二人の日本人に託し帰国されました。
お別れ会にも出席しました。 それから二十年以上が経ちました。
一人の日本人は教会の土地を売却し、20数億円を使って見晴らしの良い場所に豪華な教会堂を建てましたが、教会員は二つに分裂し、対立し、裁判沙汰となりました。「牧師」となった日本人は教会堂完成直前に死亡しました。 息子が後継牧師となりここに血肉による教会継承という奇妙な姿が生まれました。 北朝鮮の金親子の独裁政権体制を思わせます。 超高額建築物の割りにそこに集まる人は僅かのようです。
もう一つの教会も、何度かいろいろな理由をつけて教会堂を立て替えていました。最近では今度は何億円?かを費やして立派な教会堂を丘の上に建てました。 ここでも不思議なことですが、同じように、親子世襲体制というものが確立しました。
いろいろな意味でこれらの変化は二つの教会を設立した謙虚な老二宣教師夫妻と、主イェスに対する彼等の信仰から考えてみますと、設立宣教師のお二人にはとうてい想像すらできなかったことだと思います。 承認なさらなかったものと思います。
両教会とも同じように「ギリシャ・ローマの万神殿」で「ユダヤ教の宗教儀式」が「祭司」たちによって執り行われています。 両者共どもキリスト教関係のマスコミに幾度か採り上げられ、その度に得々としている姿までお互いによく似ています。
先々週は、「そっちはどっちの教会」という問題を採り上げました。先週は「うちの牧師は占いが出来る、霊的な牧師だょ」という問題を考えました。今回は「パンテオン丘上神殿」と「オリンポスの山頂神殿」を考えてみました。
聖書は「うちの教会の方がよその教会よりも勝っている」とか、「うちの教会だけが唯一絶対に正しい教会だ」などと教えていません。 それは、個人であれ、教会であれ、教派であれ、教団であれ同じです。 「俺さまが奴らよりも優れている」などとは決して教えていません。 「うちの教会はデッケイから優れている」とも教えていません。 『うちの教会もやっとこれで落ち着けるようになった』と囁いた友人の声を耳にした時には思わず私自身の耳を疑ったほどでした。
韓国の多くの教会の誘惑と弱点は、「デッカイ教会堂を建てる牧師ほど優れた牧師サマなんだ」という暗黙の理解と競争心が牧師たちの間にも信者さんたちの間にもあるということだと私は微笑みながら理解しています。 この傾向は米国でも同じで、メガ・チャーチというのが流行し始めています。 二、三万人が集まる教会です。
これは地方の町に大資本のスーパーが進出して来ることによって地元の零細企業が潰されて行くというのと同じで、広大な駐車場を備えた、二、三万人もの人が集まる教会堂が建ち、派手なテレビ宣伝が行われたりしますと、それまでの米国の小さな教会はどんどんと潰されて行っているのです。 そのような「デッケイ」教会堂では耳障りな説教は語らることがなくなり、人々に迎合するような説教が語られるようになっています。 説教と言えるのかも疑問です。 雰囲気や宗教儀式が聖書の言葉に
摩り替えられて行っているようです。 大勢の参加者は「お客」となり、「個人の」「信仰の質」は問われなくなってしまいます。 沢山の人々の中に埋没して、恰かも自分自身も自分の信仰も「デッケイ」ものになったような錯覚に陥ってしまいます。
このような大群衆の中に浸ってしまうと、「私は主イェス・キリストに属している者である」という自覚が次第に喪失してしまうという危険性があると虞れます。
しかし聖書は私たちが主イェス・キリストに属する者であると教えています。イェス・キリストに就いてもっと知りなさいと教え、イェス・キリストの恩寵と知識の中に育ちなさいと教えています。 敵を愛しなさいと聖書は教えます。 弱い者を顧み、虐げられている者たちに仕えなさいと聖書は教えています。 神さまに近づきなさいと教えています。 神さまと親しくなりなさいと奨励しています。 主イェス
の栄光を顕すように努めなさいと勧めています。 悪から遠ざかり、罪と闘えと教えています。 神でないものを恰かも神であるかのように錯覚してこれを拝んではいけない=あらゆる偶像礼拝を禁じています。 再臨されるキリストを祝福に満ちた我々の希望であると捉えて、主の再臨を待ち望みなさいと勧めています。 静かにして、神さまがどのようなお方であるのかを日常生活の中で日々学び続けなさいと教えています。 神の驚くばかりの恩寵の深さ高さ広さを知るようにと勧めています。
このように、自分に対する神さまの御旨が何であるのかを真剣に祈り求めて、そのことを念頭に置いて日々の生活を清く送れるように、主の憐れみと許しを求めながら歩めば、我々の後ろ姿の中に人々はやがて主イェス・キリストのお姿を見いだすようになると私は思います。
そうすれば、「うちの牧師は」占いができるから霊的な人なんだ...ではなくて、神さまの前での「自分自身の在り方」をむしろ問題にするようになるでしょう。「そっちはどっち」の教会ではなくて、「自分の信仰はどっちの信仰、どの程度の信仰なのか」が問題となって自分に迫って来ることでしょう。 「うちの教会堂はデッカクなったから、もう大丈夫なんだ」ではなくて、「自分の信仰が神さまの前でそんなにデッケェ信仰なのか、チッポケで恥ずかしい信仰なのか」がおのずと明らかになり、自分自身の主イェス・キリストへの信仰の質が問われて来ると思います。
目に見える箱、容れ物としての教会堂が「デッケイ」とか、豪華だとかは、本当はどうでもよいことだと私は思っています。 一冊の聖書と、ひざまずいて祈ることができる膝なり場所があれば、イェスさまという唯一絶対の仲保者をとおして私たちは神さまに近づき、神さまを讚美し、神さまとお話しができると考えています。
そのような特権が恩寵によって与えられていることを理解すれば、容れ物が立派であるとかないとか、箱がなければ神さまを礼拝することができないとか、神さまを礼拝するのに箱があってはならないとか、うちの教会堂は粗末過ぎるからなどは問題ではなくなります。 そのような外側の箱のことを心配する必要はないのです。
神さまはどこにでもいらっしゃるし、どこででも礼拝することができるし、私たちの生活そのものが生きた礼拝であるのですから、そのようなことにこだわる必要などないと私は思います。
十字架の上の贖罪の愛に対して涙して感謝をささげ、神を信じる謙虚な姿勢があるかないかこそが大切だと考えます。 目に見えないものに目を注ぐことが大切です。
そういうわけで、神さまの前での私たちの在り方、特に「霊的な在り方」というもの、「神さまを礼拝するということ」とは一体全体どういうことを意味するのだろうか、そういうことを問いかけることがのほうが容れ物に気を配るより遥かに大切だと私は思っているのです。 クリスチャンであるということは、キリストに属する者であるということは、それはどのようなことを意味するのだろうかと、自分自身に問い続けることが重要だと思っています。 それが求道者のあるべき姿勢だと思います。
目に見える世界のことよりも、目にみえない信仰の内容の世界のことをより大切なものとして考えてゆきたいと願います。
パンテオンの神々と一緒に並んで神殿内に納められるよりも、オリンポスの山頂で神々たちと共に並んで立つよりも、ひざまづいて十字架の主に溢れる感謝を捧げる者となり、再臨なさる主イェスを切望する者になりたいと願うのです。
そして十字架と再臨との間に在って、福音伝道と愛の奉仕に更に仕える者となりたいと願うのです。 皆さんは如何お考えになりますか?
何年か前にクリスチャン新聞に私がポケット・マネーを出してOVC (オハイオ・ヴァレー・カレッジ)への支持と感謝の目的で同校を推薦する広告を出したことがありました。
その『広告を見たので娘を留学させたい』と、或る母親が千葉からわざわざ来岳されたことがありました。 少し神がかったような感じのする母親でした。 『うちの牧師は極めて霊的な牧師で、しかも占いができるんです。 まぁそれがよく当るんですょ。 ご一緒にこんど如何ですか...』と熱心に私を誘いました。
彼女の話し方からしますと、人が霊的であるとかないとかは、占いができるとか、豫言ができるとか、異言を語ることができるかできないかということで決まってしまうようでした。 私にはその総てが「まゆつば」ものに思えるのですけれど...
(注 豫言=何百年、何千年も後の事を或る程度具体的に予知・予告することで、預言は教会の徳を昂めることという意味で、私は二つを使い分けています。 為念)
確かに神さまは現在でも奇蹟を行う能力と特権をお持ちだと確信しています。しかし、その能力を神さまがこの時点でお使いになる必要があるのかとなりますと、私はその必要はないと考えています。 神さまのお力や能力やお考えというものは、この時点に於いて、私たちが聖書を冷静に読めばわかる筈だと信じているからです。
ヨハネ伝20章30節~31節を読みますと、ヨハネ伝の中でヨハネが書き記した幾つかの奇蹟、ヨハネは奇蹟という言葉を使わないで「しるし」という表現を使っていますが、それらの「しるし」=道標=人々の視線を或る特定の方向に向け、ある特定の方に人々の視線を向けられるよう手伝う「しるし」をとおして、人々がヨハネ伝の中の奇蹟=「しるし」を通して「しるし」の向こう側の意味を読み取れば、それによって
a.イェスが神の子であり、救い主であることを理解し、イェスを信じて、
b.イェスの名前によって永遠の生命を得るためである...
と淡々と語っているのです。
コリント前書12章を読みますと、その後半部分で使徒パウロは異言に就いて語っています。 そして異言を語るということの意義をそんなに大きく考えていないことがわかります。 それよりもむしろ信望愛の方が遥かに優れた徳であり、人々が求めなければならないものであると13章で述べています。 更に14章を『愛を追い求めよ』という言葉で始めています。 14章の13節~19節では異言を語ることよりも、むしろ知性によって語ることの重要性を説いています。 それですから異言というものは、一部の人々が強調するほどに重要なものではないのです。 霊的な証拠ではないのです。
(参考までにですが、もともとの聖書には、現在の私たちの聖書に見られるような章や節の区分などはありませんでした。 それですから、私たちがこん日言うところの13章13節のすぐ後ろに何の区分もなく14章1節が続いていました。)
まして「ある特定の人が霊的である」ということと占いとの関係、占いをすることや占いができるということ、そのことでその人が霊的な人であるかどうかということになりますと、答は実は否定的です。 なぜなら占いというものは旧約聖書時代から異教徒的慣習として禁じられて来ているものだからです。
ここでは占いをそのように扱っている聖書箇所を列記しませんが、「霊的である」というよりは占いとは、「まことの神を信じない異教徒的なもの」とか「悪魔的」なものであると考えられていると言ったほうが良いかと思います。 そのようなわけですから、「占いをする牧師は霊的指導者だ」と私にはどうしても思えないのです。
むしろ私には、「霊的である」ということは、ガラテヤ書5章22節~23節が語っていることであろうと確信しているのです。 『御霊の結ぶ実は愛』のことです。
そこでは御霊の結ぶものとして愛が一番初めに語られています。 愛の次に喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制...と、そのように愛の後にそれらの徳を続けて訳す人もあります。 これは英語や他の言葉への翻訳にも見られるようです。
ところが、『御霊の実は愛である』と、ここで一旦切る訳者もいます。そしてそのように訳す訳者は、愛(アガペー)から改めて喜び、平和、寛容・忍耐・辛抱、慈愛・親切、善意、忠実・誠実、柔和・謙虚、自制というものが生まれて来ると訳すようです。 ギリシャ語の聖書でそこを読んでみても聖書のギリシャ語の学者でない私にはわかりません。
しかし、私は後者の立場の翻訳を個人的になんとなく採っています。 霊的な人というものは、そういうわけですから、先ず「愛」をその人格を通して、その人の信仰を通して、その人の在り方を通して生み出すものだと確信しています。
立て板に水を流すように流暢に祈祷を捧げる人が霊的な人だという意味では決してありません。 愛に関してはコリント前書13章1節以下に優れた定義があります。
ガラテヤ書5章22節が使っている「愛」はアガペーという言葉です。 これは人間に対して神さまだけが持っていらっしゃる無条件の愛という意味です。 このような愛を私たちが醸し出すことができるとするのであれば、それはご恩寵の中に在って、その人が生涯を懸けて、御霊の助けを得ながら、醸し出すものだと私は思うのです。
そのためには途方もない時間がかかるということを「実」というものが表します。インスタントに出来上がるものではありません。 信望愛の中で、恩寵の中で、長い時間をかけて培うものだと思います。 それが聖書的な「霊的」という意味だと理解しているのです。
八ヶ嶽南麓で、この厳寒期に、夜間の外気温度が零下20度近くまで下がり、地面は凍土と化してコンクリートの塊のようになります。 そのような地面の中で、それでも植物はじっと耐えて春を待っています。 すべてが死んでしまったように錯覚するこの厳しい八ケ岳山麓の長い冬のあいだ、植物はじっと堪え忍んで復活の春の到来を待っているのです。 時には暗黒の、音の全くない原生林の夜の世界の中で、突如として立ち木の幹の部分が音を立てて割れることがあります。 樹木の中を流れている樹液の水分が凍えて膨張して、樹木が縦に割れる時に音を出すのです。
秋を彩っていたコスモスの花からこぼれ落ちた種の一部は、野鳥がやって来て啄み命を失うのです。 野鳥の餌になるのを逃れることができた種は、厳しい凍土の中で生き抜いて、次の年の春から初夏に芽を出して、夏から秋に開花するのです。
草の種ですら花を咲かすまでにも満一年を要するのです。 いろいろな厳しい試練をくぐり抜けて花を咲かせ、実を結ぶのです。 時間と忍耐とさまざまな困難と犠牲を経て、その一部だけが翌年の開花と結実に到るのです。
八ヶ嶽南麓は火山灰のようです。 良い土壌は少ないようです。 ベタニヤ村周辺は海抜約千五〇メートルです。 地面の中は殆どが大小無数の岩石だらけです。
ベタニヤ・ホームを建設する時に、50キロ以上数トンまでの重さの岩石が千個以上出土しました。 それより小さい岩や石は無数で数えられませんでした。 数百年の歴史をもつはずの小荒間の住民たちが、この辺りに住居を構えなかった訳がその時に初めてわかったような気がしました。
そのような荒野の中でも樹木は育っています。 敗戦後に植樹したといわれている唐松でも20メートル近くになっている樹もあります。 イチイ(一位・あららぎ)と呼ばれている樹の中にも20メートルを越える大木に育っているものもあります。
それらの樹木がこの荒れ地の中でどうやって育つのであろうかと、いつも不思議に思っています。
答は根です。 岩石だらけの地下に各樹木は、その根を一本の線にまとめることがもし可能ならば、恐らく数キロ以上、あるいは10キロ以上の長さになるのではないかと思いますが、そのような努力をして生命を維持しているのです。 このようにして樹は実を結ぼうと努力をしているのです。 実を結ぶということは大変なことです。
春が来ると近隣のお百姓さんたちは短い春~夏~秋を巧みに利用します。冬の間に降積雪が少なくて地下水が少ない時もあるようです。 そして旱魃と続く年もあります。 また、その反対に、梅雨の折りに雨が降り過ぎてベト病という病気が植物を襲う時もあるようです。 夏になって雨が多過ぎると鉄砲水が生じ、火山灰の土壌は弱く、植物が簡単に流されてしまう時もあります。 薪として伐採される樹もあります。 植物が開花し結実するということがこんなにも大変なことであるなどと私は八ヶ嶽南麓に来るまで全く知りませんでした。
繰り返しますが、樹木が果実を実らせるというのは、そのような厳しい気象条件、旱魃やら颱風や洪水、地震、落雷などいろいろな厳しい条件を乗り越えた末にやっと可能となるのです。
信仰生活も同じだと思います。 「聖霊の実」を宿し実らせるのには時間がかかるのです。 絶えざる祈りの姿勢の中で主の御旨を求道し続け、御旨の中に留まりたいと願い続ける祈りと努力が必要だと思うのです。 とんでもないほどの忍耐が必要な作業です。 現在の日本人、インスタント生活に慣れきってしまった日本人には耐えられないことなのかも知れません。 そのような厳しい信仰生活が要求されているのだと私は思います。 その生涯を賭けて・懸けるに相応しい願いだと思います。
『キリストの再臨と、再臨の時に神さまによる厳しい最後の裁きがあるなんて説教するんじゃ駄目だ。 そんなこと言えば人々が教会に来なくなるよ!』とある知人の牧師が私にささやきました。 このような甘い考え方で「御霊の実である愛」というものが果たして結ばれるものなのだろうかと私は思わず彼の呟きを疑いました。なんでもイージー・ゴーイング時代なのです。 牧師がその調子なのですから...
「アーメン・ソーメンの宗教ゴッコ」が主イェス・キリストの名前をつけた教会でも行われているのです。 そのような教会ゴッコを日曜の朝の一時間前後繰り返したからといって「御霊の結ぶ実である愛」をどうやって結べるというのでしょうか?
外見は立派でカッコイイ豪華な礼拝堂で、目に美しく見える宗教儀式が執り行われて、聖書の厳しさの部分を意図的に避けて、耳に聞き易く賢くなったような気がする訓話が語られている今日の日米の多くの教会にとって、「御霊の結ぶ実としての愛」をどのようにして結べるのだろうかと私は案じます。 余計なお節介でしょうか?
米国では昔から鳴り物入りのラジオ放送で、そして1960年代以降には派手なテレビ伝道で、「癒しの奇蹟」を巧みに取り入れて、名を売っているショウ・ビジネス的な伝道者・説教者が何人か次から次に出て来て、テレビ網を活用して、全米を網羅しているようです。
彼らは「霊的な牧師たち」だそうですが、私には芸能人、エンターテイナーとしか見えません。 カネ稼ぎの上手な人だとしか私には思えませんでした。
次のようなことがあったのを記憶しています。
義眼の或る男の子がそのような「霊的大衆説教者」が主催する、何千人かの会衆が集まっていた集会の席で、また、そのような大勢の人々が醸し出す宗教的陶酔状態というものは極めて異常な雰囲気だと思うのですが、その「偉大な霊的大衆伝道者」がその子の目の上に手を置いて「熱狂的な祈り」を絶叫しながら捧げ続けていた時に、その男の子が『見える! I can see! 見える! I can see now! 』と突然両手を挙げて叫びました。 会衆の間にどよめきの声が一斉に起り、同時に『ハレルヤ、主ょ』という讚美の言葉が止みませんでした。
次に、或る婦人が壇上に上がって来ました。 『お名前は?』 『〇Xです』...
そこ迄は良かったのですが、その「偉大な霊的説教者」が『あなたは〇X病があってそれでお悩みのようですね!』と問いかけました。 その婦人を初めとして会衆からは驚嘆のどよめきが再び起りました。 そして「癒し」と称する祈祷が始まったのは当然のことでした。
これらを疑問視していた他のクリスチャン・グループが調査したところ、会場入口の受付に「癒して欲しい希望者」が登録を済ませると、実はそこから壇上の説教者に無線で癒されたいという人の病名や経歴が逐次ことごとく報告されていたのです。
超小型マイクを耳に隠した「偉い霊的指導者」説教者は、緊張して壇上に上ってくる癒しを求める希望者を言葉巧みに操っていたのです。 『あなたは〇Xを煩っていらっしゃるんではないでしょうか?』 ドン・ピシャリです。 本人も会衆も驚きます。 『あの先生は偉大な霊的指導者だ!』となってゆくのです。
脚の不自由な老婦人が車椅子ごと壇上に連れて来られたのをテレビ画面で見たのを覚えています。 『信じる者は救われるが信じない者は滅びる』と、例えばヨハネ伝3章16節の聖句を巧みに歪めて、大勢の会衆の異常な雰囲気の中で、壇上に連れられて来た車椅子上の老婦人に熱心に激しく怒鳴るように語っていました。
もう緊張の限界にある「被害者」に対して『信じます I do belive !』と発言するように説教者は言葉巧みに誘導していました。 「信じたら直った、癒された」と告白することを強要していたのです。 いろいろな色彩のスポット・ライトが当てられて、感情を鼓舞するような大きな讚美の歌と音響効果に包み込まれてしまった老婦人の頭の中は恐らく真っ白になっていただろうと推測します。
『信じます』と言わないと「不信仰者」というレッテルが何千人かの人々の前で、いや、テレビを視ている全米の人々に思われてしまうという強い圧力の中で、彼女は『ハイッ、信じます』と言わざるを得なかったと思います。
そのように答えた車椅子の老婆に、「偉大な霊的説教者」は、『それでは車椅子を降りて、私が差し出す両腕の中に向かって歩きなさい』と誘い、命じました。老婦人は車椅子を降り、一、二歩だけ「偉大な霊的伝道者」の方に歩いたのです。
その結果は、『ハレルヤ、主ょ』という大きな歓声でした。 異様でした。
その後、別のキリスト教の団体がその集会参加者たちを訪ねて調査をしました。結果は明白で、何も癒されてはいなかったし、義眼で見える筈もなかったのです。
私には、このような「癒し」をする「大衆伝道者」を「とても偉い霊的な指導者」だなどと認めることは到底できないのです。 それはガラテヤ書5章22節以下の聖句が証する「御霊の実」の数々から遥かに離れた、むしろその反対の、売名行為でありインチキ商法以外の何ものでもないと思っているからです。 勿論、裁きをなさるのは神さまであって私ではありませんのでそれ以上のことを言うのは差し控えますが、それでも「Something is wrong. 何かおかしい」と思っているのです。
韓国では、なるべく大きな教会堂を建てる牧師が「偉い牧師センセイ・サマ」なのだそうです。 しかし私個人は、そのようなことは聖書的な意味での霊的とか霊性というものとは全く別の、全く関係のないものであり、聖書が語る「霊的な指導者」とは全然違うものだと考えています。 可視的世界の異常な雰囲気や体験というものがそれがそのまま「霊的である」ということにはならないと考えています。
日本のような宗教的土壌・文化的土壌・社会的土壌の中で、福音宣教が極めて困難な中で、なお誠実にコツコツと多くの間接的な迫害に耐えながら地道に福音伝道に、愛の業に黙々と従事なさっている多くの伝道者・牧師たちが沢山いらっしゃいます。
そして、それは神さまからの十字架の贖罪の業を通して一方的に示されたご恩寵があってのことだと、感謝の念を込めて、喜んで厳しい伝道者の道を自らの意志で選び主イェスに仕えておられる同労者であると、神さまに感謝しているのです。
私は、霊的な人というのは、パンテオン神殿の偶像の神々と共に鎮座ましますことを拒否し、オリンポス山頂で偶像の神々と共に崇め奉られることを自らの意識で拒否して、赤貧のド真ん中に在ってもひたすらに主に仕えている、仕えようとしている、男が惚れ込む男たちであり、その夫人と子供たちだと考えているのです。
彼らこそ素晴らしい「霊的指導者」たちだと私は尊敬せざるを得ません。
教会という一種のゲットー、神殿の中には沢山の偶像が潜んでいるようです。
例えば、盲信的な信者さんたちの上に、そして得てして宗教団体には女性が多いのですが、信者たちの上に「牧師先生」として鎮座でき得る誘惑、教会の敷地に建てられた学習塾や幼稚園やマンションの運営、各種の社会福祉事業の経営、キリスト教系の学校や団体に名前を貸したり、天下ったり、長として、或は理事や役員として納まること、またそれらに付随してくる各種の肩書き、「牧師先生」だの「先生」という敬称などがもたらす驕りの権威への誘惑や錯覚、社会的地位や名誉や経済的安定など...いろいろとあるようです。 人間はこれらの誘惑の前に実に弱く脆いものです。
然し、すべての伝道者がそれらの偶像の誘惑に呑まれてしまっているわけではありません。自らの決意で、恩寵への感謝の念から、自らをゲットー化することを拒否して、誘惑という偶像と一緒に諸神殿に祭られることを拒否して、偶像たちと一緒に目立つ丘の上に立つことを拒否している伝道者たちも沢山いるのです。霊的指導者とはそのような信仰の隠れた巨人たちだと私は思うのです。 如何でしょうか?
隠れたところで黙って他者に与えることに豊かであり、目立たぬ方法で微笑みつつ分かちあうことに優れた者、悩める者、迷える者、悲しむ者の傍に黙って一緒に居ることができる人、疲れ果てて涙する者を優しく包み抱えて慰めと励ましを与え、心に必要なものを備え、迷える者に方向を示しながら一緒に歩き始めることができる人、仕えることをいとわぬ人、男が惚れ込む男の中の男、そして黙って後ろから彼を支える妻や家族、そのような伝道者とその家族も沢山いるのを私は知っています。彼ら自身が主イェス・キリストの十字架とその恩寵を知って居るからだと思います。
そういう伝道者は、隠れたところにいます神さまに隠れたところで祈る人であり、そして何よりも、祈りの力というものを充分に知っている人だと思います。
ガラテヤ書5章22節以下の「御霊の結ぶ実」を実らせている人だと思います。例えば、マザー・テレサのような信望愛の聖徒を「霊的な人」と呼ぶことに誰も反対をしないでしょう。 それに比べて、占いだ、癒しだ、異言だ...虚しいですね。
先週号で述べました「そっちの教会、どっちの教会?」どころの問題ではないのです。 エゴイストの自分が、恩寵と聖霊の助けを得て、徐々に愛の実を実らせ得る者に創り変えられて行く、これこそイェスに従う者の願いでありたいと思います。
霊的である、霊的でありたいということは、そのような祈りの姿勢の求道者のことだと思うのです。 御霊の実を結びたいと真剣に願い求める姿勢だと思います。
己をそのために日々の生活の場で十字架に架けて、もはや自分が生きているのではなく、主イェス・キリストが自分の中で生きておられるのだと意識し、御旨を求めて求道を続けて行く姿勢だと思います。 巡礼者の在り方を言うのだと思うのです。
意気込む必要もなく、出来ないことを頑張る必要もなく、与えられた才能、託された能力を、ゆっくりと、しかも一生懸命に、恩寵に応えながら、誠実に最後まで果たし、主に従う姿勢が大切だと思います。 やれ占いだ、やれ豫言だ、やれ癒しだ...このようなことは人が「霊的である」ということと全く関係のないことです。
またその他にもロマ書12章を何度も熟読してみますと、そこから聖書的な霊性というものがどのようなものであるのかを明白に学ぶことができます。 これは理想ではなく、そこに示されていることは私たちの日常生活に在っては当たり前のことでなければならないと教えられるのです。
数行前で述べたばかりですがガラテヤ書2章19節~20節にはその秘訣が明白に示されていると思います。 そこを読むだけならば20秒もかかりませんが、実行するには人の一生を要すると思います。 この聖句を前にして、『うちの牧師は異言や豫言や占いができるからとても偉い人で、霊的な人です』などということはとうてい言えないと思うのです。 みなさんはどのようにお考えになりますか?
新年の初めから「余言者」の雑音で恐縮ですが...
年末に「また同じ」質問電話がかかって来ました。 正直なところウンザリです。
近くに来た者だとのことで、京王線沿線の教会の名を挙げて、その教会の関係者の
ような話しの内容でした。 しかしその教会は「実に堅くて狭い」ことで定評のある
教派の教会ですから、その教会に関係のある人が「ミサ」というローマ・カトリック
教会用語を使うなど到底考えられないことです。 月曜の朝になってその教会に電話
をしてみましたら案の定『そのような人を知らない』ということでした。
まあ相手の人にしてみれば、「真面目な気持ちから」だったのかも知れません。
そうでなければ、普通一般の人なら、わざわざ電話をかけて来て礼拝の時間を訊ねる
ということをしないだろうと思います。 尤も、教会や牧師を騙し歩く「教会ゴロ」
という教会専門の詐欺師もないわけではありませんが、狙うのは都会の教会です。
「八ヶ嶽に年末年始の休暇で来たのだから、たまには教会にでも行ってみようか」
程度の「真面目な気持ち」の持ち主だったのかも知れません。
いづれにしましても、当方の公同礼拝に参加なさりたいと仰ってお訪ね下さる方に
対しては、いつものようにどなたであれ分け隔てなく歓迎致しますが、電話口の男性
は結局お見えにならず、どなたであったのかはわからずに終わりました。
そこで、再びここに「プロテスタント」とか「カトリック」という単語が意味する
内容を改めて考えてみましょう。 コリント前書3章1節~11節を併読下さい。
まず英語の「プロテスタントProtestant」と「カトリックcatholic」です。
ここでの「カトリック」は小文字の「c」です。 「大文字のC」とは意味が違いま
す。 大文字の場合 Catholic はその後ろにRoman を付け加えて、ローマ教会を意味
するようになります。 次に、単語が本来意味する内容を簡単に説明しましょう。
ここでのLはラテン語です。 Gはギリシャ語です。 Eは英語という意味です。
L = protestantes ラテン語で「公に証言する・主張する」の意味です。
E = Protestants ローマ教会に「抗議する者・異議を唱える者」の意味です。
G = katholikos = katholou ギリシャ語で「宇宙的・全体・包括的」の意味です。
E = catholic =「普遍的」の意→ Catholic 大文字にするとローマ教会の意味です。
ここで上記のラテン語「プロテスタンテス protestantes 公に主張する者」の意の
言葉を二つに分けてもう少し考えてみましょう。
「pro プロ]は英語で言うと「for ~のため」とか、「before ~の前」、または
「in favor of ~に賛成して」亦は「~の利益になる」などを意味するギリシャ語や
ラテン語の語要素です。 「pre プリ」もこの「プロ」と同じ言葉から出て来たもの
で、「before ~の前」や「first 最初」や「fore 前~」という意味です。
それですから、「プロテスタンテス proーtestantes」から「プロ」を取り除きます
と「テスタンテス testantes」が残ります。 英語で旧約聖書や新約聖書を言い表す
言葉に「オールド・テスタメント Testament」や「ニュー・テスタメント」がありま
す。 「契約」や「証」や「約束」という意味です。 従って「旧約・新約」です。
ここからも「プロ・テスタンテス」が「公に契約する」や「公に証言する」という
意味であることをおわかり頂けると思います。
「カトリコス」亦は「カタロウ」というラテン語の本来の意味は「普遍的な」とか
「宇宙的な」または「包括的な」という意味ですから、主イェス・キリストの身体で
あるエクレシア=この世から呼び出された者=キリストのものたち=クリスチャンの
集会という意味です。 何故なら主イェス・キリストの教会とは、時代も世紀も言語
も国境も文化も超えた、超宇宙的な、包括的な、普遍的なものであるからです。
それですから英国国教会 Church of Englandを米国では Episcopalian Churchに、
日本では「聖公会」と訳しています。 「聖なる公同教会」という意味でしょう。
主イェス・キリストの教会の性格を一言で良く言い表すに相応しい、良く洞察して
名づけられた優れた翻訳名だと私は思い、いつも秘かに脱帽拍手しているのです。
ただ、主イェス・キリストの教会は「聖なる公同教会」ですから、立教大学を興し
たり、清里に清泉寮を生んだ獨逸系米国人ポール・ラッシュ宣教師が属していた教派
としての聖公会だけが「聖なる公同教会」という訳には行かないと、清泉寮前を通る
ごとに私はその優れた名前を彼等だけの教派に用いる狭さを考えざるを得ません。
讚美歌 566番と聖歌の表紙の内側には「使徒信条」というものが紹介されています
が、その文の最後の方に『我は「聖なる公同の教会」を信ず』と訳されている文言が
あります。 それが正にカトリック・宇宙的・普遍的・公同的という意味なのです。
当然ですが一つの教派としての聖公会ではその箇所を「聖公会」と訳し、その教派
に属しているクリスチャンたちは『この名はおいらだけのものさ!』と誤解してか、
疑いもなくそのように唱えているようです。 真面目といえば真面目、滑稽と言えば
滑稽、お粗末と言えばお粗末、おめでたいと言えばおめでた過ぎますが...
更に、ソウルの中心部の中州にドデカイ集会場を建てて自分たちだけが「純福音」
教会だと、とんでもない恐ろしい自己暗示に酔い痺れ、自己顕示欲に取り憑かれてい
るようです。 そこの牧師をイェスさまの次くらいに崇める人も多いようです。
この世に在るどの教会も、主の恩寵によって、主イェス・キリストの身体の極めて
小さな一部分を構成させて頂いている訳であって、一つの教会だけが、一つの教派だ
けが、一つの教団だけが主イェス・キリストの全教会、全宇宙的、全普遍的教会を
独占できる訳などあり得ません。 まして主イェス・キリストの福音の「総てを」
独占できる訳もないのです。 おめでたい、そして不穏な発想だと思います。
「純福音」というものが仮にソウルの或る特定の教会だけにまかり通り得るのであ
れば、主イェス・キリストの福音には「不純な福音」も在り得るとでも言うのでしょ
うか? 不十分な、不完全な、不純な福音というものを神は十字架の上で人類に示さ
れて、その「不純な福音」によって人類が罪から救い出され得るとお考えになったと
でも彼等は主張しているのでしょうか? 恐ろしく驕慢不遜な発想だと思います。
天使の中の一人がそのような驕慢さによって神さまに裁かれ地に落とされたのでは
ないかと、天使学の授業でイザヤ書14章12節以下をそのように解き教えた学者の授業
を嘗て聞いたことがあります。 その説に従えば、正しく「我らこそ純福音教会だ」
と唱えることは、そのような恐ろしい冒涜的発想・冒涜的聖書解釈に基づくものでは
ないかと怖れます。
この世に在って主イェス・キリストを主として信じ従おうと願う私たちキリストの
弟子たち、すなわち主イェス・キリストの恩寵によって救いを頂いたすべての者は、
この地上に生を受けている間は取り敢えずどこか一つの群なり教会なり教派なり教団
に属しているわけで、そしてそのいずれかに属しているとしてもそれにもかかわらず
それは神の一方的な恩寵によって「宇宙的、普遍的、公同的カトリック教会、聖なる
公同教会に属する聖なる者たち」とされているのだと私は信じているのです。
「クリスチャン」という言葉の意味は「キリストのもの」、「キリストに属する者」
または「イェス・キリストに従う者」という意味だと、使徒行伝11章26節や26章28節
或はペテロ前書4章16節などから、そのように私は理解しているのです。
真面目に信仰を理解しようとする者なら、『お宅カトリック?』などと、そのよう
な質問は絶対にしないと私は確信しているのです。 そう問われれば、躊躇しないで
『ハイ、ご恩寵によって、そのとおりです』と答えれば良いのです。 然しそれでは
電話口の人にとっては納得不可能な次元の返答となり、不誠実となるでしょう。
『恐れ入りますがそちらはローマ・カトリック教会ですか?』ならまともな質問で
すから、『イイェ、私どもはそうじゃないんですょ』と真面目に答えると思います。
そして更に『お捜しのローマ・カトリック教会なら、韮崎か長野県側の富士見町にあ
りますよ』と、そのように説明をするか、古杣フルソマ川の向こう側にお住居の隣人でロ
ーマ・カトリック教会員のIさんご夫妻を紹介することもできるのです。
それですから突然の電話でいきなり訊ねてくる『お宅カトリック?』の質問に対し
ては、『だから何だよう? お前さんはお前さんの質問している本当の意味がわかっ
ているのか? 知ったような顔をするんじゃないょ!』と、口にこそ出しませんが、
心の中では、実は私の方でその人に質問してみたいという衝動と誘惑に駆らているの
です。 毎年このような電話がいきなり数回は飛び込んで来るのです。
昔ミッション・スクールに行っていた...、日曜学校に行ったことがある‥、現在は
行っていないけれど有名な〇X牧師に洗礼を授けて貰った‥などという人も多いよう
です。 リゾート地に来た「ついでに」「教会」に「でも」「行ってみようか」式の
「善男善女」たちで、「宗教儀式・礼拝儀式に参加すること=クリスチャンだ!」と
いう理解者が中心のようです。 ドンチャン騒ぎの降誕祭を終え、大晦日深夜に仏寺
の百八つの梵鐘を聞き、元旦早朝に明治神宮に参拝するのと同じ発想です。
一年に二、三度いきなり電話がかっかて来るもう一つの質問は、『うちの娘はもう
同棲生活してんだけどさぁ、中古ウエディング・ドレスをフリー・マーケットで買っ
たから、娘のために結婚式やってくれる?』という母親や、『近くの駅まで来ている
から結婚式やって!』や、『そっち結婚式やってくれんの?』と、同じような発想で
す。 日本人の典型的な宗教観が露出する時で、寂しいものです。
きちっと信仰生活・教会生活をなさっている常識のある人々ならそのような質問を
いきなり電話口で一方的に喋り掛けないものだと、私はそのように思っています。
次に『お宅、プロテスタント?』に関してです。
最初に書いておきましたように、ラテン語でプロテスタンテス、すなわち、「公に
証言する」亦は「公に主張する」から出て来た単語で、そこから生まれたドイツ語や
英語の本来の意味もラテン語と同じ「公に抗議する者」との意味を持っています。
すなわち、「ローマ・カトリック教会の在り方、国家権力と癒着して肥満体の姿に
歪んでしまった在り方、教皇=法王を頂点とする位階制度を築き上げてその上に鎮座
まします職業的聖職者階級の在り方と、彼等の都合のよいように聖書を解釈した上で
人々を神とイェス・キリストから遠ざけてしまっていることや、聖書が語っていない
のにいつの間にかマリヤをイェスの祝された母以上の地位に祭り上げて、彼女の名に
よって執り成しの祈りを捧げるようになってしまっている現実など、これらに対して
「抗議する者たち」または「異議を唱える者たち」のことを意味する単語です。
この世に在っては、ローマ・カトリック教会に属する人々であっても、主イェス・
キリストを救い主と信じ、ローマ・カトリック教会の聖職者たちが支配・管理してい
る限られた聖書理解と知識の中でも、主イェス・キリストの弟子となるために誠実な
信仰に基ずく日常生活をなさっておられる方々は、例えばマザー・テレサを含めて、
主の恩寵の中にあって、共に御国を継ぐ兄弟姉妹たちであろうと私は信じています。
然し、そのこととは別に、私たちはローマ・カトリック教会だけが唯一絶対の公同
教会・普遍的教会で、ローマ・カトリック教会だけが、もっと具体的には教皇と教皇
の解釈する聖書の教えやローマ教会が主張する伝統だけが唯一絶対に正しく不可謬で
あるなどとは考えておりません。 教皇も、私たちと同じように主イェスの十字架の
贖罪の業の対象者の一人であって、教皇の聖書解釈だけが唯一絶対無謬であったり、
教皇の権威やローマ教会の伝統が「聖書の権威の上にある」など、そのようなことは
在り得ません。
各地にあったローカル教会を指導する者たちを長老または監督と呼び、必ず複数形
であるべきことをテモテ前書3章は教えています。 教会史の分野に属する問題です
からここでは触れませんが、ローマ教会の長老の一人だけが歴史の過程で次第に突出
して来てやがて教皇となったのです。 聖書が認めているわけではありません。
私たちは、いまだに多くの非聖書的・反聖書的なローマ教会の伝統や解釈が単純な
聖書の教えを無視していると信じて「抗議し」、「異議を唱えている」のです。
聖書のことは聖書の言葉で、聖書の語ることを語り、聖書が教えていないことを、
恰かも聖書が教えているように、私たちは教えないし、私たちは説かないと主張して
いるのです。
このような考え方から、いわゆる「宗教改革」・「宗教革命」というものが今から
数世紀も前からヨーロッパ各地で次第に起ったのです。 それらの動きにローマ教会
は「異端審問所」を設けて取り締まり、迫害し、虐殺を繰り返して来たのです。
中世の教会史とは、「聖書の権威」を守るのか、それとも「ローマ教会の権威」を
守るのかという、血みどろの闘争史でもあったのです。 そのうちに次第にそのよう
な抗議の声を抑えられなくなって行ったのです。 それにしても酷い弾圧でした。
マルティーン・ルター(ルーテル)やジャン・カルヴァン(カルビン)などさまざ
まな人が出て来てローマにある教会の在り方に非難・抗議・異議を唱え始めました。
このため、次第にローマ教会は反対者を封じ込められなくなって行きました。
ローマにある法王を中心とする教会とその権威に「抗議する者たち」やローマ教会
のやり方に「異議を申し立てる者」たちのことを「プロテスタント」と呼ぶのです。
それですから、ローマ・カトリック教会の在り方・やり方に抗議し、文句を言い、
異議を唱える者という意味の言葉を真に理解し、その精神を踏まえて進んで行こうと
する者が「プロテスタン」という意味だとすれば、私たちもその「プロテスタント」
の一員であることに間違いありません。 電話口で自信を持って『ハイ、そうです』
と答えられるのです。 運動体である限りプロテストし続ける群の一員ですから。
残念なことですが、そういうようにローマ教会とその在り方に異議を申し出た群、
抗議した者たち、文句をつけた筈の人々と彼等に従った人々、即ち、プロテストした
人々のプロテスト運動=教会改善運動=教会改革運動というものは、次第に中途半端
な運動になり、運動体が運動することを辞めたり放棄してしまって現在に到ってしま
いました。 それですからプロテスタント運動の殆どは途中で死滅したも同様です。
上から一方的に抑えていたそれまでのローマ教会と教皇が持っていたような強権的
な力を失って、自分勝手に聖書を解釈し始めたプロテスタント運動体は、それまでの
教会が体験したことのない数多くの教派を生み出す結果となってしまったのです。
運動体が運動を止めた途端、そこには残滓として多くの教派というものが生まれて
しまったのです。 誰も思いもかけなかった結果だったと思います。
旧約聖書の士師記の一番最後に記載されていますように、どのような運動体であっ
ても、その中心的なエネルギー、求心力というものを失った途端に、それは予測だに
しなかった恐ろしい状態を招くものです。 ヨハネ伝17章21節の違反事態です。
主イェスの切なる願いにもかかわらず主イェス御自身の御身体である教会が多くの
教派や教団に分かれてしまっている現状は主イェスの御旨ではありません。
教会が一つになっていない内は、この世の人々がイェスを主とし救い主として信じ
ることなど極めて困難だと、主御自身がそのように警告なさっているのです。
然し、ローマ教会に「プロテスト」した筈の諸教会の殆どは自分たちの教団や教派
のことしか念頭になく、主の教会が分裂していることに全く痛みを覚えていません。
おのおの各々が、各自の目に正しいと思うことだけを、誰も抑えつけるものがない
ので好き勝手なことをどんどんと行ってしまったので、神の民イスラエルは外敵から
の危険に晒され続け、その度に自滅の危機に直面する羽目に陥ってしまったのです。
士師記21章25節の警告は士師記を通して7回も繰り返し強調されているのです。
そのような訳ですから、『おれさまはプロテスタントだぜ!』と自負されておられ
る方に、『あなたは、それでは、どのくらい真剣にプロテスタントなんですか?』と
私はむしろお訊ねしたいのです。 『プロテスタント運動精神をどのように現在でも
理解して、継続する努力を続けていらっしゃるのですか?』とお訊ねしたいのです。
『聖書が語ることだけを語り、聖書が教えていないことを教えていないと断言なさ
れるのですか?』とお訊ねしたいのです。 『ローマ・カトリック教会と同様に、
聖書が語ってもいないし、教えてもいない教会の伝統やしきたりや儀式や祝祭日を
あなたも守っているのですか、それとも、聖書が教えていないことはあなたも金輪際
行っていないし守っていないと断言できるのですか?』とお伺いしたいのです。
そういうことまで真面目に考えた上で、『お宅プロテスタント?』と電話口で質問
されるのであれば、私も喜んで『ハイッ、そのように聖書的な信仰を維持したいと
願い努力をしている者ですが...』と謙虚にお答えしたいと願っているのです。
ヨーロッパの教会が、ローマ教会と、それに「抗議=プロテストして」生まれた筈
のプロテスタント諸教派を含めたヨーロッパ教会が、聖書の示す単純な初代原始教会
の姿から離れ去ってしまっていた時に、多くの人々が新大陸=新世界に移住して行っ
たのでした。 そしてその新大陸各地で=新世界各地で、黙示録が約束している千年
王国、汚れのない新しい主イェス・キリストの教会を建てようと願ったのです。
こうして新世界で「19世紀の宗教改革」が始まり、消えかけていたプロテスタント
運動の炎が再燃したのです。 聖書の教えに戻り基督者が一致してイェス・キリスト
の再臨を待ち望もうと願ったのです。 北米教会史上極めて稀なケイン・リッジでの
キャンプ・ミーティングもそのような運動の烽火の一つであったのです。 使徒行伝
2章のペテコステ以来の聖霊の注ぎであったと言われているこのキャンプ集会に関し
ては既に資料を差し上げてありますが、諸条件が整えば再印刷をと願っています。
「プロテスタント運動」はこのような形で今でも継続されようとしています。
それですから、『お宅、プロテスタント?』と聞かれると『ハイッ』と答えたいし、
『お前さん、お前さんの言っている意味がおわかりなんですかい?』と反対に訊ねた
くもなるのです。 毎年同じような質問が電話口から聞こえて来るのです。
私たちは主イェス・キリストにのみ属し、主イェス・キリストにのみ従いたいと、
そのように願い、聖書の教えることを学び、聖書の語っていないことには耳を傾けま
いと心に誓っているのです。 救いとは主イェス・キリストから無条件で恩寵として
与えられるものなのです。 私たちは十字架の上の出来事を感謝をして信じ、イェス
を愛し、イェスを救い主、また再び来たり給う王として信じて従う者なのです。
私たちは、十字架の上で贖罪の業をなし遂げて下さった主イェス・キリストだけを
充分な救い主として信じ、そのお方だけを宣べ伝えたいと願うのです。 どのような
人間組織であれ、人が築き上げた聖書以外の中保者の存在や介入を拒否するのです。
ローマ・カトリック教会の位階聖職者制度やマリヤの執り成しなどを初めとして、
中途半端な宗教改革に終わってしまった現在のいわゆるプロテスタント諸教派諸教会
の聖書的根拠のない伝統をも非聖書的・反聖書的なものとして拒否したいのです。
教団でも教派でもなく、唯ただ主イェス・キリストの弟子たらんと願っている者な
のです。 アメージング・グレイス=驚くばかりの主の恩寵を信じる者なのです。
プロテスタントでもあり、カトリックでもあるのです。 絶えず反聖書的なもの、
非聖書的なものにはプロテストし、宇宙的・公同的・包括的・普遍的なカトリックな
主イェスの教会に、ひたすらに恩寵によって、属したいと願う者なのです。
ついでですが、「ミサ」に就いてです。
NHKのような報道機関ですら、例えば、クリントン前大統領やブッシュ大統領が
「ミサに参列した...」というようにまことしやかに報道します。 愚の骨頂です。
昨年10月末に「地球に好奇心」番組で「アメージング・グレイスの魂」という番組
を放映しましたが、これも聖書や基督教や福音に対するNHK担当者たちの基本的な
知識の欠落がもたらしていた中途半端な内容説明に終始していました。
不幸にして、視聴者側にも同じことが言えるわけで、『感動した』などという声を
教会関係者、特に「牧師」と自称し・他称されている人から聞いた時には失望しまし
た。 ミサという言葉の意味すら知らない日本人の宗教関心度の低さも同じです。
まず、この単語は主としてローマ・カトリック教会の言葉として使われるのであっ
て、非・反ローマ教会では使いません。 私たちの群では主の晩餐、主の聖餐、パン
裂き、聖晩餐、主の食卓などと呼ばれているものがそれに相当すると考えてよいと思
います。 広義に解せば公同礼拝全体を指すものとも捉えることができましょう。
(東方教会のミサ、すなわち典礼の伝統の方が歴史的にはローマ教会のものよりも
古く、ローマ教会と大雑把に言えば基本的には同じと考えて良いと思います)
もともと、古いローマ教会の司教が公同礼拝の司式を終えて参加者に退場を促す為に
使った言葉から派生して来たものです。 それが次第に司教が司式する礼拝儀式全体
を意味するように変わっていったものです。 それは聖職者側が福音書を中心とした
キリストの生涯、十字架の死、主の晩餐などをミサ曲という形を通して歌ったり読誦
するというもので、一般信者はそのミサ曲を「拝聴する」だけということでした。
最初は「聖体拝領」、すなわちパンと葡萄酒に一般信者が与り得ることなど許され
ざることであったのです。 司祭が信者たちに代わって与っていました。
イングランドのウイクリフの宗教改革思想の影響を受け、ボヘミヤの宗教改革者と
なったヤン・フス(1370-1415)は、ローマ・カトリック教会の免罪符販売に強く反対
し、また一般信者も聖晩餐、特に葡萄液にも与ることができるようにとローマ教会に
要求したことで「異端」とされ、焚刑に処せられ、遺灰はライン川に投げ捨てられま
した。 確かそのように教会史で学んだように記憶しています。
しかし、近世に到って次第に信者から聖餐に直接与りたいとの要求の声が高まり、
「聖体拝領」に信者が参加できるように変化して来ました。 それでも、司教だけが
「聖体拝領」を司ることを許され(同じ流れを汲む聖公会も聖職者だけに司式する事
が許されている)、司教が司る時にパンと葡萄酒がイェス・キリストの本当の肉と血
に変化するものとローマ・カトリック教会では今でも教えています。
私たちはコリント前書11章23節~29節を読む時に、あくまでも主イェス・キリスト
の「記念として」聖晩餐に与るのであって、教会が聖晩餐を執り行う瞬間に「パンが
キリストの肉片に変わり、葡萄酒がイェスの血潮に変化する」とは理解していないの
です。
尚、米国で禁酒法が実施された時(1920~1933)に多くの教会では葡萄酒を葡萄液
に取り替える習慣が生じました。 その為に獨逸系のウエルチは腐敗しない葡萄液を
製造することに成功し、これが多くの教会の葡萄液使用を促進したとも言えます。
主の食卓がこん日のようにパンと葡萄酒を中心とした形を採るようになったことに
関しては本文の最後に付録として書いておきます。
話を元に戻して、ローマ教会では司教だけに典礼執行が許されており、司教以外の
者が聖晩餐を執行することなど想像だにできないことです。 司教が執行する時に、
パンと葡萄酒の偶有性は存続するがその全実体=サブスタンティアはキリストの肉と
血に全く実体化すると説きます。 これを化体説 transubstantiation と呼びます。
非ローマ教会=いわゆるプロテスタント諸教会では「化体説」を採らず、「記念」
としてこれに与りますが、十字架の上の主の苦悩と赦しの愛の大きさと再臨の約束を
厳粛に受け止めて与ります。 主の一方的な恩寵によって主の聖晩餐に私たちが与る
時に私たちはあたかもそこに主ご自身が臨在なさっていらっしゃるような敬虔な畏れ
と感謝の念をもって与っているのです。 それは決して聖餐「式」というような宗教
儀式では有り得ない筈のものだと私は考えています。 十字架の上の主の苦悩と赦し
の豊かさ、そして再び来たり給うことを想うだけで胸がつまり涙が溢れ出てくる感動
と感激のひとときである筈だと信じています。 いかがなものでしょうか?
また、私たちの理解とは異なっていても、ローマ教会が日曜礼拝の度に主の晩餐を
司っているのに、ローマ教会に「プロテストした」筈のプロテスタント教会の殆どが
主の晩餐を放棄したり、軽視したりしている現状は全く理解に苦しむことです。
主イェスが十字架に架けられる直前に、弟子たちと最後の聖晩餐を共にすることを
「切望された」とルカ伝22章が証言し、主の聖晩餐は主御自身が私たちが主の十字架
とその再臨を覚えるために設て下さったものであると、コリント前書11章23節以下が
そのように証言しているのにもかかわらず、ローマ教会に「プロテストした者たち」
が主の定めて下さった聖餐を「完全に無視・軽視する伝統」を実践しています。
プロテスタントだと自称する諸教会とそこに集まる牧師も教会指導者たちもこれを
主のみ前でどのように弁明されるのでしょうか? 主の十字架と再臨を覚える礼拝の
中心部分をです? ローマ教会の宗教儀式偏重姿勢に反発して聖書の権威を主張した
ことまでは理解できますが、聖書の解き明かしにプロテスタント諸教会が偏重し過ぎ
て聖晩餐を放棄してしまったのです。 元来、教会が聖書の解き明かしをする理由は
十字架の主と再臨を覚えるための聖晩餐を説明するためのものであったのです。
盥の中の水が汚れたからといって、大切な赤ん坊まで盥から捨ててしまったのです。
このようなわけで、『〇X教会の関係者だがお宅のミサは何時から?』などと電話
で問いかけてくる人は、聖書のことも、教会のことも、信仰のことも全然わかっては
いない人なのです。NHKの特別番組担当者らと大して変わらない常識欠落者だと私
は苦笑しながら、それでも丁寧に電話口で応答するのです。疲れますけれど...
コリント前書1章23節が語るように、私たちは「十字架につけられたキリストだけ
を述べ伝える」者でありたいと願う者として、また別荘地にたまたま住む者として、
このような「無邪気な善男善女」からの『そっちはどっちの教会か?』とか、『お宅
プロテスタント?それともカトリック?』などの電話が突然かかって来るのも無理は
ないかと思うのですが、それでもその度に何かしらやりきれないものを感じます。
『そのどっちでもありませんょ』と答える時もありますが、電話線の反対側の困惑
した顔が目に浮かびます。 まして『両方ですょ』とも答えられませんし。
その他にも、『お宅は日本基督教団の教会?』という質問も随分と多いのです。
そこにはまるで日本基督教団所属教会以外の教会などあり得るわけがない、あっては
ならない...といった無意識の発想を感じさせられることが多いのです。 困ったこと
でして、自称エリート集団所属者的発想者の電話質問にもうんざりさせられます。
『いつ東神大をご卒業ですか?』という質問もありました。 東京神学大学を卒業
しないと伝道者にはなれない、なってはいけないような無意識ですが驕慢不遜な発想
です。 『入学した途端ゲバ騒動が起り失望して辞めた』と正直に言えませんし...
今回これらに就いてはこれ以上書きませんが、考えてみますと実に不愉快で失礼な
質問だと思いますが、亦、その反面、「お気の毒で幸せな人」だと思っています。
私たちは、主イェス・キリストが御自身の貴い血潮を代価として贖い出して下さっ
たうえ、その貴い教会に加えて下さった者(使徒行伝20章28節)であると信じている
者です。 そのように信じて主イェス・キリストの中にバプテスマされた者です。
そのようにロマ書6章の前半部分を理解するのです。 人間が築き上げた組織体と
しての教団や教派のいずれかに所属するためにバプテスマされたのではないのです。
どちらかの「プロテスタント」教会にも、「ローマ・カトリック教会」にも、はた
また「日本基督教団」にも属してはいないのです。 私たちは「主イェス・キリスト
の教会」に、唯そのご恩寵によって属し、属したいと心から願う者なのです。
そういうわけですから、これらの電話質問に対しては、私なりに補足説明を加えた
上で、『唯のクリスチャンだけでありたいと願う者たちの集まりですが...』と答える
ようにしています。 そしてそれが一番誠実な答だと私は信じています。
それでもわざわざベタニヤ・ホームにまで車を走らせて訪ねて見えた人の中には、
十字架が屋根の上に採りつけてある、いわゆる西洋式の「教会堂」らしい建物がそこ
にないのを見て、『ヘェッ、これって本当に教会なんですか!』と指差して絶叫した
若い女性が最近ありましたし、甲府の或る福音派に所属しているという青年男女二人
は、『ウッソォー! エェッ、これが教会なんですか?』と絶叫しました。
彼等の言う教会とは西洋式教会堂という意識しかないのです。 教会=西洋式建物
で天辺に十字架がある建物という極めて低次元の単純な発想しかないのです。
彼等が属しているそのような教会では、主イェス・キリストに属す教会をどのよう
に説いて教えているのだろうかと、反対に私のほうで彼等を僕する牧師らの在り方を
疑いたくなる時すらもあります。 プロテスタンティズムを語る以前の問題だと思い
ます。 主イェス・キリストに属する宇宙的な教会を考えたこともなく、唯ひたすら
「自分たちの群」や「自分たちの教会」や「自分たちの群の教勢拡大や献金額増加」
のことだけしか考えたことがない牧師や信者たちではないかと疑います。 これでは
到底ローマ教会に本気でプロテストし続け得ることなどできる訳がありません。
最後に、葡萄酒と葡萄液の所で約束しておきましたように、世界中の多くの教会で
現時点で守られている聖餐の形式に就いて更なる補足的説明を述べておきましょう。
まずルカ伝22章7節~20節を読んでみますと、そこに主イェスの弟子たちとの最後
の晩餐に関する描写を知ることができます。 特に15節では主イェスが弟子たちとの
聖餐を「切望されていた」ことを知ることができます。 主イェスの聖晩餐に対する
願望はそこに用いられている強いギリシャ語からもわかります。
主イェスの想いの中には、過ぎ越しの時に屠られた仔羊の血潮と、御自身に迫って
来ていた全人類の贖罪のための御自身の十字架とが重なりあっていたことは間違いの
ないことでしょう。 出エジプト記12章と13章に詳しい説明が書かれてあります。
しかし主イェスは、それよりも遥か前の創世記31章43節~54節の「和解の食卓」を
お考えになっていたものと思います。 敵対する二つの勢力が神の名よって集められ
て、そこで犠牲の捧げものとして屠られた動物の体を二つに割いて並べ、両者が犠牲
の肢体の回りを回って和解の儀式を行い、その後で犠牲の動物の肉を中心としたフル
・コースの和解の宴席を設けたのです。 犠牲の動物を捧げた石塚の上に柱を建てて
神と双方間の約束の標としたのです。 石塚に載せられた生贄の動物と、石塚の上に
建てられた柱は、共に主イェス・キリストの十字架を彷彿させています。
使徒行伝2章42節~47節は主イェス・キリストの教会が誕生した直後のエクレシア
の状態を語っています。 そこでも「和解の食事」がなされ、過ぎ越しの祭りの時の
式たりと同じように、「和解の食事」の意味が使徒たちによって説明され、贖罪の主
イェスの犠牲の死を覚え、その復活を祝い、再臨の約束を感謝したのでした。
長老たちが会衆に和解の食事や過ぎ越しの祭りの意味を説明するのはユダヤ人の式
たりに叶ったことで、久しくユダヤ人の間ではそのように守られて来ていたのです。
コリント前書11章20節以下には主の食卓と、主の食卓の乱用・混乱に関する記述が
書かれています。 内容からおわかりのように、ここでも同じようにフル・コースの
食事=愛餐会=love feastが催されていました。 自由人も奴隷も、富める者もそう
でない貧しい者も同じ席に出席できたのですから、2千年前のローマ帝国時代にあっ
て人種偏見や社会的差別がなかった唯一の極めて珍しい場所と状態であったのです。
それはクリスチャンの集まりであったからです。 勿論、家庭集会でした。
当時の帝国領土は広大なものでした。 そして帝国領土内をあらゆる階層の人々が
良く整えられていた「すべての道路はローマに通じる」とされていた道路の上を歩い
たのです。 帝国将兵や帝国官僚、芸人、行商人、手芸人、職人、奴隷、自由人と、
ありとあらゆる人々が毎日歩き廻っていたのです。 ローマを中心とした大きな池の
ような世界の中を人々は歩き回っていたのです。 その名残を、言葉が悪いので躊躇
しますが、わかり易く言うと、ジプシーではないかと思います。 日本でも敗戦直後
までは弥次さんや喜多さんを初めとし、私たちも歩いたのです。 『歩け、歩け』と
いう歌を国民の殆どが歌って歩いていたのです。 歩くしか手段がなかったのです。
自分の住居を持っていた人々は少なかったのです。 自分の定着住居を構えていた
人の中でクリスチャンになった人たちは、大体は裕福な階級の人が多かったようです
が、自宅を解放して旅を続けるそれらクリスチャンを誰彼の見境なく暖かく迎え入れ
ていたのです。 皮膚の色も、目の色も、髪の毛の色も異なり、言葉も違う者たちが
絶えることなく訪れていたのです。 そして『兄弟姉妹』と呼び合っていたのです。
病気の者は介護を受けました。 衣食などの必要な者には必要が提供されました。
これらのことは、クリスチャンでない周囲の多くの者にとっては極めて異常な事態
でありました。 一度もそれまでに出会ったことのない筈のあらゆる種類の人々が、
職業や社会的階級や人種差別に関係なく裕福な家庭に出入りし、お互いを兄弟姉妹と
呼び合って抱擁し、争わず持ち物を共有する姿などは周囲に異様に写った筈です。
そして彼等は、週の初めの日になると彼等だけの集会を催し、他人を寄せつけず、
讚美の歌を歌っている...その秘密結社では互いに乱交が行われているのではないか...
それだから彼等の皮膚の色が互いに違い、目の色が異なり、髪の毛の色や形が違った
りする兄弟姉妹が生まれて来ているのではないか...などの誤解が部外者に生じ始めた
のです。 そして更に、乱交で生まれて来た嬰児を殺してその肉を食らい、生き血を
吸っているのではないかと、こともあろうに公同礼拝の中心である主の食卓を部外者
たちは誤解するようになっていったのです。
ローマ帝国が公認する神々の像を拝まず、彼等だけの秘密神を拝んでいるのではな
いかという嫌疑もかけられていました。 神を信じていると言いながら彼等には神の
像というものが「ない」ではないか... やはり恐ろしい秘密結社なのだ...
ローマ公認の神々の像を拝まないということは彼等だけの「目に見えない偶像神」
を讚えている...と誤解されて行ったのです。 目に見えない神など在り得ない筈だ!
これらはローマ帝国への明らかな反逆意志と行為を構成するものです。
そうこうする内に、誤解は更なる誤解を生み、彼等は彼等だけの、閉ざされた礼拝
と愛餐と称している集まりで、実は秘かにローマ帝国の安寧を乱し、帝国そのものの
転覆を企て、そう狙っているのではないか...という誤解を招くようになっていったの
です。
帝国によるクリスチャンへの迫害が加えられるに従い、クリスチャンの秘密結社と
見られていた週の初めの礼拝=愛餐で、特にフル・コースの愛餐を中心にした、時間
をかけた礼拝が厳しく禁止されるようになってしまったのです。
そこでフル・コースの愛餐を中心とした、すなわち主イェス・キリストの贖罪の業
を覚えて、動物の肉やパンと葡萄酒を中心とした愛餐礼拝を捧げるのが困難となった
時に、食卓から豪華な食品が排除され、主イェス・キリストの十字架と埋葬、復活と
再臨を覚えるために絶対的必要不可欠なパンと葡萄酒だけが残されるようになったの
です。
その時からの伝統が実に現在にまで及んでいると考えるのが妥当だと、私は限られ
た教会史の学びの中からですが、そのように考えています。 そのような訳ですから
「家の教会」での「愛餐」は実に「聖書的な集まり」であるとも考えています。
尚、葡萄酒が葡萄液に代わった背景に就いては既に文中でご説明したとおりです。